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天國へのキッス2

2012/02/04 Sat 04:40

               4

 翌朝、布団の中で昨夜の出来事を思い出していた僕は、あまりの切なさに悶え苦しみながらも何度もマキの名を呟いていました。
 もう一度会いたい。いや、いますぐ会いたい。
 僕はまるで初恋に浮かれる高校生のように胸をトキメカセながら、何時に行けばマキに会えるのだろうかと考えていました。
 時計は昼の11時を指していました。この辺りは夜行性のため、昼は随分と静かで、時折隣のパチンコ屋から聞こえて来る「フィーバースタート!」というアホみたいな声が聞こえる以外は、ひたすらシーンと静まり返っています。
 布団の中で寝転がったまま手を伸ばし、卓袱台の上のノートとペンを引き寄せました。そのノートには、意味不明な言葉がびっしりと走り書きされており、僕以外の人が見ても、きっと何が何だかチンプンカンプンな言葉ばかりです。

『浴衣がチンチクリンの馬ヅラ親父』

『三頭身のパチンコ屋の女店員は煙草の煙を鼻から噴き出す』

『凶暴なカッパ顔をした銭湯の親父の息はシナチクの香り』

『昨日まで生えていた宿屋の女将の鼻毛が今日は消えていた』

『フィリピンホステスと栃木弁の浴衣親父との乱闘。フィリピンホステスの噴き出す鼻血』

『大浴場の隅に干してある靴下とブリーフ』

『深夜の路地から聞こえて来る野球拳の歌』

 これは、僕がその時に見たり感じた事を、今後の作品の為に記憶しておく雑記帳なのです。このように書き留めておかないと、記憶力の悪い僕は忘れてしまうからです。
 さっそく僕は昨夜のマキとの出来事を雑記帳に書き始めました。

『腋の臭いポン引きに嘘の8千円』

『痴態を見つめる草刈正雄』

『売春婦のパンツのシミ』

『中出しされた客の精液』

『客をイカせる為の切ない接吻』

 僕は、「接吻」と書いてから、天井をゆっくりと見上げた。そして、あの時にマキがくれた切ないキスを鮮明に思い出しました。
 薄っぺらい窓の外からは、パチンコ店の騒がしい音と共にフィリピンホステスのサンダルの音と「マタ、マケタヨ!」という声が聞こえて来ます。そんな雑音に包まれながら、(客を早くイカせる為の女郎の接吻……愛のない接吻……商売としての接吻……)と呟いておりますと、ふいに頭の中に粋な言葉がパッと閃きました。
 僕は慌ててペンを握り直すと、雑記帳の隅に『天国へのキッス』と殴り書きしたのでした。

        ※

 マキ……マキ……
 布団の中でそう何度も呟きながら、このまま夜になるのを待とうと決めた僕は、布団の中で堕落したまま太宰治の『晩年』を読みました。
 そして3ページも読まないうちに本を投げ出し、また枕を抱きしめては「マキ……」と呟きます。
 もう僕の頭の中はマキで一杯でした。何をしててもあのマキの大きな瞳がチラつきます。いてもたってもいられなくなった僕は、いきなりムクリと立ち上がると、歯も磨かないまま宿を飛び出しました。
 宿の前では、パチンコに負けたらしいフィリピンホステスが数人固まっていました。みんな派手な原色のジャージを着ておりその趣味の悪さにおもわず僕が顔を背けると、黄色いショートパンツにピンクのキャミソールと言う下品なフィリピン女が「ドコイク!」と僕に声を掛けて来ました。
 どこに行こうが勝手だろ、と思いながらも、気の小さな僕は「ちょっと……」と愛想笑いを浮かべたのでした。

 昨夜の路地は、昼にはまた違う顔を見せていました。
 日本軍が攻め入った後の上海の朽ち果てた売春窟。そんな言葉が僕の頭を過ります。
 ヒビだらけのコンクリートの壁を見つめながら路地の奥へと進むと、その廃墟のような小屋からは得体の知れないニオイが漂ってきました。
 こんな下水道のような場所で夜な夜な女は嘘の声を出し、男は金で得た快楽に深い溜息を洩らす……そう思いながら路地を進む僕は、こんな事してていいのか日本!という新たな言葉がふいに頭を過って行きました。

