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Tokyo yakuza Style Vol.1

2012/01/04 Wed 02:20

    東京ヤクザスタイル1
 大理石の床は天井からのライトがキラキラと反射し、ガキの頃、なぜかいつもポケットの中にひとつだけ入っていたミルキーのようにクリーミーな色を輝かせていた。
 便座の上で膝に肘を付いていた俺は、静かな溜息を鼻から吐き捨て、改めてもう一度その床を見つめた。
 入口まで約3メートル。いや、正確に測れば4メートルはあるだろうか。
 俺は両膝立てながら、そんな長くてクリーミーな大理石の床を黙ったままジッと見つめていたのだった・・・



 そもそも、そのホテルを見た瞬間から、俺はこのホテルの構造計算はどこか間違えているのではないかという疑問に捕われていた。そう、このホテルは、妙に土台が細く、上階に行けば行くほど広がってはどんどん太くなっていたのだ。それが、逆八の字というのか、逆末広がりと呼ぶのかわからないが、つまり、簡単に言えばコケシみたいな建物で、今にも倒れて来そうで妙に危なっかしいのである。
 これにはさすがの俺も驚いた。今まで、三十年間ヤクザのメシを食って来たこの俺でもこんな変なビルを見るのは初めてだ。いや、ヤクザ歴三十年の俺だけじゃなくとも、四十年魚屋をやって来た親父でも、二年吉野家でバイトした学生でも、みんなみんなこのビルを見れば「なにこれ・・・」っとつい呟いてしまうだろうと思われる、そんな驚きのコケシビルだった。

 そんなコケシのようなビルに入るのは凄くイヤだった。こう見えても俺は新宿ではちったぁ名の売れたヤクザの兄ぃだ。そんな大都会の流行を先取りするようなファッショナブルなヤクザが、まさか地方の片田舎のコケシみたいなホテルにノコノコ入って行ったとあっちゃあ、俺を男に育ててくれた新宿のネオンに申し訳が立たねぇ。
 だからこんな奇妙な形をしたホテルには本来なら絶対に入らないのだが、しかし、組の掛け合いとなったら話しは別だ。
 極道の掛け合いは一歩間違えば命どころか組自体も存続が危ぶまれる。だから、事が掛け合いとあるならば、例え火の中水の中、コケシの中だって入っていかなくちゃならないのがこの渡世なのだ。
 だから俺は、組の為だと恥を忍んでこのコケシのようなホテルに入ったわけだが、しかし、やっぱりこのホテル、外見もおかしいが中身も変だった。
 まず、入口に入ってすぐのロビーには、大きなツキノワグマの剥製がガオッ!と言わんばかりに立ち上がっていた。これは明らかに変だ。客を威嚇してどうするんだ。
 まぁ、確かにホテル自体は、バブル時代にどこかのスケベ社長がアホみたいな資金を注ぎ込んで建てたかのような、それなりの豪華さは見て取れる。ロビーの床と壁は全面大理石ばりで、ロビーの中央にあるラウンジのシャンデリアなんて軽く億はしそうな豪華なシロモノなのだ。
 だから、せっかくここまで金を掛けて豪華な作りにしながらも、どうして入口でツキノワグマがガオーッ!という話しなのかということだ。
 そして更にこのホテルの変な所は、この豪華でガオーッなロビーに流れているBGMだ。普通、ここまで内装を豪華にこだわるならば、ロビーに流れるBGMは静かなクラッシックであろう。それがどこのホテルでも一般論だ。
 しかしこのホテルに流れるBGM、なんと民謡なのである。しかも、民謡のメロディーなら百歩譲って許せるが、なんとここに流れている民謡は「歌声入り」なのである。
 これにはさすがの俺も参った。今まで、三十年間ヤクザのメシを食って来たこの俺でもこんな変なBGMを聞くのは初めてだ。いや、ヤクザ歴三十年の俺だけじゃなくとも、二十年教師をやってる先生でも、五年プラスチック工場で働くイラン人でも、みんなみんなこの民謡を聴けば「なにこれ・・・」っとつい呟いてしまうだろうと思われる、そんな驚きのBGMなのだ。
 俺は、そんな民謡の背後に聞こえる「ハッサァーヨォ~イヨイッ!」という、妙に高音な親父の掛け声に二日酔いの脳味噌をイライラさせながらも、敵が待ち受けるラウンジへと颯爽と踵を響かせたのであった。

