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私のいちばん長い日

2012/06/30 Sat 15:46

私のいちばん長い日

(解説)
彼は、自宅のトイレでしかウンコができないという神経質なサラリーマン。
そんな男が、仕事先の浅草で急にウンコが・・・
ひたすらウンコを我慢する男の苦笑小説。






(本編)
とにかくそこらの看板や自転車を蹴飛ばしてやりたい心境だった。
狭い歩道。すれ違う人々。
子供であろうと女であろうと、たとえ老人であろうと容赦なくぶん殴り、そのまま飛び蹴りを喰らわせて車道をビュンビュンと走るトラックの車輪に巻き込ませたい、そんな心境だった。
東京の空は青い。
やたらと眩しい太陽と妙に白い雲。時折、ビックリするような突風が襲いかかり、その度に私は驚いて首を窄めていたのだが、しかし、その突風は、ビルとビルの隙間から襲い掛かってくるものであり、その部分に差し掛かる時にそれなりの心構えさえしていれば、然程驚くようなものでもないと悟った時、狭い歩道は終了し、大きな交差点に出会した。
交差点の前に聳え立つファッションビルには、最近、テレビでよく見る女が、品粗な胸をピンクのビキニで隠しながら今まさにビーチボールを叩こうとしている瞬間の写真が、巨大なポスター看板となって掲げられていた。
下品な顔だった。知性の欠片もない笑顔。歯並びが悪くソバカスも多すぎる。
あんな気分の悪い顔を強制的に見せられる通行人の気持ちというものを、企業は少しでも考えた事はあるのだろうか。
そう思った瞬間、またしても私の腹がギュルルルルルルっと不安な音を立てた。
その音は、一刻を争うといった、そんな危険な音だった。
過去にも、散々この音に悩まされて来た私には、今回のこの音が、かなり危険な音であると予測できた。
過去。そう、それに悩まされ始めたのは、今から30年ほど前の小学生の頃からだった。
元来、私は人様の家のトイレでウンコができないという性格の持ち主だった。
たとえそれが民家でなくとも、学校や映画館、駅や公園の公衆便所という場所であってもそれは同じ事だった。
私は自宅のトイレでなければ、絶対にウンコができない性格なのである。
それは小学生の頃からだった。
私は、どうしても学校のトイレでウンコをする事ができず、どうしてもウンコがしたくなった時は先生に嘘を付いて早退するほどであり、そんな私は、学校のトイレで平気でウンコをしている同級生に憧れさえ感じているほどだった。
しかし、中学生にもなると、それなりに『腸』も空気を読んでくれるようになり、小学生の時のような『いきなりウンコ』といった過激な行動は慎んでくれてはいたものの、しかし、放課後ともなると、きっと『腸』も気が緩んだのだろう、何の前触れもなくいきなりウンコがしたくなったりした事が多々あった。
そんな時は迷わず私は家に帰る。
部活動などという、人生に何の意味も持たないくだらない『球拾い』をするくらいなら、まずは、今、自分の体内で起きようとしている最悪な事件を解決する方が先決なのだ。
だから私は、放課後にウンコがしたくなると、部活動も掃除当番も全てを放棄し、一目散に家へ帰ったものだった。
これが、高校や大学、そして社会人と、大人になるにつれ、私の『腸』もそれなりに成長し、私の中で『突然ウンコ』という悲劇は消えて行った。
しかし、だからといって会社のトイレではウンコはできない。
会社のトイレだけでなく、ホテルのトイレでもウンコができない。
というか、「できない」のではなく「出ない」のだ。
自分で言うのもいやらしい話しだが、私の『腸』というヤツはなかなか出来たヤツで、その空気を即座に察知してくれるという優れたヤツなのだ。
たとえば、出張で地方のホテルに泊まった時なんかは、素早く便秘モードに切り替えてくれるといったように、私のその状況に合わせて、『腸』はウンコを調節してくれるのだ。
だから、2日間の出張中は『急なウンコ』という最悪な事態に何ら怖れる事なく私は仕事に集中できたのだった。
バリバリと仕事をこなし、やっと出張先から自宅に辿り着くと同時に、その出張中の2日間、溜りに溜っていたエビチリやシューマイといった出張先の思い出の産物が、ドバドバドバっ!と豪快に出てくれ、その爽快感といったら、おもわず『腸』に向かって「あっぱれ!」と叫んでしまうほどの、それくらいの気持ち良さだった。
そんな『腸』は、私にとって相棒と呼んでもいいくらいの、いや、それ以上に私を支配していると言ってもいいくらいの、偉大な存在だった。
そんな偉大な腸が、今日はどうも様子がおかしい。
今日は、いつものように会社には出勤せず、直接自宅から浅草にある作家の家へ寄って原稿を頂いて来たわけだが、その帰り道、その作家がいつも「うまいうまい」と絶賛している蕎麦屋に、ふいに立ち寄ったのがいけなかったのかもしれない。