 確かこの角を曲がるんだったな……と、何故か頑丈な鉄格子が嵌められた古い民家の角を曲がると、とてつもなく巨大な野良猫が路地の真ん中で寝転がっていました。
 その犬のように大きな猫をジッと見つめる僕は、子供の頃に父親と観た『ドクター・モローの島』という古い洋画をふと思い出しました。それは無人島で怪しい動物実験を繰り返す博士の物語で、その無人島に迷い込んだ漂流者は、モロー博士が作り出した奇怪なモンスター達に襲われながらも、命からがら島を脱出するという壮絶なストーリーです。
 僕は巨大野良猫を見つめながら、果たして僕はこの奇怪なモンスターが潜む売春窟から無事脱出できるのだろうか?という不安に包まれました。
 巨大野良猫が大きな体をゴロリと寝返りさせながら、路地に突っ立っている僕をジロッと睨みました。それはまるで「これ以上深入りしない方がいいぜ」と忠告しているかのようです。
 それはわかっている。ここは僕のような世間知らずの青二才には場違いな場所なんだ……これ以上深入りすれば、きっと、取り返しのつかない大火傷を負ってしまうだろう……でも、それでも僕はもう一度マキに会いたいんだよ……
 そう巨大野良猫に呟きながら僕は歩き出しました。
 近付いて来る僕に、巨大野良猫が面倒臭そうにムクリと上半身を起こしながら、ジッと僕を見つめています。そして一言、「ギャーオ……」と不吉な鳴き声をあげると、その巨体からは想像もできない早さで路地の奥へと走り去って行ったのでした。

         5

『バッカス』と書かれた看板の前で足を止めた僕は、閉じてある扉に手を掛けると、そのままゆっくりと引いてみました。
 扉は物音ひとつ立てる事なくスッと開きました。
 真っ暗闇の中からウィスキーと煙草のニオイが蒸された独特な生暖かい閉鎖臭が漂って来ます。
 シーンと静まり返った店内では、壁にかけられた昭和時代の物であろうと思われるサイケデリックな時計がチッチッチッチッと針の音を響かせておりました。
「……すみません」
 僕は廃墟のように佇む奥に向かって声を掛けました。
 しばらく耳を澄ましていましたが、聞こえて来るのは時計の針の音だけです。
 薄暗い奥に目を凝らすと階段がボンヤリと見えました。その階段をジッと見つめていると、2階でマキが足の爪を切っているような気がして、ふいに胸が押し潰されました。

 アルコールとアンモニアのニオイに包まれながら、ハッ!と気がついた時には、僕は土足のままその階段を上っておりました。
 階段の真ん中で足を止め、(いつの間に!?)と我に返る僕は、ドアから階段を上るまでの記憶がポッカリと消えてしまっていました。
 僕はキツネに摘まれたような気がして急に恐ろしくなりました。そして他人の店にこうして無断で侵入しているという事実に、(僕はいったい何をやってるんだ!)という焦りが芽生え、直ちに逃げ出したい衝動に駆られました。
 が、しかし……
 2階から、昨夜を鮮明に思い出させる妖艶な匂いが漂ってきては僕を足止めさせます。
 焦る気持ちとは裏腹に、その香りに引き寄せられるかのように階段を1段1段上って行く僕は、まるで夢遊病者のようでした。

 靴を脱いだ僕は、両手に靴をぶら下げたまま薄暗い部屋を眺めていました。
 昨夜は気付きませんでしたが、この部屋の窓には妙に古臭いステンドグラスが嵌め込まれていました。そこから昼の光りが注ぎ込み、腐った畳に薄気味悪い七色の明かりをボンヤリと浮かび上がらせております。
 敷きっぱなしの布団は綺麗に整頓され、昨夜の形跡は跡形もなく消えています。

 この布団の中でマキは僕のチンコを舐め、僕はマキのマンコを舐めた……そして2人は結ばれたのだ……
 僕は激しい切なさに胸を締め付けられながら、布団に置かれた枕に頬擦りをしました。
 枕からは微かにマキの香水の匂いが感じられたような気がしました。
「マキ……」と囁きながら枕に頬を寄せていると、いきなり僕の背後から殺気というか人の気配を感じました。
(だ、誰かが僕を見ている……)
 絶叫しそうなくらいの恐怖を感じた僕は、枕に顔を押し当てたまま無意識に両手がブルブルと震えて来ました。
 枕の中で息を止めたまま、背後に感じる視線に泣き出しそうになっていた僕は、もうその恐怖に耐えられないと観念し、ガバッ!と枕から顔を離すと慌てて後を向いては「すみません!」と叫びました
 僕のその叫び声は、階下から聞こえて来る時計の針の音が大きくなるにつれ次第に自然消滅して行き、部屋は再び時計の針だけが響く静けさへと戻りました。
 恐る恐る僕が顔をあげると、そこに一人の男が無言でジッと僕を見つめていました。
「ひっ!」
 一瞬僕の心臓が止まりました。
 しかし、僕を見つめるその男が壁に貼られた草刈正雄だと気付いた頃には、僕の心臓も階下から聞こえて来る時計の針に合わせるかのように正常に戻って行ったのでした。