 ラウンジの入口には、三人の厳つい面々が俺を待ち受けていた。角刈り頭の中年と巨大なデブ、そして、おまえの前世は明らかにカニだよな、と言いたくなるような赤くて四角い顔をした若者が、ラウンジに入ろうとする俺にジリジリとガンを飛ばして来た。
 東京だったらこんな事はまずない。東京のヤクザはスマートだから、掛け合いの前に相手に威圧をかけるなど、そんな時代遅れなビーバップハイスクールのような恥ずかしい事はしない。しかも、彼らのその威圧は、ちっとも怖くないからこれまた悲しい。
 そもそも、彼らのそのファッションがどうにも怖くなく、全然威圧になっていないのだ。まず、角刈り頭のオッサン。いかにも「洋服の青山で買いました安かったです」、とわざわざ報告しているようなウグイス色のヨレヨレスーツに強烈に派手なヴェルサーチのネクタイ。しかもそのヴェルサーチのデザインは、生前のヴェルーチがデザインしたもので、当時は良くても今見るとなんだか浦安漁港で日干しされている大漁旗の柄のように見える。
 そして、その隣でK-1の試合直前の選手のような顔をして俺を睨んでいる巨大なデブ。こいつはなぜかジャージの上下だ。相方がスーツの場合、例えそのスーツがウグイス色のヨレヨレ青山であってもやっぱりジャージはよくない。例えばそれは、漫才コンビがお互いにまったく違うタイプのファッションでステージに現れた時のような違和感を相手に感じさせてしまうからだ。だから、仲間の中に1人でもスーツを着る者がいる場合は、やっぱり全員スーツじゃなきゃしっくりこないのである。
 しかし、それにも色々と事情があるんだろうと、俺はその巨大なデブ男の病的なウェストを見て思う。そう、洋服の青山にはこれほどまでのLLLLサイズのスーツは売ってないからだ。だから彼は、今時、板橋のヤンキーでも着ていないだろうと思われる、この真っ赤なB系ダブダブジャージ(バックプリントに「K」の文字)を着るしかなかったのであろうと、少し悲しくなった。
 そして、そんな彼らの前で仁王立ちしている先祖ガニ。こいつがこれまた酷い。なんとこいつは、まるで精神鑑定時に「これは何に見えますか?」と精神科医に見せられそうな、そんな「意味不明のグチャグチャな絵」がプリントされた糞派手なセーターを着ているのである。これにはさすがの俺も少し笑った。おもわず、「オマエ、そのセーター、二十年前に浅草で買ったヤツだろ?」と聞いてしまいそうな、そのくらいケバいのである。今時、そんなケバい柄のセーターを堂々と着ているのは、正月の香港グルメ番組に出てくる美川憲一くらいだろう。
 このように、こんな、いかにも田舎ヤクザといったファッションの男達が、どれだけ俺にガンを飛ばして来ようとも、どれだけ俺に威嚇を掛けて来ようとも、俺は全然怖くなかった。むしろ笑えて来たくらいだ。
 こんな中途半端なファッションで威圧するくらいなら、いっその事、三人の真ん中にロビーに置いてあったツキノワグマをガオーッ!と立たせておいた方がよっぽど俺はビビっただろう。そして先祖ガニがツキノワグマに向かって「おい、携帯貸せ」などと言い、すかさずウグイス色のヨレヨレ親父がツキノワグマの後からこっそり携帯をヌッと突き出し「どうぞ、アニキ」などと腹話術のように話したらば、三十年間ヤクザをやってるさすがの俺でも十秒くらいは「うわっ」とビビったであろう。まぁ、それが即座にできない所が、この田舎ヤクザという人種の演出下手というかハッタリを知らないというか、純粋なとこなのだろう。

 さて、そんなちっとも怖くないバカ三人を鼻で「ふん」とせせら笑い、さっさとラウンジへと入って行った俺は、ラウンジの左端のソファーで、これでもかというくらいにふんぞり返っては股をおっ広げているオッサンと、そして、まるで日本脳炎にかかったかのようにブルブル震えながら小さくなっている男を発見し、そのテーブルに無言で歩み寄った。
 そのテーブルに近付くなり、いきなりそのテーブルの斜め後のテーブルで2人の男がヌッと立ち上がった。その2人はこのふんぞり返るオッサンの側近なのであろうか、これまた宝塚歌劇団のような派手なネクタイを首からぶら下げている。
 そんな派手派手ネクタイの2人は、ポケットに手を突っ込んだまま肩を揺らしながら俺に迫って来る。1人の男は、今時どこで?と聞きたくなるくらいの見事なパンチパーマをあて、もう1人は、西部警察の大門がしているような、顔を半分隠すほどの巨大なパンダサングラスをしている。そんな2人はまるで吉本新喜劇に出てくるチンピラのような歩き方をしながら俺の前に立ち塞がった。

「どちらさんで?」

 パンダメガネの男が、顔を上下に動かしながら俺の顔を見つめ、その、ガソリンスタンドの休憩所で1ヶ1000円で売ってそうなパンダサングラスも同時に上下に揺らした。
 俺は、正直言って困った。いきなり見ず知らずの人に人定質問されたのである。しかも、股旅役者のような「どちらさんで?」というセリフで・・・
 いや、恐らく彼らは、俺が今日ココに会いにきた相手であろう。それは十中八九間違いない。っていうか、このラウンジには彼ら以外には客はおらず、約束した時間からしても、彼らが俺の相手なのは間違いない。
 しかし、もし俺が名乗ってからそれが全然見ず知らずの人だったらどうなるだろう。俺は丸っきりのバカだ。
 だから東京のヤクザ界では、相手に素性を尋ねる時は、まずは自分が名乗るという暗黙のルールがある。
 東京のホテルのロビーというのは、こんな片田舎のツキノワグマガオーッ!のホテルと違って、いつもムンムンと唸るように各団体のヤクザ者がトグロを巻いている。だから、掛け合いの相手を間違えてしまう事はよくあり、その為、「相手の名前を聞く時はまずは自分が名乗るようにしましょう」という、まるで小学生レベルのルールが自然に出来上がっていたのだ。
 そんな東京で長年ヤクザをやっている俺は、自分の名前も名乗らないヤツにいきなり人定質問された経験が少ない。
 だから、この時の俺は、どうしたものかと、一瞬、言葉を失ってしまったのだ。

 しかしそれが失敗だった。
 あまりのバカさ加減に、一瞬、言葉を失ってしまった俺を、なんとヤツラは「ビビった」と勘違いしたのだ。
「おうおう、名前も名乗れんのかい、こらぁ」
 いきり立ったパンチパーマが、「いったいそこには何がそんなに詰まっているのかな?」と不思議に思ってしまうくらいにパンパンに膨らんだショルダーバッグ(ハンティングワールドの偽物)を脇に抱えながら、各方面のニュアンスが混合した方言でそう怒鳴った。
 怒鳴るそんな彼は息が臭い。人間業とは思えぬような神経系を破壊する虫歯臭だ。
 三度の懲役よりも口臭が嫌いな俺は、突発的に彼からサッと顔を背けてしまう。
 しかし、そんな俺の仕草が、更にこの吉本新喜劇と宝塚歌劇団がミックスされたような2人を燃え滾らせた。
「なめとんのかコラぁ!」
 何もしていない。俺はただその臭い息から顔を背けただけだ。
 いや、本当に臭い。彼は虫歯どころかきっと歯茎が膿んでいる。
 マズい、吐きそうだ。っと、俺は顔を背けたまま目を綴じた。
 