その蕎麦屋は、創業220年という途方もない歴史を持つ浅草の老舗蕎麦屋で、作家曰く、「店とババアは汚いがソバは天下一品」らしく、その話しを作家から聞く度に、一度はそのソバを啜ってみたいと、いつも食い意地の張った唾を飲み込んでいたのだった。
その日、原稿を頂いた帰り道、さっそくその店に行ってみようと、作家が教えてくれた道順の記憶を頼りに細い路地を突き進んだ。
それにしても浅草の路地裏というのは猫が多い。しかも、浅草の猫というのは、人を見ると露骨に嫌な顔をするのだが、あれはなぜだろう。
そんな事を考えながら、いちいち私の姿を見て驚く野良猫達に「死ね」と捨て台詞を吐いては路地を進んだ。
やっているのかやっていないのかわからないような電気屋さんを発見した。店の前でひっそりと佇む、朽ち果てたビクターの犬の置物にはマユゲのラクガキがマジックで書かれ、妙に不気味だ。
確か、この電気屋の横の路地の突き当たりだったはずだぞ・・・・と、私が電気屋の横の細い路地に入ると、電気屋の裏の長屋の玄関から、いきなり薄汚い犬が飛び出し、クサリを引き千切らんばかりにギリギリと引っ張りながら狂ったように私に吠えまくった。
それは少しノイローゼ気味の雑種らしく、体の所々の毛が抜けては酷い姿を晒していた。
こんなジメジメとした路地裏で、一日中クサリに繋がれていちゃ、狂っても仕方ないだろうな・・・
そんな同情心で彼を見つめながら、私は、狂犬アトラクションを素早く切り抜けた。
狭い路地には、長屋の住人達が育てている大量の植木が溢れ出て、通路を違法に占拠していた。
あきらかに道路交通法違反だ。
そんな長屋の、開けっ放しの玄関からは、プ~ンと家庭の匂いが漂って来た。
ふいに、子供の頃に住んでいた下町の実家を思い出させる、そんな昭和の香りだ。
そんな長屋を覗きつつ、どんどん奥へ進んで行くと、いきなり路地で歯磨きをしている老人に出会した。
老人は唇の回りを泡だらけにしながらガシガシと歯を磨き、いきなり迷い込んで来た余所者の私をジロリと睨んだ。
「どこ行く?」
老人は、青い縦縞のパジャマのズボンにランニングシャツといった下町の老人独特のファッションで、唾液の混じった泡をブチッと唇から溢れさせながら、迷惑そうにそう聞いた。
「この辺に蕎麦屋があると聞いて来たのですが・・・」
わざわざそんな輩に敬語を使う必要はなかったが、しかし、できるだけトラブルは避けようと常日頃から心掛けている私は、低姿勢でそう老人に尋ねた。
老人は、痰と唾液が混じった泡を、ネバーッと路地に吐き出しながら、無言で奥を指差した。
私は、老人が吐いたその泡の一部に鮮明な赤色を発見し、歯ぐきから血が出てるな・・・と、推測すると、「どーも」と、軽く会釈をしてさっさとその場を立ち去った。
その蕎麦屋は、歯磨き老人の家から2軒隣の小さな長屋の一角だった。
墨字が滲んで読み取れない看板と、ボロボロの暖簾が、その歴史を物語っていた。
立て付けの悪い引き戸をガタガタと音を立てながら開ける。
店内は昼時というのに客は1人もおらず、電気すら消えている状態だった。
いきなりカウンターに座っていたおばさんと目が合った。
普通、この場合、「いらっしゃい」と言うのが世間一般の常識なのだが、しかし、その店にその一般常識は通用しないらしい。
気怠い顔をしたババアは、私の顔をジッと見つめたまま、膝の上に置いた両手の指をクルクルと回していた。
「やってますか?」
確か、私はそう声を掛けたはずだ。
今思えば、その時点でその店を去るべきだったのだ。
ババアはその時始めて私を客として認めたらしく、「いらっしゃ」と最後の「い」を言わないうちにスクッと立ち上がったのだった。
ソバは最悪だった。
最初、作家が「うまい!」と教えてくれた天ぷら蕎麦を注文したのだが、カウンター越しのババアに「今日はできない」とあっけなく断られてしまい、仕方なく月見そばにしたのだが、これがまた今までに食べた事のないくらい凄まじくマズいソバだった。
まず、ダシは煮詰まり過ぎてやたらと醤油辛い。
ソバは手打ちでもなんでもなく、そこらの製麺所で大量生産されているような、そんな機械的な食感だった。
ダシもソバも酷いが、それに増して、ババアの調理方法が凄まじかった。
私が席に付いてから点火した鍋の湯は、沸騰どころがまだ水のような感じがした。なんとババアはその水と思われる中にソバをぶち込んだのだ。
(これは凄い店に来てしまった・・・)
私は素直に作家を恨んだ。
ババアは、真っ黒に汚れた寸胴からオタマでダシを掬い、小さな鍋に移し替えてはそれに火をかけた。
小鍋の中のドンブリ一杯分のダシは直ぐに沸騰するが、しかしババアは知らん顔してネギを刻んでいる。
そして何よりも凄かったのが、ババアが食器棚からドンブリを取り出した時だ。
なんとババアは、食器棚から出したドンブリにフーっとを吹き掛けたのだ。
つまり、ドンブリに溜っているホコリを、このババアは客である私の目の前でフーっと吹いたのである。