 僕はマキの痕跡を探しました。
 何でもいいからマキのモノを手に入れ、そして一刻も早くここから脱出しようと考えたのです。
 しかし、屑篭の中にも卓袱台の上にも、そしてマキのパンティーが押し込められていた布団の下にも、マキの痕跡は何一つ見当たりませんでした。
「くそう!」と、吐き捨てた時、ふと草刈正雄のポスターが貼られている壁が、押し入れの襖である事に気付きました。
 僕はもしかしたらという期待を胸に、押し入れの襖を開けました。
 押し入れの中には『洞爺湖』と名前が彫り込まれた『木彫りの熊の置物』が真っ白な埃を被っては白熊のようにようになっていました。埃だらけの押し入れの中にはその熊の置物がポツンと置いてあるだけで、マキの私物らしきものは何一つございません。
 僕は既に勃起しているチンコをズボンの上から揉みながら埃だらけの熊の置物を見つめました。そして素早くズボンを下ろすと、熊の置物の横に親指大ほどの大便をひとつ捻り、そのまま店を後にしたのでした。

         6

 暗くなるまでどこかで時間を潰そうと近くの河原に行ったのですが、そこら一帯は乞食達に占領され、まるで黒沢映画に出て来そうな人間臭い風景が広がっていました。そんな風景を土手の上からぼんやりと眺めていると、青いビニールシートの中から出て来た鶏ガラのような親父が僕に気付き、土手の下から僕を見上げながら「煙草あっけ?」と近寄って来ました。そんな鶏ガラ親父の小指と薬指は途中で切れていました。
 僕はポケットの中からセブンスターの箱を取り出すと、無言で鶏ガラ親父に差し出しました。
 鶏ガラ親父はその煙草を躊躇う事なく箱ごと奪い取ると、「旅の人け?」と言いながら僕の隣に腰を下ろしたのですが、鶏ガラ親父の全身から強烈な足の裏のニオイが漂って来たので、僕は慌てて息を止めながらその場を立ち去ったのでした。

 ぶらぶらと河原を歩いていると、目の縁にカリカリの目糞が大量に付いている事に気付いた僕は、とりあえず銭湯へ行く事にしました。
 昼の銭湯はのんびりしていました。男湯には僕と老人がいるだけで、番台の老婆もうつらうつらと居眠りしております。
 湯を出たり入ったりと繰り返しながら時間を潰すと、銭湯を出た頃には寂れた温泉街はオレンジ色した西日に染まり、割られたスマートボールの看板も弱々しく輝いておりました。

 少しのぼせ気味の火照った身体で、例のポン引きのいる路地に向かいます。しかしその路地は野良猫達が縦横無尽に走り回っているだけで、まだポン引き達の姿は見られませんでした。
 ゴミ屋敷のように荒れ果てた小さなスナックの前に、ビールケースを運び込む酒屋を見つけた僕は、その酒屋の親父にポン引き達が集まるのは何時頃かと尋ねると、親父はガララン!と音を立てながらビールケースを足下に置き、ジッと僕の顔を見ました。
「……ポン引きに何の用なの?」
 親父はビールケースを掴んだまま前屈みでそう言いました。
「……いえ……ちょっと……」
 親父のその言い方が妙に乱暴だったので僕は戸惑いました。
「キミ、まだ若いんだろ?こんな所に出入りしてていいのか?」
 親父は、まるで自分の息子を叱るかのような視線で僕を見ました。
「……はぁ……」
 僕はそう答えながら、ココで働くマキのほうが僕よりも年は若いですが?と心の中で親父に呟きます。
「キミは観光客だろ。この路地がどんなとこかわかってて来てるのか?」
「…………」
「ココは酔っぱらいの親父達を相手にする路地だ。キミのような若者が来る場所じゃない。悪い事は言わないからもうここには来ない方がいい。ケツの毛まで抜かれて性病をうつされてからじゃ遅いぞ」
 親父はそう言うと、「ヨッ!」と掛け声をあげながらビールケースを持ち上げ、ケースの中の瓶をカラカラと鳴らしながらスナックの中へと消えて行きました。