 すると、そんな俺の仕草が更にそれがとんでもない勘違いを生んだ。
「おいおい、やめとかんかい、もうそのくらいにしといたれや・・・」
 いきなり、テーブルのソファーでふんぞり返っていたオッサンが、小指のない手の平をヒラヒラさせながら、俺に凄む2人を制止したのだ。
 そのくらいにしといたれや?・・・いや、ちょっと待ってくれ、俺は彼らに何か酷い仕打ちを受けたのか?
 いや、そりゃあ確かにいきなり人間業とは思えぬような口臭を受けて神経系にダメージを受けたよ、ああ、その通りだ、その口臭は、本当に「そのくらい」にしておいていただきたいくらい我慢の限界だ。しかし、待てよオッサン、あんたのその言い方は、それではまるで、俺がこの漫才師なのかオスカルなのかわからないような2人に、ボテボテにいわされていたような言い方じゃないか。それは、さすがに、三十年もの間、新宿の激戦区で修羅場を潜って来た俺にはちょっぴり心外だぞ、おい。と、俺はそう思いながらそのふんぞり返るオッサンを見た。

(す、すごい!・・・・)

 そんなオッサンを見た俺の第一印象はズバリこれだった。
 そう、なんとそのオッサン、アホの坂田にそっくりだったのだ!
 
 ・・・三十年ヤクザ渡世を張って来た俺だが、今までこれほどまでにアホの坂田によく似た男は見た事が無かった。
 しかもそれは、「えっ?もしかして本物?」と、思わせるほどのソックリさではなく、「えっ?もしかしてソックリさん?」と思えるくらいの微妙なソックリ加減で、そこがまた俺のツボを激しくくすぐった。

 そんなアホの坂田は、「兄ちゃん、東京から来た人やろ、まぁええから、こっち座らんかい」と、これまた微妙な関西弁で俺のツボをくすぐった。
 しかし、この場合の「まぁええから」というのはどう言う意味なのだろうか?
 今回だけは許してやるから、という意味なのか、それとも、そんなアホな2人相手にせんでよろしいから、という意味なのか。
 そんな言葉の意味が釈然としないまま、俺はとりあえずこのパンチな口臭から少しでも遠くへ逃げようと、そそくさとアホの坂田の前のソファーに腰を下ろしたのだった。

「ワシ、こういうモンだんねん・・・・」
 アホの坂田は、「だんねん」という、これぞ吉本!と言わんばかりの関西弁で、俺の神経に軽くジャブを仕掛けて来た。
 アホの坂田がテーブルの上に差し出して来た名刺は、まるで新興宗教の教祖様の名刺のように矢鱈目ったら金色のインクがキラキラと輝き、しかも、その組名には「何々系」ばかりがズラズラと連なっては大変読みにくい名刺だった。
 東京でこんな趣味の悪い名刺を持っているヤクザは、少なくとも俺の周囲にはいない。東京でこんな下品な名刺を持っているヤツというのは、売れない演歌歌手か、もしくは長距離運転手のキンキラトラック野郎くらいである。
 俺はそんなギャルのブリクラのような名刺を一瞥すると、最新モデルのグッチのスーツの内ポケットからさりげなく自分の名刺をスッと取り出し、それをテーブルの上に置いてはアホの坂田の目の前に滑らせた。
 俺の名刺はシンプルだ。組名は少々幕末チックだが、しかし少なくともそこに金色はない。

 アホの坂田はそんな俺の名刺を興味なさそうにチラッと一瞥すると、いきなりズズズッと凄い音を立ててアイスコーヒーを一気に啜り、そしてゆっくりと俺の目を睨んだ。
「で、今回の件でっけどな、この佐々木はんとこの社長はんとウチのオヤジとは古い付き合いですねん。ですから、今日はワシがオヤジの名代として立ち会わせて貰ったんでっけど、それはかましまへんな?」
 アホの坂田はそう言いながらふんぞり返り、俺の返事を待った。

 ふん。アホの坂田よ。おまえの魂胆はわかってるよ。おまえは今、「オヤジの名代」とわざわざ語った。それそれ、関西系のチンピラがよく使う手だ。それに対して、もし俺が「それは困る。関係のないあんたは引っ込んでてくれ」なんて言おうモノなら、アホの坂田よ、おまえさん、ここぞとばかりに「ウチのオヤジの顔潰すんかい!オヤジの顔潰す言う事はやなぁ、菱の代紋踏みにじる言うことと同じやでぇ!」と、まさに誇大妄想狂めいたデタラメな解釈と屁理屈で、鬼の首を捕ったかのようにいきり立つんだろう。ふふふふふ。わかってるよおまえら関西系のやり方は。自分の組は吹けば飛ぶよなちっちゃな組だから、どーあっても「菱の代紋」という方向へ持って行きたいんだろ。ふん、関西系が関東系によく使う古い手使いやがって・・・・

 そんな田舎ヤクザの手口を十分知り尽くしている俺は、そんな初歩的なアゲアシ・トラップにも引っ掛からず、素直にサラリと「あぁ、結構ですよ。ご自由に」と躱してやった。
 しかしこれがまたヤツラには通じなかった。俺は、オヤジでもオババでも菱でも三角でもなんでも御自由に、という余裕の意味を込めて吐いた言葉なのに、しかしヤツは、いや、このアホの坂田とその後に控える愉快な仲間達、は、それは俺が「ビビった」と、またしてもそう勘違いしたのだ。
 その証拠に、俺が「御自由に」と言った瞬間、アホの坂田と愉快な仲間達は、一斉に「ふふん」と鼻で笑いやがったのだ。

 しかし俺はそんなヤツラを無視した。というか、こんなヤツラを本気で相手にするのは、新宿で斬った張ったの渡世を長年張って来た俺のプライドが許さないのである。だからもう完全無視。こんなヤツラは無視に限るのだ。
 そう思った俺は、すかさず体の向きを、その佐々木という銀縁メガネに向けた。
「佐々木サン、この六枚の手形、どうするおつもりですか?」
 俺は、グッチのスーツの内ポケットから佐々木の会社が振り出した手形の束をチラっと見せ、そしてすぐに手形を戻すと、そのまま反対の内ポケットから煙草を取り出した。
「はい、それは重々承知しているのですが・・・なんとかその手形をジャンプして頂けないかと・・・」
 佐々木は、ずり落ちる銀縁メガネをコキコキとあげながら、その言葉を俺にではなく、アホの坂田に言った。