それを見た瞬間、私は、今座っているテーブルの上が妙にネチャネチャとした気がして、慌ててテーブルの上から手をどけた。
そんな月見そば。
美味いわけがない。
生茹でのソバは、腰などあったもんじゃなく、唇でさえプツッと千切る事ができるくらいのそんな弱々しいものだ。
ズズズッとダシを啜れば、煮詰まった醤油辛さにたちまち喉が焼ける。
するとババアは、突然「あっ」と何かを思い出したように小さく叫ぶと、私が食べている最中にも関わらず、いきなり無言でそのソバの中にパカッと生卵を落し入れたのだ。
もちろん、生卵と一緒に卵の殻も少し混じっていた。しかしババアはそんな事気にする風もなく、卵を割ると、さっさとカウンターの隅へと行き、大きな溜めと共に肘を付いたのだった。


そんな私は今、交差点にポツンと立ちすくみながら下品な女の巨大看板を見上げている。
どうしてあんなモノを喰ってしまったのだろうという激しい後悔の念に駆られながらも、貪よりとした重さを腸に感じていた。
真っ黒な排気ガスを噴き出しながら、廃車寸前の四トントラックがブスブスと走り去って行った。
そいつが通り過ぎるのを待っていたかのように、そいつが交差点から消えるや否や信号は青に変わった。
ピッポ・・・ピッポ・・・ピッポ・・・
視覚障害者用の音と共に、歩道で足止めを喰らっていた人々が一斉に動き出した。
ギュルルルルルルルルルル・・・・キュー・・・・・
私の腸が不穏な叫びをあげる。
最後のキュー・・・がやたらと不気味だ。
まだそれほどウンコはしたくない。
今はあくまでもこの音だけに怖れているだけなのだ。
しかし、この音を舐めてはいけない。
この音は、腸からの危険信号であり、私の優れた腸は、最悪な事態を避ける為に必死で信号を送っているのだ。
私は、横断歩道を歩きながら、これからどうしょうかと考えた。
このままバスに乗り、20分掛けて会社へ原稿を届けるか、それとも同じ20分掛けて一度自宅に帰り、不安材料であるウンコを処理してから改めて会社へ向かうか、人生最大の別れ道に差し掛かっていた。
スクランブル交差点の真ん中で私は立ち止まった。
会社に行くなら右の歩道のバス停だ。しかし、自宅に帰るなら左の歩道のバス停だ。
どうする・・・・
交差点に掲げられた歩行者信号機が、青いネオンをパカパカと点滅させはじめ、私を急かした。
とりあえず、まずは原稿を会社へ・・・・と思い、右の歩道へ体を向けた瞬間、いきなりソレは私の下腹部に襲いかかった。
ドーンという重い寒気が全身に走り、同時に腸が捻られたかのような痛みが走った。
来た!
私は迷う事なく、自宅へ向かう左の歩道のバス停へと足を向けた。
一歩一歩足を進める度に、下腹部はキューンという切ない痛みを伴った。
久しぶりだった。久しぶりのこの痛みに、私はバス停に向かいながらも、これは何かの罰なのだろうかと、最近、何か悪い事をしていないか考える。
しかし身に覚えがない。
神様に罰を与えられるようなそんな悪事を働いた記憶は身に覚えがないのだ。
ならばやはりこの原因は、あの蕎麦屋だ。
あの月見そばの生卵だ、そうに違いない!
私の歩調は次第に早くなって来た。
やたらと背筋をピーンと伸ばし、できるだけ平常心を装いながらも、足だけはスタスタと早足になっていた。
交差点を渡り、歩道に差し掛かると、下腹部の重さが急に和らいだ。
まったく、全然、ウンコがしたくなくなったのだ。
しかし私はそんなトリックには騙されない。
私はこう見えても、急にウンコしたくなる歴30年のプロだ、その一瞬の和らぎが、俗にいう「天使の微笑み」という事をよく知っている。
それが、嵐の前の静けさと言う事など、この30年の実績ですっかりお見通しなのだ。
ここで慌ててはいけない。下腹部の痛みが消えた今がチャンスだ!などとバス停まで一気に走るなど、素人のやる事だ。
しかし、そう言う私も、まだ幼き修行の時分には、そんな失敗を何度もヤらかした。
あれは小学5年生、谷口先生という女性担任に教えられていた時の事だった。
給食後、ふいにキュルルルルルっと腸からの信号を受け取った私は、「来るか?」と、まるで、震度2の微震を感じた後に「この後大きな地震が来るか?」と予想しながら身動きひとつしない台所のお母さんのように、ジッと静かに神経を尖らせていた。
その数分後、やはり強烈な腹痛が幼い私の下腹部を襲った。
昼休みの終わりを告げるベルが鳴ると同時に、私は脂汗を垂らしながら職員室の谷口先生を尋ねた。
職員室に飛び込んで来た顔面蒼白な私を見て、谷口先生は「すぐに帰りなさい!」と、責任逃れを口走った。
早退の許しを貰った私は、すぐさま教室へ向かう。
しかし、教室へ付くまでの間に、その腹痛は嘘のように消え去った。
「あれ?」と思いながら、教室のドアを開けると、七福神のような顔をした吉村君が、「あっ!」と僕を指差した。
「ウンコしたいから家に帰ったのかと思ったらまだ居た!」
吉村君のその言葉に、教室中に笑い声がドッと広がった。
そう、既に私は、クラスメート達から「ウンコしたくなったら帰る」という魂胆がバレていたのだ。