 僕はそんな親父の背中に、(そんな自分こそ、この路地を相手に商売してるくせに……カッコいい事言うんじゃないよ)と吐き捨てながら下水道臭い路地を素通りし、再び通りに出ました。
 携帯を覗くと時刻は4時30分を過ぎた頃でした。急に空腹を覚えた僕は、通り沿いで古ぼけた看板を掲げている蕎麦屋に入りました。
 やたらと音量が大きな相撲中継が響く店内でカツ丼を注文した僕は、テレビに映る裸の肥満体をぼんやりと眺めていました。
 裸の肥満体が激しく抱き合いながら縺れ合う姿を眺めながら、テーブルの上に置かれた生温い水を一口飲んだ僕は、また無性にマキに会いたくなりました。
 マキの大きな瞳とマキの嘘声、そしてマキのアソコから漂っていた淫臭を思い出しては胸が締め付けられていると、隣でスポーツ新聞を読んでいたおっさんが、いきなりガバッ!と新聞から顔を出し、キチガイのようにアナウンサーが叫びまくるテレビを凄まじい形相で睨みつけながら「行け!行け!そこだ!」と叫びました。
 そしておっさんは、アナウンサーが絶叫に近い叫び声を上げた瞬間、同時に「よし!」と力強く唸り、輝くような満面の笑みを見せたのでした。
 そんなおっさんの横をカツ丼を持ったお多福のようなオバさんが横切り、おっさんに「勝った?」と聞きます。 おっさんは嬉しそうに「勝った勝った。うん」とお多福に答えながら、嬉しそうに僕の顔を見ました。
 そのおっさんはどうやらタクシーの運転手のようでした。ネクタイと制帽をだらしなくさせながら「やっぱ強ぇなぁ」と僕に笑いかけます。
 相撲などまったく興味のない僕でしたが、一応「はい」と笑い、そしてすぐさま蓋が浮く程の大盛りカツ丼に視線を落としました。
 ぐちゃぐちゃの卵の中から丸焦げのトンカツがガリガリになりながら顔を出しています。それは、うんざりするほどマズそうです。そんなガリガリのトンカツを骨壺の中からお骨を拾い上げるかのように恐る恐る箸で摘まみ上げると、タクシーの運ちゃんが爪楊枝でシーシー言いながら「兄ちゃんは地元か?」と聞いて来ました。
 僕はトンカツをガシュ!と一口咬んだ後、慌てて「いえ」と答えると、口の中にモワッ!という肉臭さが広がり、焦げた衣が舌先をピリピリとさせました。
 タクシーの運ちゃんは僕のカツ丼をジッと見つめながら、「だろうな……」とケラケラと笑い、そして厨房をキョロキョロと覗き込みながら、「地元の者はここでカツ丼なんか喰わねぇよ」と声を潜めました。
 その瞬間、僕は「この人なら」と思いました。
「あのぅ……」と言いながら噛み千切ったトンカツを口の中に入れると、タクシーの運ちゃんは「ん?」と眉を上げて僕を見ました。
「この先の路地に小さなスナックが密集している所がありますよね……」
「あぁ、『おいで横丁』のことな、あるよ」
 マキのいる路地が『おいで横丁』と呼ばれている事を知り、なぜか嬉しくなった僕は、「あそこは何時から営業してますか?」と一気に聞いた。
「…………」
 タクシーの運ちゃんは黙ったまま僕を見つめ、そして指に摘んでいた爪楊枝をカシュと折りました。
 またしても嫌な空気が漂いました。タクシーの運ちゃんは酒屋の親父と同じ目をして僕を見つめています。
「……どうして?……行きたいの?」
 タクシーの運ちゃんはそう呟きながら広げていたスポーツ新聞を畳みます。
「はい……ちょっと……」
「悪い事は言わないから、あそこだけはヤメといたほうがいいと思うよ……」
「…………」
「あそこで変な病気をうつされたなんて話し、よく聞くぜ……なんだったらもっと安心して遊べるとこ紹介しようか?」
 タクシーの運ちゃんは物知り顔でそう言うと、「ここから30分も行けばソープもあるよ」と何故か威張ってそう言います。
 しかし、僕は性欲を満たしたいのではなくマキに会いたいのです。安心できるソープなんかよりも、危険を犯してでもマキに会いに行きたいのです。
 僕はタクシーの運ちゃんからソッと目を反らしながら「いえ……結構です」と告げると、タクシーの運ちゃんはゆっくりと席を立ちながら、厨房の奥へと「オバちゃん帰るよ!」と声を掛けました。そしてカツ丼を淋しそうに見つめる僕を見下ろし、「まぁ……」と言いながらレジに進むと、「行くのはあんたの勝手だけどさ、絶対にゴムは付けた方がいいぜ」と呟き、そして捨て台詞かのように「もうそろそろ看板が付いてる頃だろ……」と言葉を残したまま去って行ったのでした。