 そう、彼らは最初からシナリオが出来ているのである。
 どうせアホの坂田が「佐々木はん、あんさん、相手とはなーんも話さんでもよろしいでおます。ワシはあんたの代理人やさかい、話しは全部ワシがしますよってに、とにかくまかしておくれやす」と、滅茶苦茶な関西弁で佐々木にクンロクを入れているのだろう。
 だから佐々木は俺を見ない。佐々木はソフアーに座る体の向きを不自然にアホの坂田にジッと向けたまま、俺の目を1度も見ない有り様なのだ。

「まぁ・・・どうでっしゃろ。ここはウチのオヤジの顔に免じて、今回だけジャンプちゅう事にしてもらえへんやろか」
 さっそく口を挟んだアホの坂田は、またしても俺をそっち方面に引き込もうとした。俺がここで「それは無理ですね」と言えば、どうせアホの坂田は待ってましたとばかり「ウチのオヤジの顔を潰す言うんかい!ウチのオヤジの顔を潰す言う事はやなぁ、菱の代紋に泥掛ける言う事と同じやどぉワレぇ!」と噛みついて来るのだろう。ふん。アホらしい。
 そう思った俺は、完全にこのアホの坂田を無視した。
 そして佐々木の顔をジッと見つめながら「どうなんですか佐々木さん・・・」と、東京のヤクザらしくスマートに微笑みながら尋ねた。
「いや、それは・・・・」
 佐々木はシドロモドロになりながらアホの坂田を見つめる。
 するとアホの坂田は「だからやねぇ、今回はウチのオヤジの顔を立てて・・・」と、またバカの一つ覚えを唱え始める。
 俺はすかさずそんなアホの坂田の言葉を無視しながら「佐々木さん。ハッキリして下さいよ」と、佐々木を追い込んだ。

 そこでいよいよアホの坂田は自分が無視をされているという事に気付いた。
「おう、待ったれや、なんでワシの話し聞かんのや!」
 アホの坂田が真っ赤な顔をして身を乗り出して来た。
 それでも俺は無視を決め込む。立ち会うのは勝手だが、俺がこいつと話しをする義務はないのだ。だから、もう2度とおまえのそのギャグのような顔を見てやるものかと、ムキになって佐々木の顔ばかり覗き込んでやった。
 
 すると、アホの坂田もアホの坂田なりに次の作戦を考えていたようで、無視し続ける俺に「ふん」と鼻で笑いながら、いきなり後の若い衆に振り向いた。
「おい!加藤!ちょっと来んかい!」
 アホの坂田がラウンジの入口にそう叫ぶと、ラウンジの入口に仁王立ちしていた先祖ガニが「うっす!」と空手部のような低い声を唸り、そのまま小走りにやって来た。
 加藤と呼ばれた先祖ガニは、俺が座っているテーブルの前まで小走りにやって来ると、まるで懲役のように、123パン!とリズムを取りながらその場に気を付けをした。
「おい、マサル、例の委任状、出さんかい」
 アホの坂田はそう言いながら、先祖ガニに向かってジャラジャラと金のブレスレットがぶら下がる時代遅れな手を出した。

 ふん、今さら委任状かよ・・・こいつらもしかして時代劇の劇団員か?・・・
 などと思った矢先、ふいに俺の脳裏に、ある言葉が電光石火の如く走った。
 ・・・・マサル?・・・・・
 今、アホの坂田は、確かにこの先祖ガニの事を、マサルとそう呼んだよな?・・・・
 待て待て、ちょっと待てよアホの坂田、おまえは今さっき俺の目の前で、この先祖がカニのような顔をした若者を「加藤」と呼んだじゃないか・・・・
 って事は、この先祖ガニのフルネームは、加藤マサルっていうのか・・・・・・

 そう思った俺の胸の奥底で、いきなり何かが爆発した。
 嘘だろ!加藤マサル!まさかこんなところで腐ったミカンが登場するなんて「ガキの使い」のコントでもあるまいし!

 そんな俺は少しだけ「ススっ」と鼻で笑った。いや、その笑いは不敵な鼻笑いではなく、本気で笑ってしまったのだ。
 これはちょっとマズかった。ダウンタウンの大晦日の番組ではないが、こんな場で本気笑いをしてしまうというのは危険だ。そう、場面が場面なだけに笑いが次々と溢れては止まらなくなってしまうのだ。