私は吉村君に、「全然平気」と言いながら余裕の笑みを見せた。
そう、その時は本当に全然平気だったのだ。
クラスメート達は、そんな余裕の私を見て、幾分かつまらなさそうにしていた。
しばらくすると谷口先生が教室にやって来た。机に座っている私を見て、「大丈夫の?」と聞いて来たから、私はまたしても「全然平気」と、宍戸錠風に余裕で笑ってやった。
しかし、まだ経験の浅い私には、その一瞬の安らぎが「天使の微笑み」というものだとは知らなかった。
それから10分後、天使から微笑みが消え去り、悪魔が微笑み始めた頃、私の額には大量の脂汗が溢れ、熱された中華鍋の底のように輝いていた。
地獄だった。「全然平気」などと宍戸錠風に威張ってしまった以上、今更、やっぱり帰りますなどとは口が裂けても言えなかった。
私は気絶しそうになりながらも、5時限目のその50分間を耐え抜いたのだった。
このように、まだ幼き頃にその苦い経験を体験していた私は、もう「天使の微笑み」には騙されなかった。
因みに、数年前、ある雑誌の取材で胃腸科の医師を尋ねた時、この「天使の微笑み」について、医学的な根拠を尋ねた事がある。
医師いわく、その「天使の微笑み」というのは、エンドルフィンと呼ばれる脳内麻薬が大量に分泌されるためではないかと教えてくれた。そのエンドルフィンというのは、モルヒネよりも数倍の鎮痛作用があるものらしく、マラソン選手などが「ランナーズハイ」になったり、セックスで気持ち良くなったりするのも、このエンドルフィンが分泌されるおかげらしい。
そんなエンドルフィンがバクバクと分泌している私は、「天使の微笑み」に騙されるものかと、バス停までの道のりを爆弾を抱えるような気持ちでゆっくりと歩いていた。
下手に腸を刺激してはいけないと思い、私は、気を紛らわせる為にも、浅草の下品な風景を眺めながらのんびりとバス停へ進んだ。
しかし、浅草のアーケードの床というのは、どうしてこんなに黒ずんでいるのだろうか。
それだけこのアーケードは人通りが激しいと言う事なのか。
しかし、その黒ずみは1年や2年で作り上げられる汚れではない事が、靴底に感じる粘着感から推理できる。このネバネバとした黒ずみは、どう考えても長い年月をかけて貯蓄された汚れなのである。
掃除くらいしろよ・・・・と、店先で饅頭を頬張っていた下駄屋のお婆を横目で睨みつける。
しかし、よくよく目を凝らして見ると、アーケードのそこら中には野良犬のような乞食が寝転がっているではないか。
これでは掃除したくてもできないだろうなぁ・・・、と、変に納得させられた私は、おもわず、店先で饅頭を頬張る老婆に、タダの通行人の分際で勝手な事を言ってスマン・・・と、心で詫びたのだった。
そんな、アーケードで堂々と寝転がっている乞食を横目に、私は彼らがちょっと羨ましい気がした。
真っ昼間からあんな所でノビノビと寝転がれたらさぞかし気持ちいいだろうなぁ・・・それに、上手くやればミニスカートなんて覗き放題じゃないか。
そんな事を考えながらゆっくりと歩いていると、後からドドドドドドッ・・・・という大型車の音が聞こえて来た。
慌てて振り向くと、やはりそれはバスだった。
バス停まではまだ結構な距離がある。
マズいぞ!と思った瞬間、ふいに天使の微笑みが悪魔の微笑みに変わった。
「うっ!」
腸が捩じれるような痛さに、私は内股になりながらアーケードの細い柱に凭れ掛かった。
ドドドド・・・・・
そんな私の横を、無情に走り去って行くバス。
細い柱にしがみつきながら、走り去るバスに慌てる私の肛門から、もの凄く熱いガスがプス~ッと洩れた。
肛門に感じるそのガスの熱さからしても、あきらかにソレは下痢グソだとわかった。
下痢グソは固形型に比べると始末が悪い。
下痢グソは意志に反して突然飛び出すと言う悪質な性質を持っているからだ。
クワ~ン・・・・
不気味な爆発音が腸から響いて来た。
ギュルルルルルという初期段階の音とは違い、そのような爆発音は非常に危険だ。
いつ暴発してもおかしくない、そんな危険な状況なのだ。
私は、全身の力を尻に集中させ、キュッ!と肛門を絞めた。
やや爪先立ちになりながら、少しずつ前に進む。
まるでバレーリーナのようだ。
バス停にバスが止まっているのが見えた。
バスに乗込む乗客達。バス停までは、まだ10軒以上先だ。どうあがいてももう無理だ。
諦めよう。
私はそのバスを見送り、次のバスが来るのを待つ事にした。
そう思ったら妙な安心感と変な開放感が生まれ、ふいに力を抜いてしまった瞬間、ピチっ!という熱さが肛門から脊髄へ走った。
出たか?!
私はその場に爪先立ちで立ち止まり、必死になってヒクヒクと痙攣する肛門を絞めた。
ピクリとも動けない状況のまま、そっと見上げるとアーケードの屋根にツバメの巣があるのが見えた。
巣の下にはボトボトと大量のツバメの糞が垂れており、なんとも羨ましい。
次に生まれ変わるとしたら私はツバメになりたい!