         7

 薄暗くなりかけた路地に赤やピンクの看板が灯り、その場所だけが社会と隔離されている独特な雰囲気を醸し出していました。特に、酒屋の親父やタクシーの運ちゃんからあんな情報を聞かされた後だった為か、僕はその路地のインチキ臭いネオンを見つめながら余計切なさを感じていました。
 廃墟のようなスナックの前にはパイプ椅子に座るオバさん達が煙草を吹かしながらズラリと並び、路地を歩く浴衣姿の湯治客を団扇で扇いだりしながら声を掛けています。
 僕は路地から少し離れた細い三叉路へと向かいました。その三叉路は昨夜僕が角刈りのポン引きに声を掛けられた場所です。あの場所に行けばあのポン引きがいるだろうと思ったのです。

 その三叉路へと向かう途中、ライトバンを改造したタコヤキ屋の屋台の前で僕は呼び止められました。
「おう!小説家のセンセやないけぇ!」
 そう声を掛けられ振り向くと、そこにはタコヤキを頬張った角刈りのポン引きが、あの憎めない笑顔でニタニタと笑いながら突っ立っておりました。
 僕は、その憎めない笑顔を見た瞬間、まるでマキに会えたかのような嬉しさが込み上げて来ました。
 ポン引きは「メシ喰うたか?」と言いながら、女物のサンダルをテラテラと鳴らし僕に近寄って来ました。そしてビニールパックの中でヘトヘトに萎れているタコヤキを僕に向けながら「喰うか?」と笑いました。
「いえ……」
 そう答えながら僕は、ふとこの男とマキは付き合っているのではないかという不安が過りました。
「で、ドコ行くんやセンセ。こんな方へ行っても何にもねぇぜ」
 ポン引きはタコヤキに刺さっていた爪楊枝で奥歯をガリゴリとホジリながら不思議そうな顔をしました。
「ちょっとブラっと……」
 僕は平然を装いながらそう答えます。あんたを探していたんだ!などと言えば、このポン引きの思うツボになりそうな気がしたからです。
「へへへ。なーんて言いながらよセンセ。もしかしたらマキのコレが忘れられねぇんちゃうか?」
 ポン引きは握り拳の中から親指を突き出し、それを僕に見せつけながらヘラヘラと笑いました。
 図星です。
 朝からずっと僕の頭の中にはマキが住み着き、僕の頭の中で、笑ったり唇を窄めたりそして怪しくキスを迫ったりとするマキの表情が離れないのです。
 しかし、そんな事を正直にこの男に言えば、それこそ酒屋の親父が言ってたように「ケツの毛」まで抜かれてしまいます。だから僕は「マキ?」とわざとらしくとぼけ、そして「あぁ、昨日のあの子ですね」と、余裕の笑みを見せたりしました。
「マキはええ子やろ。あんな子はちょっとここらでは見当たらへんで。どや、今夜も。スッキリした方が、ええ小説書けるんちゃうか?ん?」
 どうやらポン引きは僕の心を読み取っているようでした。いくら僕がとぼけて見せても、やはりプロの目には敵いません。というか、そもそもこんな場所を「ぶらっ」としている僕の方が不自然なのですが……
「ほな行こか」と歩き出したポン引きの背中を見つめながら、僕はネオンが灯る路地へと進んで行きました。
 路地を進みながらポン引きが僕の肩に手を回して来ました。ポン引きの腋の下からは昨夜と同じ茹でたネギの香りが漂って来ます。
「あんな、昨日は御新規さん言う事で8千円に負けたったけど、今日はちゃんとした料金払うてもらわなあかんで」
ポン引きはまるで何かを説得するかのように僕の耳元でそう呟きます。
「……いくらですか?」
僕が恐る恐るそう尋ねると、ポン引きは「こんだけや……」と、僕の胸の前で4本の指を立てました。
「……4万円ですか?」
 僕はそう驚きながら一瞬足を止めました。するとポン引きも同時に足を止め、僕の前に立ち塞がると「どうする?」と冷たい表情で僕を見つめました。
 足を止めた路地の壁にぶら下がる『さちこ』と書かれた看板の赤い灯がポン引きの顔を照らし、それはまるで赤鬼のようでした。
「4万……」
 僕はそう呟きながら足下を見つめました。目に入って来たポン引きの女物のサンダルが、もしかしたらマキのサンダルなのではないだろうかと、ふと頭を過ります。
「マキは売れっ子やさかい、そのくらい貰わんとワリ合わんのやわ……ま、4万持っとらんのやったら、また今度って事にしよか?な?」
 ポン引きは俯く僕にそう語りかけると、小さな声で「ま、それまでマキがここにいるかわからへんけどな」と意地悪そうに呟きました。
 ポン引きのその言葉は、黒光りする出刃包丁が胸に「ズボッ!」と深く突き刺さるような衝撃を僕に与えました。
 僕は得体の知れない真っ黒な物体に背中を押されるような焦りを感じながら、「……ど、どういうことですか?」と息苦しそうに尋ねました。
「いやな、マキのヤツ、なんや近々東京へ行くとか言うとったからな……今度、センセが来た時にはもうマキはココにはおらへんかも知れんな……言うこっちゃ」
 ポン引きはシミジミとそう語ると、僕の肩をポンとひとつ叩き、「ま、また覗いてみてや」と言いながら立ち去ろうとしました。
「あっ!ちょっと!」
 僕はポン引きの痩せこけた背中を呼び止めます。
 そしてポケットの中から慌てて財布を取り出すと、その中から1万円札4枚を急いで取り出し、『さちこ』の赤い看板に照らされながら財布の中をジッと見ていたポン引きに「はい、4万!」と差し出しました。
 ポン引きは満足そうな表情で「さすが小説家のセンセや。男やのぅ」と演歌歌手のように唸ると、乾いた唇をペロペロと舐めながらそれを受け取りました。
 そしてまた僕の肩に腕を回しながら茹でたネギの香りを漂わせると、「ほな行こか」とゆっくりと歩き出したのでした。