 そう、思い起こせば、あれは俺がまだこの世界に入って間もない頃こんな事があった・・・

 神奈川を縄張りとしている、ある一家の総裁の組葬に連れて行かれた俺は、兄貴たちと共に焼香場のすぐ近くに座っていた。
 そんな焼香場に、関東全域から集まって来た蒼々たる親分衆が次々にやって来る。三下の俺は、兄貴から「あれは○○一家の総裁だ。あれは××連合の会長だ」とこっそり教えられながらもそんな有名親分達の顔をひとりひとり見つめ、そしてその顔と名前を頭に叩き込んだ。
 さすが名のある親分衆だけあり凄まじい迫力だ。新入りの俺はそんな親分衆の凄みに圧倒されながらも、そんなギャングスターたちに憧れの視線を送っていた。が、しかし、その親分衆の中に、ひとりだけどっからどう見ても親分に見えないオッサンが交じっていた。そいつは妙に体が小さく、その品粗で小市民的なつぶらな瞳と異様に赤いホッペはまさしく農協のおっさんだ。そしてあきらかにカツラだ。しかも安物のカツラ。凄みもなければ貫禄の欠片もなく、あれはどう見ても田舎の貧乏組員である。
 俺は、そんなおっさんを忌々しく睨みつけながらすかさず兄貴に言った。「アニキ。あのカツラ、焼香順番間違えてますよね」と。すると兄貴は酷く焦りながら素早く小声で俺に囁いた。「バカ、アレはウチの親分だ」と・・・・・。
 それからだった。俺はもうどうにも笑いが止まらなくなった。見る親分見る親分が可笑しくて堪らなくなり、親分衆が焼香場に立つ度に俺の肩が「くっくっくっくっ」と揺れる。ふと隣の兄貴を見ると、そんな兄貴も俺に釣られて肩を揺らしている。そんな兄貴の揺れる肩を見てしまった俺は更に笑いが膨れ上がり、「きゃは!」っと声を出して笑い始め、おまけに喪服のズボンにヨダレまで垂らしてしまった。
 しかし、それはさすがにシャレにならなかった。これは普通の葬儀ではないのだ。後をソッと見れば、恐ろしい数の極道がズラリと顔を並べている。前の席に座っては肩をヒクヒクと揺らす俺と兄貴は、そんなズラリと並ぶ極道達にジッと見つめられているのだ。
 「ヤバいっすよアニキ・・・」と、俺がアニキに振り向くと、兄貴は肩をブルブルと震わせながら、手の甲を顔に擦り付けては、なんと泣き真似をしていた。俺は、さすが兄貴だ!と兄貴のその頭の回転の速さに感動すると、俺も兄貴と同じように慌てて泣き真似をしたのだった。
 いきなり、俺と兄貴が2人して肩をブルブルと震わせては泣き出したものだから、2人は非常に目立った。周囲の極道達が不思議そうな顔をして俺と兄貴を見ているのがわかる。それでも俺と兄貴は、洩れる笑い声をすすり泣きに真似ながら最後まで笑い続けたのだった。
 そんな兄貴は、その葬儀の翌日、その行為を幹部から咎められ、潔く小指を落とした。必死で謝る俺に兄貴は半分に千切れた小指をジッと見つめながら「義理場で笑ってエンコ弾いたなんて、恥ずかしくってジュク歩けねぇよな・・・」と、恥ずかしそうにニヤリと笑った。
 それが俺と兄貴の「小指の思い出」だ。そう、つまり兄貴は、まだ三下のこの俺に、身を犠牲にしてまでこの渡世の厳しさというものを教えてくれたのだ。と、俺は三十年経った今でもそう思っている。

 そんな兄貴のミジメな小指を見ていた俺には、場違いな笑いがどれだけ危険なものかという事を身を持って知っていた。だから、今この時にふいに爆発してしまった笑いにどうしょうもなく焦りを感じたのだ。
 しかし、まさかここで兄貴のように泣き真似をするわけにはいかない。そんな事をすれば、こいつらは更に勘違いをし、手が付けられないくらいに付け上がってしまう。
 しかし相手は加藤マサルだ。荒谷二中から桜中学三年B組に転校して来た腐ったミカンの加藤マサルと同姓同名なのだ。しかもその顔はカニだ。なぜだか妙に赤ら顔をした四角いカニ顔なのである。
 これが笑わずにいられるか!

 そう思った瞬間、俺はいきなり立ち上がった。
 俺のその勢いに、アホの坂田と愉快な仲間達は一瞬どよめきたち、銀縁メガネの佐々木などは何を勘違いしたのか「すびません!」と、地震の避難訓練をする小学生のように両手で頭を抱えた。
 「ちょっと失礼・・・・」
 俺は全員を見下ろしながら低くそう呟くと、すかさずヤツラに背中を向けた。その瞬間、再び「うっ」と笑いが込み上げ、おもわず俺のハードボイルドな顔がだらしなく歪む。

 俺は迷う事なく、フロント横にある「WC」と表示された通路に足を向けた。そんな俺の背後から、アホの坂田がせせら笑うように「小便ちびってもうたんかも知れへんぞ」という下衆な言葉が聞こえて来たのだった。

 俺は通路を曲がると、おもいきり「ぶひゃ!」と噴き出した。そしてゲラゲラと腹の奥から笑いを搾り出しながら崩れ落ちるかのようにトイレの個室へと飛び込んだ。

「加藤マサルは反則だろ!」

 1人でそう呟きながら便座の蓋をバンバンと叩きながらヨダレを垂らして大笑いすると、ふいにウンコがしたくなった。そう言えば、今朝は新幹線の時間に遅れそうだったからまだウンコはしていなかったのだ。
 昨夜は韓国クラブでかなり飲み、そして大量の韓国料理を喰い漁った。今朝は最上級の二日酔いで、まだ消化しきれていないキムチ混じりのイカやタコやニラなんかが胃の中でタプタプとしており、目覚めにそれらを便器におもいきり吐き散らしたい気分だったが、しかし新幹線に間に合わないという事から、仕方なく「緑のサクロン」を二袋胃に流し込んでは部屋を飛び出したのだ。
 
 そんな俺は、掛け合い中でありながらもウンコをする事にした。あんな劇団員のような田舎ヤクザを相手にするよりも、今は我のウンコのほうが大切なのだ。
 俺はズボンを脱ぐと素早くパンツも脱いだ。
 いつも俺は全裸でウンコする派だ。そう、ヤクザのくせに妙に神経質な俺は、洋服を着たままウンコをすると服にウンコが付いてしまうのではないかという強迫観念に襲われ、ゆっくりとウンコができないのである。
 しかし、極道のメシを三十年喰って来た俺でも、さすがにホテルのトイレで全裸になるというのは少しばかり気が引けた。だから俺はかろうじて下半身だけを脱ぐ事に留まる事とし、スーツの上着にポコチン丸出しという、まるで香港映画の間男のような姿で便座に腰掛けたのだった。