真剣にそう思ったほどだった。
すると突然足下から「なにしてんだ?・・・」という気怠い声が聞こえて来た。
ゆっくりと目玉だけを下へ向けると、伴淳三郎そっくりの乞食が、不思議そうに私を見上げていた。
おもわずそいつの顔面に下痢グソをぶっかけてやりたい衝動に駆られた。
「困ってんのよね・・・早く何とかしてほしいのよ・・・」
『人形焼き』と書かれた暖簾から、ムクミの酷い顔をスッと出した中年のオバさんが私にそう言った。
何とかしてと言われても、私は今はそれどころじゃないんだ・・・・
私は黙ったままそう思っていると、ムクミのおばさんは「あんた役所の人じゃないの?」と聞いて来た。
私は、体は動かさず目玉だけジロッと動かしたまま「違います」と答えた。
ムクミのオバさんが「ふん」と鼻で笑いながら消え去ると、乞食の伴淳がゆっくりと起き上がり、ツバメの巣を指差した。
「右側のちっせぇのがこないだ生まれたばかりのヤツだよ。で、その隣が食いしん坊の馬鹿野郎さ。あいつは弟の餌まで奪い取っちまう意地の汚ねぇ野郎だ」
乞食の伴淳は、背伸びしながらツバメの巣を指差し、東北訛りでそう言った。
ツバメの巣を指差す乞食の伴淳のその指は、アーケードに貯蓄された黒ずみと同じ色をしていた。
「あんたも鳥が好きかい?」
乞食の伴淳はゆっくりと私に顔を向けながら、ロバのような優しい目で私をジッと見た。
「はぁ・・・まぁ・・・」
私はできるだけトラブルを避けようと、そのどーでもいい質問にさっさと頷いた。
「でも、ツバメは固いぜ。やっぱりスズメの方がいいさ。特に浅草寺のスズメはイイ餌喰ってるからよ、臭みもねぇし柔らけぇ」
乞食の伴淳は虫歯だらけの前歯をニカッと剥き出し、チュチュチュっとスズメの鳴き声の真似をして笑った。
やっぱりアノ時、顔面に下痢グソをぶっかけてやるべきだったと、私はふと思った。

第一次噴火が段々と和らいで来たのを見計らい、私は歩く速度を速めた。
次のバスはなんとしても乗込まなくてはならないのだ。
バレーリーナのように爪先でチロチロと進みながら、なんとかバス停に辿り着いた私は、すぐに時刻表を見上げた。
あと15分だった。
たったの15分だが、しかし今の私にしたらその15分は15時間に値すると言っても過言ではないだろう。
私はとりあえずベンチに腰を下ろした。
立っていると直下型の危険性があるが、座っていれば直下型だけは免れる。
少し横向きに尻を下ろした私は、座っているおっさんが屁をこく瞬間に尻を上げる時のような、そんな姿勢で右の尻に体重を傾けた。
この体勢は、肛門を尻肉で閉じ込める事が出来るため、安心できる体勢だった。
そのままベンチにドスンと平坦に座ってしまうと、まるで便器に座っているような錯覚をしてしまい、おもわずピリリッと洩らしてしまう可能性があるからだ。
そんなベンチで横座りする私は、ひとまず安心し、それまで緊張で怒らせていた肩をホッと撫で下ろしたのだった。
バスを待っている間、何度かの余震に見舞われた。
その度に、私は「うっ!」と眉を顰めながら横座りの尻にキュッと力を込めた。
そんな時の私の肛門からは、熱いガスが容赦なくプスプスと洩れている。
私のすぐ隣に座っていた老婆は、そんな私の猛毒ガスをまともにくらい、最初のうちはハンカチを鼻に押し当てていたものの、途中で我慢できなくなったのか、ソッと席を外した。
ガスが漏れる度に、肛門のすぐ出口付近に液状の熱さを感じる。
これは、気象庁の噴火警戒レベルで例えれば「火口付近警報」というレベル3に値するもので、地域住民はまだ避難しなくてもいいが、しかし、登山者は直ちに下山し避難しなければならないと言うレベルである。
つまり、私の周囲にいるものは私から離れて避難した方がいいぞ、と、私の肛門から噴き出す熱いガスが周囲住民達に警告を促しているのである。
従って、そそくさと席を立った老婆の行動は、実に正しいと言えよう。
私はソッと時計を見た。
バスが来るまでまだ残り8分もある。
バスに乗ってからも20分、そしてバス停から自宅まで約15分の距離を歩かなければならない。
果たして、噴火せず、無事に我家へ辿り着けるだろうか、とても心配である。
相変わらず腹痛は酷い。
浅草の太陽に照らされる私の顔はきっと凄まじいはずだった。顔面は蒼白で、額の脂汗はまるでポマードを塗り込んだようにギトギトと輝いているだろう。
腹痛と同時に吐き気が襲って来た。
激しい脱力感と目眩、まるで貧血を起こしたかのように、目の前の風景からカラーが消え失せ、ゆっくりとモノクロになっていく。
意識が朦朧とし始めた頃、背後から「あら!」と声を掛けられた。
ここからが、私の長い長い一日の始まりだった。

私は振り向かなかった。いや、正確には首を後に振る気力さえ失っていた。
私に声を掛けた御婦人は、振り向かない私の前へとズカズカとやって来ると、「鈴木さんでしょ?」と、アウシュビッツで毒ガスシャワーを待つユダヤ人のような私の顔をソッと覗き込んだ。
モノクロに映るその顔をよく見ると、課長の奥さんだった。
ついてない。こんな時に上司の奥さんに会うなんて最悪だ。