         8

 ピンク色に輝く『バッカス』の看板は、昼間見た時とは違い、まるで息を吹き返したかのように活き活きしていました。
 店の前で気怠そうにパイプ椅子に座る老婆は、僕の顔をジッと見ながら「またあんたかいな」と黄色い歯を剥き出して笑いました。
 店内は、昼間侵入した時の薄暗さは消え失せ、天井からぶら下がっているサイケデリックな照明が爛々と輝き、店内に響いていた時計の針の音もテレビから垂れ流されるプロ野球中継の音に掻き消されておりました。
「マキは仕事の真っ最中やから、ま、ここでのんびり待っててや」
 ポン引きは僕をカウンターに座らせると、店の前に座っていた老婆に「なんか飲ませたってや!」と怒鳴りました。
 異様にクッションがモコモコとするカウンターの椅子に僕が座ると、ポン引きはカウンターの中へ潜り込む老婆から顔を隠すかのように僕の耳に口元を近づけると、「こいつらに4万払った事言うたらあかんでぇ」とコショコショ声でそう囁きました。
「なぜですか?」
 僕が首を傾げると、ポン引きは眉を顰めながら「こいつらマキの取り分までピンハネしよるからや……」と、僕の肩をポン!と叩き、カウンターで背を向ける老婆にこっそりアッカンベーをしました。
「……だからマキにも言うたらあかんで。それをマキが知っとった言う事になったら、マキが後からこいつらにリンチされよんねん。だからマキにも4万払うた事は今はまだ内緒や。明日、ワシがマキにセンセからや言うてこっそり4万渡しとくさかい、心配すな、わかったか?」
 ポン引きは僕の顔を覗き込みながらそう言いました。そんなポン引きのアロハシャツの胸元からは黒々としたイレズミが覗いていました。
 ポン引きはカウンターの老婆に「どんどん酒出したりぃや!」と叫ぶと、僕にも「好きなもん飲んでや~」と笑いかけ、そしてフラッと店を出て行くと、いつの間にか姿を消してしまいました。