 便座に座るなり、俺はおもわず「ひやっ!」と声をあげ、その腰を慌てて浮かせた。
 そう、なんとこのホテルのトイレには、ウォッシュレットはおろか便座を温める機能すら付いていなかったのである。
 バッカぢゃねぇの!とヒステリックに叫んでみるが、しかし、俺のウンコは冷たい便座に座るなり直ぐに出た。
 普通ならばこのような状態に置かれていたらウンコなどなかなか出るもんじゃないが、しかし俺の腸は長い懲役暮らしでそれなりの修羅場を潜っている。俺の腸はどんな劣悪なシーンでもとりあえずウンコだけは出るように訓練されているのだ。
 ボトボトボトっというウンコが便器の水の中に落ちて行くダイナミックな音の後に、ピチピチピチというケチ臭い音が個室に響いた。そう、昨夜の韓国料理で刺激を受けたせいか、今日の俺は少し下痢気味だったのだ。
 俺は下痢に肛門を余儀なく刺激されながらも、便座に座ったまま便器の中をソッと覗き込んだ。そう、俺はヤクザでありながらも毎日の健康チェックは怠らず、必ずウンコは見るように心掛けているのだ。
 股にぶら下がるらっきょのような品粗なチンコの隙間から便器の中を覗くと、白い便器に緑色の物体がグチャグチャに飛び散っていた。そう、緑のサクロンを二袋も飲んだ為に、ウンコが緑色に変色してしまっているのだ。
 これはグロテスクだった。さすがのヤクザ歴三十年の俺でも緑色の下痢ウンコにはおもわず目を背けてしまったのだった。

 と、その時だった。そこで初めてソレに気付いた俺は、一瞬、愕然としてしまう。
 そう、壁に取付けてあるトイレットペーパーカバーの中には、茶色くて固い「芯」だけが無情にカラコロと転がっているだけだったのだ。
 冗談じゃねぇぞ!
 俺はそこで初めてヤクザとしての牙を剥き出した。これまでこの奇怪なホテルに入ってから忌々しい出来事が次々と起きていたが、しかし俺はその度に、東京のヤクザとしての誇りを持ち、東京ギャングスタイルを貫き通して来た。そんな我慢に我慢を積み重ねて来た俺だったが、しかし、この仕打ちはさすがに我慢の限界を超していた。
 俺は、内ポケットの中から携帯を取り出した。このホテルのフロントに電話を掛け、今すぐトイレットペーパーを持って来い!と、職務怠慢な田舎のホテルマンたちに東京ヤクザの恐ろしさを教えてやろうと思ったのだ。
 が、しかし、携帯を開いてすぐに青ざめた。そう、ここは圏外なのである・・・。
 今時、携帯が繋がらない場所というのが、どれだけ反社会的な場所であるかということをここのホテルのオーナーは果たして知っているのだろうか。床や壁を大理石にする事よりも、ツキノワグマの剥製をガオーッ!とさせる事よりも、携帯が使える事にするほうがどれだけお客様にとってのサービスになるかという事を、ここのオーナーはわからないのか!この頭でっかちのコケシホテルめ!
 ・・・・と、俺が忌々しく叫んだ時、目の前のドアの横の壁に備え付けられていた棚に、真っ白に輝くトイレットペーパーのストックがポツンと置いてあるのが見えた。
 なんだよ、ちゃんとあるじゃねぇかコケシ野郎・・・・
 安心しながらホっと肩をなで下ろした俺は、しかし、今の俺が座っている便座からその棚までの距離が、異常に長い事にふと気付き、撫で下ろした肩を再び怒りで尖らせたのであった。

 俺は、ドアまで約四メートルはあろうかと思われるその大理石の通路を静かに見つめながら、どうやってあそこまでトイレットペーパーを取りに行こうかと考えていた。
 そう考えながらも、どうしてこのトイレの個室はこんなに縦長でなければならなかったのだろうかとふと考え始めたが、しかしそんなことヤクザの俺にわかるはずがない。

 そうこうしているうちに肛門がヒリヒリしてきた。
 いよいよ肛門様が乾いて来たのだ。
 ビチビチうんこが乾き始めた肛門のカユミというのは、まさしくオヤジのデリケートなカユミと言えよう。ウンコをしながら週刊誌を読んだり新聞を広げているお父さんなどは毎朝このカユミに悩まされているのだ。しかし、そんなデリケートなカユミを解消するべく優れものが現れた。そう、ウォシュレットだ。
 ヤツは偉大だった。ヤツの働きはまさに肛門革命と呼んでも過言ではないくらい、そのくらい我々肛門のカユミに長年苦しめられて来たオヤジ達にとっては偉大な働きだった。
 しかし、悲しいかなそんな偉大なウォッシュレットはこのコケシホテルのトイレには付いていない。
 携帯も繋がらずウォッシュレットもなく、しかし床だけはピッカピカの大理石というのは、これはあまりにも優先順位を間違え過ぎではないだろうか。
 
 痒い。半端じゃなく肛門が痒い。しかし爪で掻くわけにもいかない。俺はそんなデリケートなカユミに悶え苦しみながら、四メートル先にある棚へ進もうと便座からゆっくりと腰を上げた。
 すると、そんな俺の脳に、いきなりフラッシュバックの如くある映像がパッと浮かび上がった。

 立ち上がる俺・・・買ったばかりのフェラガモの靴にポタリと落ちる水状の下痢グソ・・・・

 俺は確かにそんな映像を見た。

 確かにそうだった。俺の肛門でジュブジュブと燻っているアメーバーのようなスライムのようなミドリの下痢ウンコは、俺が立ち上がった瞬間に無情にも肛門から投下され、あのヒロシマ・ナガサキの惨劇を彷彿させるかのように、買ったばかりのフェラガモの靴や俺の太ももを爆撃する可能性があったのだ。
 しかも俺は、ヤクザ激戦区の新宿でもちったぁ名の売れたファッショナブルなヤクザの兄ぃだ。そんな俺にミドリの糞をポタポタ垂らしながら、どの面下げてこの四メートルの道のりを進めというのだ。
 俺はヤクザだ。腐ってもヤクザだ。三十年のヤクザ稼業で、俺が最も大切に守り抜いて来たのはヤクザとしてのプライドだ。そのプライドを捨ててまでも、俺は、この大理石の床にポタポタとミドリのアトミックボムを投下しながら、年老いた猿のようにヨタヨタと中腰で歩かなければいけないというのか!
 冗談じゃない、そんな惨めな姿を晒すくらいなら今ここで腹をかっ捌いて自決してやる。