「あ、これはこれは奥様、御無沙汰しております」
私は、必殺の斜め座りをソッと正しながら背筋を伸ばすと、その場で深々とお辞儀をした。
本来ならば席を立って御挨拶するものだが、今の私にそれは、重症ヘルニア患者をアート引っ越しセンターで働かせるほど残酷なことなのだ。
「お隣、いいかしら?」
奥さんは、猛烈な化粧臭を漂わせながら巨大な尻をベンチの上にドスンと乗せた。
中学校の卒業式、体育館の後でジッと我が子を見つめる、出来損ないのタカラジェンヌのようなケバいお母様達・・・・
私の隣に座る課長の奥さんのそのケバいナリは、まさにそんな蛍の光ファッションだった。
「こんな所で鈴木さんに会うなんて、奇遇よねぇ」
奥さんは、真っ赤な口紅を浅草の太陽に照らしながらニッと微笑み、少し大きめな差し歯を剥き出しにして私を見た。
「はぁ・・・」
私は返す言葉も浮かばず、ただ無気力に笑って見せた。
話し掛けられる度に腸に溜るゲリラ達は騒然とし、答える度に肛門前に潜むゲリラ達が肛門括約筋のバリケードを突破しようと暴れ出す。
今の私は、ソッとしておかなければ危険なのだ。
「・・・どこか御身体の具合でも悪いの?」
さすがの課長夫人も、私の死人的な表情に気付いたらしく、虫歯臭い息を吐きかけながら私の顔を更に覗き込んで来た。
「はい。ウンコがしたいんです」とは、さすがに言えない。
まして、「ウンコがしたいから一度家に帰るのです」などとは、口が裂けても課長夫人には言えないのである。あとで課長がそれを知ろうものなら、「ウンコもろくに出来ないヤツに何ができる!」と怒鳴られ、私の出世はここでストップとなるのは火を見るよりも明らかなのだ。
私は無理をしてでも笑顔を繕いながら「いえ、全然平気ですが」と誤魔化した。
しかし、その無理がいけなかった。
無意識にも肛門から熱いガスが漏洩したのだ。
「でも・・・なんか顔色が悪いわよ?」
課長夫人はそう言った直後、瞬時に顔面の筋肉を硬直させた。
そして固まったままのその姿勢で、右手をソッと鼻にあて、そのままジロッと私の尻を睨んだ。
私は毒ガスを悟られまいと、慌てて「全然平気ですが?」ともう一度答えた。
課長夫人は、(気のせいかしら?)といった感じで気分を取り直し、再び私の顔を見つめると「でも凄い汗よ・・・大丈夫?」とまたしても虫歯臭い息を吹き掛けながら、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
が、しかし、そんな課長夫人の虫歯臭い息に挑発されたのか、若しくは臭いを嗅がされての復讐の意味を込めてか、再び私の肛門から熱いガスがスっと洩れた。
「それに、顔色が真っ青・・・」と言い掛けた課長夫人は、突然「うっ!」と小さく叫ぶと慌てて鼻と口を手の平で押さえ、そして、(信じられない!)といった表情で、ベンチに腰掛ける私の尻と私の顔を交互に眺めはじめ、目が合った私が「全然平気ですが・・・」と無気力にお答えすると、気味悪そうにサッとベンチを立った。
「一度、お医者に行った方がいいと思いますわ・・・」
課長夫人は鼻を防御したまま、私を見下ろしそう言った。
私はただ無気力に「はははは・・・」と笑いながら、眉間にシワを寄せる課長夫人を弱々しく見つめた。
課長夫人は今夜の夕食の席で、きっと課長に報告するだろう。
「鈴木さんは、私の前で平気でオナラをしたのよ!それも2回も!しかも人間業とは思えない凄まじいニオイだったわ!」
キッチンからヒステリックにそう叫ぶ夫人に、ダイニングテーブルでクリームシチューをかっ込んでいた小学生の子が、「凄まじいってどんな匂い?」と興味を示し、隣で同じくクリームシチューを啜っていた中学生の姉が「やめてよ食事中に」と不機嫌な顔をする。
するとビールを飲みながらテレビニュースを見ていた課長が、CMになったと同時に「うむ・・・」と一度頷き、スーパーの特売で買って来たヒラメの刺身をヒョイとツマミながら「しかし、人前で屁をこくなんてまったく非常識なヤツだなぁ・・・」と呟くと、キッチンから颯爽と出て来た夫人はエプロンで手を拭きながら更にヒステリックに声を高め、「あんな人を雇っていると会社の名前に傷がつきますわよ!」と課長の前に仁王立ちになる。
「・・・わかった。明日の会議で、議題に取り上げてみるよ」
課長はそう言いながら、特売のヒラメをツルンと口の中に滑り込ませると、憤怒の表情の夫人は「そうして下さい!」と、まるで女性差別を判事に訴える女弁護士の如く、フン!と鼻を荒くさせながら叫ぶ事だろう・・・。
私は・・・解雇か?・・・
屁をしただけなのに?・・・
ふっと私の意識が飛びそうになる。
ベンチの後を通り過ぎようとしていた小型のワンちゃんが、私の尻から漏れる不穏な匂いに気付いたらしく、いきなり私の後で足を止めると、鼻をクンクンと鳴らしながら私の尻をジッと見た。
「行くよ、ルミンゴ・・・」
いきなり足止めされた飼い主の若い女性は、そう呟きながらもルミンゴと呼ばれる小型犬のリードを引いた。
しかしルミンゴはそれを頑に拒否し、四本の足を踏ん張らせながらベンチに座る私の尻をジッと見つめている。