 テレビからは、1塁側の応援席から響く、「狙い撃ち」を奏でるトランペットのメロディーが聞こえて来ました。
「何する?」
 いきなりカウンターの老婆が底なし沼のような目で僕を見つめながらそう呟きました。
「……じゃあ、ウーロン茶を……」
 僕が脅えながらそう答えると、老婆は乱暴に冷凍庫を開け、中から氷を手掴みで取ってはグラスの中へカラコロと音を立てながら投げ込みました。そして僕の前にウーロン茶をゴン!と置くと、「アタシも頂くわ……」と独り言のように呟きながら、ウィスキーの瓶をペリリッと開けたのでした。
 そのペリリっという音の後に、ふいに2階から「あぁん!」という声が聞こえました。
 僕の胸は咄嗟に押し潰されます。
(今のは空耳だ……今のは婆さんがウィスキーを開けた音だ……2階でマキが仕事をしていると思っているからその音がそう聞こえただけだ……)
 僕は心の中でそう何度も呟きながら、テレビから聞こえて来る「狙い撃ち」のトランペットの音に耳を集中させました。
 しかし、2階から聞こえて来るその声は、それを拒否しようとしている僕の耳に容赦なく飛び込んできます。
「あぁぁぁ!もっと!もっと!」
 その声と同時に、まるで地震でも来たかのようなズズズズズっという鈍い音が天井から響き、カウンターの後に飾ってあるグラスをカラカラと揺らしました。
「元気のイイ客やなぁ……」
 老婆はそう呟きながら天井を見上げ、そして呆れたような表情で僕の顔を見つめると、黄色い歯を剥き出しにして「シシシシシシシ」といやらしく笑いました。
「あぁぁ!ダメぇ!ムリ!いっちゃう!いっちゃうよぅ!」
 天井がグラグラと揺れ始めました。天井からぶら下がるサイケデリックな照明も、まるで電車の吊り革のようにブラブラと揺れています。
 ふいに泣き出しそうになった僕は、老婆の前であるにも関わらず、慌てて両手で耳を塞ぎました。
 それでも手の平の隙間から洩れて来る「死ぬ!死ぬ!」という声を掻き消す為に、僕は口を閉じたまま「ウララーウララーウラウララー」と、テレビから聞こえて来るトランペットの『狙い撃ち』を必死で口ずさみました。
「大丈夫。この店古いけど、まだまだ潰れへん」
 苦悩する僕を見つめながら老婆がそうケタケタと笑うと、2階から聞こえて来た「いくぅー!」という絶叫を最後に、その揺れは段々と治まって行ったのでした。

 それからしばらくすると、階段がギシギシという音を立て、その短い階段から浴衣姿の中年が降りて来ました。
「ひゃあ……暑い暑い……」
 中年男はそう言いながら汗ばんだ浴衣をパタパタとさせると、僕の隣にドスンと腰を下ろし、「水割りくれ」とカウンターの老婆に向かって言いました。
 中年男がパタパタと煽ぐ汗ばんだ浴衣の中から、生暖かい体温と共に微かにマキの香水の匂いを感じたような気がしました。
 僕はそんなマキの匂いを嗅ぐのが辛く、隣から漂って来る中年男の体温にソッと顔を背けました。
「それにしてもよぉ、あの子、若いのに大したスキモンだよなぁ……」
 中年男は老婆にそう話し掛けながら、目の前に出された水割りにチュと吸い付きました。
「あれで一晩に4人も5人も客取んねんやから、よう身体が持つわ……」
 老婆は呆れたようにそう答えながら、さっき飲んでいたウィスキーがまだカウンターの上にあるにも関わらず、「アタシも一杯頂こうかしら……」と、また同じセリフを呟きながら、キリリッとウィスキーの蓋を開けたのでした。
 中年男は「巨人勝ってるか?」と言いながらテレビを覗き込み、巨人が負けていると知ると「ちっ」と舌打ちしながらまた水割りに口を付けました。そしてふいに僕の顔を覗き込みながら、「あんたも行くの?」と、天井を指差して笑いました。
「……はぁ……」
 僕はカウンターの一点を見つめながら無愛想に答えます。
「ありゃ、最高だぜ。若いしカワイイしそれにいい匂いがする。しかもよ、中でOKだから、OK、うん。あんな子、東京にもなかなかいねぇぜ……」
 中年男は僕にそう言うと、何かを思い出したかのように急にデヘヘへへへへと笑い出しました。
 カウンターの老婆が「なんやねん、思い出し笑いなんかして気色悪い」と、ウフフと笑いながら水割りの氷を掻き混ぜると、中年男は僕に向かって目を爛々と輝かせながら、「とにかくすげぇ変態だよあの娘は」と嬉しそうに笑ったのでした。

 僕は聞くに耐えられなくなりました。その場で大声で泣き出したい心境です。
 僕は爆発しそうな気持ちを堪えながら「トイレはどこですか?」と老婆に聞くと、老婆は気怠そうに「奥」と、店の奥を指差しました。
 僕が慌てて立ち上がると、中年男は話し相手を僕から老婆へと変えようと、体勢をカウンターの老婆に向けました。
「とにかくよぉ、ケツの穴まで舐めてくんだぜ、俺ぁイボ痔だしよ、どーしよーかと焦ったよ、わはははははははははははははははははは」
 そんな中年男の下品な笑い声に耳を塞ぎながら、階段を横切ろうとした時、いきなり階段がミシッ!と鳴りました。
 顔を上げると、階段の上から覗き込んでいるマキと目が合いました。
 マキは不思議そうな顔をして大きな瞳で僕をジッと見つめていました。
 そして、やっと僕を思い出したのか「あっ!」と呟き、大きな目を更に開きながら、嬉しそうに微笑んでいました。
「糞まで舐めるんだからよ、ありゃとんでもねぇ変態だぜ」
 中年男がまた話し始めると、僕はその下品な話しをマキに聞かせたくないと思い、中年男の声を掻き消すかのように「こんばんは」と大きな声で叫びました。
 そんな僕を見て、またマキがクスッと笑いました。そしてマキはそんな笑顔のまま「もう上がって来てもいいよ」と階段の下の僕に手招きしました。
僕は階段の上のマキに「トイレ……行ってきます」と答えると、「あんなスキモノ女は淫売婦になるために産まれてきたようなもんだな」と叫んでいる中年男の声を背に、急いでトイレに駆け込んだのでした。