 そんな怒りに満ち溢れていた俺の耳に、大理石を靴の踵がカツコツと響く音が聞こえて来た。
 その足音はトイレの中をあっちこっちと歩き回り、そんな足音は俺の個室の前でふいに止まった。

「コンコン・・・・」

 三つある個室のうち、扉が閉まっているのは俺が今いるこの個室だけだ。そこをわざわざノックするという事は、明らかに俺を捜そうとしているに違いなかった。
 
「コン!コン!」

 反応がない事で、再びノックされるその音にはイライラ感が含まれていた。
 しかし、今の俺はノックを返そうにもドアに手が届かないのだ。

「ドン!ドン!」

 コンコンはドンドンに変わった。
 ドアのノックというのは携帯の着信音くらい焦らされる音であり、無視を決め込むのにはなかなかの精神力が必要だ。俺にそんな精神力はない。三十年間ヤクザをやってはいるが、実は結構気が小さいのだ。
 そんな気の小さな俺は、激しいノック音に焦らされながらも、何と返事をしようかと悩んでいた。
 何度も言うが俺はヤクザだ。そう、ヤクザ者には、「公衆トイレでウンコをしている最中のノックの返答」というマニュアルがないのだ。

 俺はノックされる回数が増える度に何と返答しようかと焦った。焦りながら返答をアレコレ考えた。

「コンコン・・・・・」
「入ってるぜ・・・・」
 これは日活の石原裕次郎のようで何だかイヤだ。ウンコしてるくせにキザだ。

「コンコン・・・・・」
「誰だ!」
 これも、必死なゴルゴ31みたいで格好悪い。
 
「コンコン・・・・・」
「入ってます」
 うん。これが一番普通っぽくていい。ただ、「ます」という敬語を使うというのは、ヤクザとしてちょっとプライドが傷つく。なんか、日頃は「俺はヤクザだ!」と威張り散らしてるくせに、ウンコしてるときだけ急に弱気になって敬語使うというのは、のび太に威張りながらも母親を怖がるジャイアンみたいで情けない。

 ならば、

「コンコン・・・・・」
「入ってる」
 いや、これは変だ。ウンコしながら納得してどうする。

 などと考えていると、いきなりドアの向こうから凄みの利いた声が響いて来た。

「何してんのや・・・・」

 何してるってウンコに決まっているだろ!
 と、言い掛けて俺は言葉を呑んだ。

 その声は先祖ガニの加藤マサルだった。ヤツはあまりにも俺のトイレが長い事から様子を伺いに来たのだ。
 そう、これは所謂ひとつの法則だった。
 ヤクザの世界では、「掛け合い中に相手がトイレに行ったら気を付けろ」という法則があり、それは「ドン・コルレオーネの法則」と呼ばれていた。
 そう、映画「ゴッドファーザー」の中で、イタリアンレストランで掛け合い中にマイケルがトイレのタンクに隠しておいた拳銃で相手をバンバンバンっと殺っちまうアレだ。
 だから加藤マサルは「ドン・コルレオーネの法則」に則って、トイレの長い俺の様子を伺いに来たのだろう。
 因みに、この「ドン・コルレオーネの法則」には、他にも「車のエンジンを掛ける時には車から離れろ」や「ベッドに馬の生首がないか確認しろ」と沢山あるが、それは次の機会にゆっくり紹介するとしよう。

 さて、本当にウンコしていた俺は、たちまち窮地に立たされた。
 ヤクザは男を売る稼業だ、口が裂けても「ウンコをしてる」などと人に言ってはならない厳しい世界なのだ。
 まして今の俺は下痢だ。しかもそのウンコは緑色だ。こんな事実を人に知られようものなら、俺はもう二度とこの世界でメシを食っていけなくなる。それが東京ヤクザのスタイルというものなのだ。
 しかし関西ヤクザのスタイルは違った。
 なんと加藤マサルは、ぬけしゃあしゃあと「ババしてんのか?」とこの俺に聞いて来たのである。
 しかもその表現は「ババ」であり、俺たち東京のギャングスターにとったら「死」を意味するくらいのそんな屈辱的な表現なのだ。

「今行くから待ってろ・・・」

 俺は怒りを抑えながら加藤マサルに答えた。そう答えた以上、もう猶予はなかった。下痢グソがポタポタと垂れ落ちようとも、一刻も早く四メートル先のトイレットペーパーを手にし、素早くケツを拭いてしまわねばなるまい。ケツに糞が付いたままの今のこの状態では非常に不利なのだ。

 意を決した俺は、これでもかというくらいにケツを窄めて便座から立ち上がった。
 雫が足れぬよう、後に回した両手で尻肉を左右から押さえつけ、そのまま背筋をピーンと伸ばした姿勢でヨタヨタと小走りにドアに向かって進んだ。
 しかし、慎重のうえにも慎重を期したつもりだったが、無情にも俺の尻肉の谷間からは水状のウンコは垂れ、俺が歩んだその床には、まるでチルチルミチルがパン屑を置いたかのように緑色の雫がポツポツと落ちていた。

 俺は、そっと後に振り返りながら自分の足跡を恨めしそうに見つめ、早く東京に帰りたいと素直に思った。
 と、その時、いきなり右側の個室の壁が「ドガっ!」と揺れ、なんとその壁と天井の隙間から、あの平家ガニのような顔をした加藤マサルが顔を出したのである。
「うっ!」と思考停止してしまった俺を見つめ、同時に平家ガニも「あっ」と停止した。
 見つめ合う2人にどれだけの時間が流れたかはわからないが、しかし俺にはその時間が途方もなく長く感じられた。

 そんな加藤マサルの視線がゆっくりと動き出した。両手で尻肉を押えたままの俺はフルチンだったが、しかし幸いにもヤツの位置からは俺の純正な皮かむりを見る事は出来ない。それだけが何よりの不幸中の幸いだった。
 しかしヤツの視線は、床に垂れている下痢糞を見つめ、そしてチルチルミチルのパン屑を辿るかのように、その目線は「お菓子の家」ならぬ便器へと進み、そして「ギョッ!」と目を開いた。
 その名の通り「上から目線」の彼には、主人のいない便器の中が丸見えだったのだ・・・。