「どうしたのよルミンゴ・・・」
若い女性は不思議そうにそう言うと、仕方なく引っ張るリードを弛めた。
それを見計らっていたルミンゴは、リードが弛まると同時にさっそく私の尻にクンクンと小さな鼻を近づけて来た。その凄まじい臭いの正体を探ってやろうというルミンゴの意気込みは、大軍に立ち向かう勇敢な少年兵士のようだ。
しかし・・・・
そんな勇敢なルミンゴに、私は、私は、あろうことか・・・・・
毒ガスを散布してしまったのだ・・・・・
毒ガスの噴射と同時に、「フッ!」と慌ててを吐き出すルミンゴの鼻が背後から聞こえた。
きっと小さな勇者は油断して大量にガスを吸い込んでしまったのだろう、その吐き出す鼻は、次第にクシャミに変わって行った。
ルミンゴはクシャミをしながらも、私の尻に向かって「キャン!」と吠えた。
そんなルミンゴに振り向こうとする私は、ルミンゴの勇敢な姿を一部始終見ていた課長の奥さんと、ふいに目が合った。
奥さんはゾッとした面持ちでその光景を見つめながらも、私と目が合うなり私を「きっ!」と睨みつけた。
私は「全然平気ですから・・・」と、無気力に笑いながら、尻をゆっくりとズラしては必殺の横座りに向きを変えたのであった。
それから数分後にバスは到着した。
ベンチの後で、異様な悪臭に包まれながらルミンゴの戦いを見ていた客達は、あきらかに私を避けているようだった。
ベンチから私がゆっくりと立ち上がろうとしている隙に、バス停に並んでいた客達は先を争うかのようにバスの中へ逃げ込んで行った。
立ち上がった瞬間、少しだけ汁が洩れた。
ベンチの前に立ったまま「うっ!」と肛門を閉めながらピシャン!っと気を付けをする私は、きっと大日本帝国陸軍軍人が天皇陛下の名を口にする瞬間のように背筋が伸びていた事だろう。
そんな私を怪訝そうにバスの窓から見つめる乗客達。
痺れを切らした運転手が、入口ドアからヌッと顔を出し、「出ますよ」と私に声を掛ける。
「出ましたよ」と心の中で呟く私は、爪先立ちのバレーリーナの如くチョコチョコと足を進ませながらバスに乗込んだのであった。

バスは思った以上に混んでいた。
座席は全て埋まっており、吊り革もひとつだけがブラブラと揺れているだけだった。
私は、ケツの筋肉を弛めないように慎重にバスの中央に進むと、そのひとつだけブラブラしていた吊り革にキキキっとぶら下がった。
あと20分の辛抱だ。このバスさえ降りてしまえばチビってしまってもいい、糞まみれで家まで走ればいいのだ。とにかくこの20分だけはなんとしてでも耐え切らなくては。
私はそう思いながら、「ウンコがしたい」という神経を分散させようと、素知らぬ顔で窓の外を見つめた。
悪夢の浅草が走馬灯のように通り過ぎて行く。
思えば、この大惨事は、全て創業220年の蕎麦屋のせいだった。
そう、あの店のあの生卵、きっとアレが原因なのだ。
なにが創業220年だ、人をこんな目に遭わせておきながらふざけるな!
私は窓の外に映る雷門を恨めしく睨みながら、今からあの蕎麦屋へ行って、あの糞婆の目の前でサッと尻を出し、「糞喰らえ!」と叫びながら大量の下痢グソを顔面に噴射してやったらどれだけ気持ちいいだろうと妄想しては、その激しい怒りを静めようと必死で踏ん張っていた。
(他人の顔面に下痢グソを吹き掛けた場合、いったいどんな罪に問われるのだろう・・・)
踏ん張りながらも、そんなどーでもいい疑問がふと湧いて出て来た。
気を紛らわせるには持って来いの疑問だ、この20分間、ひたすらそれについて考えていよう。
そう思った矢先、無意識にプスぅ・・・とガスが漏れた。
そのガスは今までにはない強烈な熱さで、ガスと一緒に少量の汁まで洩れたと予想できた。
幸いな事に音はない。
いや、音が出るうちはまだいいのだ、音もなくただひたすらに肛門が熱くなるガスは、それはもう噴火の秒読み段階に突入しているのである。
しかし、音がなくともニオイが酷かった。
そのニオイの根源がどこであるのかは、乗客達はもう既にお見通しのはずだ、乗客達が手を鼻にあてながら、私のほうをジッと見ている視線を、私は全身に感じていた。
私の肛門から噴射したガスは、バスの後部へと流れて行った。運転席に近い前部の窓が一部開いていたため、そこから風が入り込み、中央でぶら下がっている私を仰いではニオイを後部座席へと送風していたのだ。
後部には、約15人ほどの乗客が押し込められていた。
まさに逃げ場のない地獄である。
居たたまれなくなった老人が慌てて窓を開けた。
しかし、いくら後部で窓をあけたとて、後部に充満した私のガスは窓の外に出て行く事はなく、その空間をどんよりと迂回しているだけだった。
しかも、私の肛門からは、次々と新鮮なガスを供給しており、又、夥しく溢れるそのガスは、更にニオイを濃厚にさせ、もう既にそのニオイは「現物」と言っても過言ではなかった。
「臭いよぅ!」
後部座席に座っていた3、4歳の男の子が、母親にそう叫んだ。
母親は、無言で男の子の鼻に手の平を押し当てる。
すると子供は、「苦しいよぅ!」と叫び出し、母親の手の平から逃れようと暴れ出すと、遂には泣き出した。