         9

 トイレの扉を閉めるなり、僕は自分の頭に拳を叩き付けました。そうでもしなければ、このやるせなさが消えてくれないと思ったからです。
 僕は汲み取り式便器から漂って来る香しいニオイに包まれながら、何度も何度も自分の頭に拳を叩き付けました。
 しかし、いくら僕がこんな所で自分を責めていても、僕にマキをどうする事も出来ません。実際、さっきのマキは僕の顔さえも忘れていた程で、マキにとったら僕など、身体の上を素通りして行くだけのただの客なのです。
 やるせない気持ちのまま、僕は便器の上に静かにしゃがみました。煙草を吸って落ち着こうと、ポケットの中を弄りますが、しかし煙草はさっき指のない河原乞食に箱ごとあげてしまったためありません。
 仕方なく、大きな深呼吸をしていると、便器の前に小さく書かれたラクガキが、ふいに目に飛び込んできました。
 そこには『地獄』と一言書かれていました。
 そのラクガキは誰がいつ書いたものなのか、初めてこの店のトイレに入った僕には知る由もありません。
 しかし、僕にはそのラクガキを書いたのはマキにしか思えませんでした。

 地獄。
 19才の少女は、いったいどんな気持ちでこの糞尿漂う薄暗い便所に『地獄』と書いたのでしょう。
 いつしか僕は目からは涙が溢れていました。
 辛かったろう……辛かったよね……
 そう呟きながら『地獄』というラクガキを指でなぞり、大粒の涙を便器の金隠しにボトボトと落としました。
 ふいに、中年男の「ケツの穴まで舐めてくんだぜ」という声が頭の中でリピートしました。
 その瞬間、僕の中で何かがプツリと切れ、僕は涙を拭かないままトイレを飛び出しました。
「さっきの人は?」
 中年男が座っていた席を指差しながら、カウンターの老婆にそう聞くと、老婆は「今帰ったよ」と気怠そうに言いました。
 僕が店を飛び出そうとすると、老婆が「2階、上がれるでぇ」と言ったので、僕は「すぐに戻ります」と答え、路地に飛び出したのでした。

 路地には浴衣姿の男がポツポツと歩いておりました。この薄暗い路地では、どれがさっきの中年男か区別が付きません。
 とりあえず、僕は河原の方へ走って行きました。浴衣姿の男を追い越す度に後を振り返り、さっきの男かどうかを確認します。
 5人くらい追い抜いた時でしょうか、見覚えのある黒ぶち眼鏡の男が路地の隅の電信柱に立ち小便しているのを発見しました。
(あんなスキモノ女は淫売婦になるために産まれてきたようなもんだな)
 そんな男の声と、下品な笑い声が僕の頭の中で響きました。とたんに頭にカーッと血がのぼり、僕は解き放された猟犬のように男に向かって突進しました。
 男の背中に後からおもいきりタックルすると、小便をしたままの男は「わあ!」と叫びながら、自分の小便が溜まっている地面に胸を押し付けて倒れました。
 驚いて振り向く中年男の太ももをおもいきり踏みつけると、男は「あわっ!」と叫びながら身体を蝦のように丸めました。
 そして「なにすんだ!」と踞ったまま叫びます。
 僕は革靴の踵を男のくるぶし目掛けて踏みつけました。ゴリ!という鈍い音が響き、男は声もなくビクン!と身体を跳ね上げると、くるぶしに手を当てたまま夜空に向かって「ウググググ……」と顔を捩らせました。
 仰向けになった男の股間から、タラタラと小便を洩らしたままのペニスがダラリンと項垂れています。
 そのチンポでマキを汚したのか!
 そう思うと僕は興奮のあまり咳き込みそうになりながら、一瞬何かが僕に取り憑いたかのように背筋がゾクッとしました。
 僕は何の躊躇いもなく、男のペニスをおもいきり踏みつけました。男はそこで初めて「ウギャー!」という悲鳴を路地に響かせ、網に掛かった伊勢エビのように小便臭い地面をのたうち回ったのでした。

(三話に続く)

          目次 3話

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