 彼が呆然と見つめている便器の中が凄い事になっている事は、主人である俺にも想像がついた。
 きっと、消化剤のサクロンによって変色された昨夜の韓国食材は、健さんに長ドスでズバッ!と叩き斬られては白い障子に飛び散らす「血しぶき」のように、白い便器のあちこちに緑糞を激しく飛び散らせ、そしてその中心の水の中には緑色の下痢状物体がグニャグニャと固まっては妖怪人間ベムのオープニングのように怪しく蠢いているのであろう。
 まさしく、俺が今まで座っていたその便器の中は、「ツワモノ共がユメのアト」であるだろうとそう確信した俺は、不幸にもそこを覗いてしまった加藤マサルに少しだけ同情した。

 そんな便器を覗き込んだ加藤マサルは、「うっ!」と呻きながら右手を鼻と口にあてた。
 当然だ。ニオイというのは上へ行くものであり、まして天井の換気扇近くに顔を置いていた加藤マサルは直撃であろう。
 ヤツがその韓国食材の洗礼を受けている隙に、俺は素早くトイレットペーパーを手にすると、その端を手に巻き付けてはクルクルクルっと急いで巻いた。しかし、その勢いが激し過ぎた為か、俺の手からトイレットペーパーは飛び出して行き、ペーパーを繋いだままクルクルと大理石の床を転がって行く。便器に向かって転がって行くトイレットペーパーのその姿は、まるで庭園から「ししおどし」の音がカコン!と聞こえる赤坂の料亭で、脂ぎったスケベ代議士から乱暴に帯を解かれては、座敷の上をコマのように「アレぇ~・・・」っとクルクル回る芸者のように哀愁を帯びていた。

 俺はそんなトイレットペーパーを見つめながらも、かろうじて手に巻いていたその紙の端を尻のワレメに押し込んだ。そんな俺の尻からは長い長いトイレットペーパーが連なり、それはまるで尻尾のようだった。
 そんな無惨な俺に、カニのような瞑らな瞳をソッと向けた加藤マサルが小さく呟いた。

「あんた、草食動物か?」

 俺は、おもわず「うん。ベジタリアンなんだ」と答えようとして慌てて言葉を呑み込んだ。
 そう、東京のヤクザ者でベジタリアンなヤツは、少なくとも俺の周りにはいないからだ・・・・


 トイレから出てくると、相変わらずラウンジには下品なパワーが満ち溢れていた。
 ラウンジ前で立っているデブとウグイス色は、灰を大理石の床にパラパラと落としながら煙草をプカプカと吸い、そして、虫歯臭のキツいパンチの男は、ラウンジの隅で脅えているウェイトレスに「姉ぇちゃん、プリンアラモード早よしてぇやぁ!」と大声で叫んでいる。
 そんな、黒澤明が描く無法者のような彼らは、俺がトイレから出て来たのに気付くと、それまでのホノボノとした表情を一瞬にして険しくさせては、体勢を整えた。

 俺は早足でテーブルに向かった。加藤マサルよりも早くソコに行かなければ、ヤツラに俺のウンコが緑色だと言う事が知れ渡ってしまう。
 そんな早足で近付いて来る俺に、ヤツラは身構えた。そう、ヤツラは「ドン・コルレオーネの法則」を怖れていたのである。
 しかし俺はそんなヤツラには見向きもしなかった。俺はテーブルの前に立ったまま佐々木の顔を見下ろし、「今回だけは、彼のオヤジさんの顔に免じてジャンプしましょう。ただし次回は待てませんから」と、早口でそう告げた。
 それを聞いた瞬間にアホの坂田の顔がパッと明るくなり、銀縁メガネの佐々木が搾り出すような声で「ありがとうございます!」とアホの坂田の手を握ったのだった。

 「いやぁ~!気ぃ使こうてもろうて悪かったなぁ~」
 アホの坂田が嬉しそうに笑いながら立ち上がり、急に俺とフレンドリーになろうと近付いて来た。
  俺はすかさず踵を返すと無言でラウンジの出口に向かって歩き始め、そんなアホの坂田を最後まで無視してやった。
 ラウンジの出口には、いつの間にかトイレから脱出してきた加藤マサルが立っていた。俺はそんな加藤マサルを横目でチラッと見つめながら通り過ぎ、そして心の中で加藤マサルに囁き掛けた。

「おまえ・・・いい仕事したな・・・・」

 ホテルのロビーでは相変わらずツキノワグマが訪れる客をガオーッ!と威嚇していた。
 俺はそんなツキノワグマの背中を見つめながらホテルの出口へと進み、このセンスは東京ギャングの俺にはわからない、とシミジミ思った。

 出口の自動ドアの前に立った俺は、もう一度、そんな趣味の悪いホテルを振り返った。
「もう2度と来ないからな・・・・」
 俺がそうコケシホテルのロビーにそう呟いた瞬間、ラウンジの奥から「緑色の・・・」っという声が、ロビーに流れる民謡の「ハッサァーヨォ~イヨイッ!」という掛け声に交じって俺の耳に飛び込んできた。
「もう2度と来れないな・・・・」
 俺はそう呟き返すと、素早くホテルを出た。

 ホテルを出た瞬間、関西独特のヌルッとした生温かい風が俺を包み込んだ。
 俺はヤクザ歴三十年の東京ヤクザだ。
 このヌルッとした生温かい風もツキノワグマのガオーッ!もコケシのホテルもアホの坂田も口の臭いパンチパーマも洋服の青山も不意に現れる加藤マサルもやっぱり俺のスタイルには合わない。
 早く新宿に帰ろう。
 そう思って歩き始めた瞬間、俺は歩道に吐き捨てられたネズミ色の痰を踏んでしまったのだった。

(Tokyo yakuza Style Vol.1・おわり)


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