屁で子供を泣かせたのは初めてだった。
素直に申し訳ない。
「臭い屁を嗅がせてごめんよ・・・」と少年に近寄り、サッと生尻を出してはクルッと後ろを向き、少年の顔面にブシャ!と下痢グソをぶっかけてやりたいと想像するが、しかし、私にはもうそんな余裕はなかった。
そう、もう我慢の限界なのだ。
私は「あぁぁ・・・」と溜混じりの呻き声を発しながら、吊り革を掴む腕をダラリと伸ばし、まるで吊り人形のように力なくぶら下がった。
太ももの内側にゆっくりと垂れて行く生暖かい汁が妙に官能的だった。
私の肛門は、廃墟の蛇口のように断続的に汁を洩らし始め、100%水分と思われるその汁は、脹ら脛を滑り落ちると、足首の靴下に吸収されていった。
肛門がヒリヒリしてきた。
思えば、私は少年時代から何度このヒリヒリの制裁を受けて来た事だろうか。
乾いた糞は、授業中でも容赦なく少年の私の肛門をヒリヒリと刺激し、その痒さに耐え切れなかった少年の私は、こっそりズボンの中に指を忍ばせては、その湿った肛門を人差し指でスリスリと掻いた。おもわず声が出そうになるくらいの気持ち良さと、開放感。
教壇から聞こえて来る先生の声と校庭から聞こえて来る蝉の声を聞きながら、抜き取った人差し指をこっそり嗅いでは、ツン!と漂う香ばしさに人知れず悶えていた5年2組の後の席。
あれはマスターベーションに良く似ていた。
そんな夏の日の少年の淡い思い出をふと思い出しながら、バスの吊り革にぶらさがる私は、ヒリヒリとする肛門を掻きたくて掻きたくて狂いそうになっていた。
グルグルグルグル・・・・
不穏な音が車内に広がった。
腹痛が始まった最初の頃に聞こえた「ギュルギュル」は、大腸の中心部である「横行結腸」を通過する時の音であり、その「ギュルギュル」には噴火まではまだ多少の「ゆとり」が残されている音だ。
しかし、この「グルグル」は危険だ。
この「グルグル」という音は、下行結腸という、スカトロマニアの間では別名「がまん坂」と呼ばれる急な下り坂を一気に滑り降り、最後のカーブである「S状結腸」を通過する時に聞こえる「グルグル」という音であり、そのカーブを過ぎるとそこはゴールの直腸なのである。
それは、大噴火を目前とした、もはや一刻の猶予も許さない最終警告の音だったのだ。
(来るぞ・・・・)
過去8回、下痢チビリの記録を持つ私は、その大惨事を予想していた。
下痢に情けはない。
出物腫れ物所構わず、という諺があるが、下痢と言う悪魔はそんな生易しいものではない。
下痢と言う糞野郎は、わざと緊急な状況を狙って襲い掛かって来るという、実にやっかいな習性を持つ馬鹿野郎で、そのタイミングの悪さは、まさしく悪魔そのものなのだ。
今から30年ほど前、小学校の卒業式の練習時に、全校生徒が集まる体育館の真ん中で悪魔の洗礼を受けた沢田俊子という少女がいた。
沢田俊子は、こともあろうか「君が代」を斉唱している最中に崩れ落ち、しゃがんだ脹ら脛から大量の下痢グソを滴らせ、体育館の床に茶色い「日の丸」をこしらえた。
あと10分、いやあと5分で卒業式の練習は終わっていたのに、それに耐え切れなかった彼女は、その場で欲望を剥き出しにしてしまったのだ。
その後、沢田俊子は下痢チビリの十字架を背負い、暗い学園生活を送ったのは言うまでもない。
そんな悪魔の洗礼を、40を過ぎた今、私は受けようとしている。
このバスには課長夫人が乗っている。
又、バスの後部座席には、御近所に住む奥さんの顔もチラホラ見受けられる。
大噴火と同時に、私の社会的地位は脆くも崩れ落ちるだろう。
いや、私だけではない。妻も子供も、あの沢田俊子のように重い十字架を背負って生きて行かなければならなくなるのである。
何としてでもこの場の噴火を防ぎたい。
私は「押しボタン」を探した。このバスから緊急脱出するのである。
「押しボタン」は、私がぶら下がる吊り革より2席後方の壁にポツンと設置されていた。
私は爆発寸前の爆弾を腹に抱えたまま必死に手を伸ばした。
気分は、乗客を守ろうとする湾岸署の織田裕二だ。
「大丈夫ですか?」
私の目の前に座っていた、おでんの竹輪のような顔をした男が、怪訝そうに私の顔を覗き込んだ。
「うるさい!」
脂汗を光らせる私は、おもわず鬼のような形相で叫んでいた。
『次は、産業技術高専前。産業技術高専前。お降りの方は押しボタンを押してお知らせ下さい』
車内アナウンスと同時に誰かがボタンを押したらしく、「プン!」という飛行機内でシートベルト着用時に鳴る時のようなベルが響いた。
あと少しだ。あともう少しだから頑張れ。
私は、心の中で響く『踊る大捜査線のテーマ』をBGMに、相方の『腸』にそう話し掛ける。
しかし、悪魔もそれを察知してか、ラストスパートをかけて来た。
太ももにタラタラと垂れる汚水のスピードがくなって来た。靴下に染み込んだ汚水は、既に私の靴の中をグチョグチョにしている。それはまるで、水の張った田んぼの中に靴ごと飛び込んだかのようになっているのだ。
(このまま出口に進めば、ブツは靴から溢れ出すだろう・・・・)
私は、靴の中の踵を少し浮かせ、グチョッと水が溜っているのを密かに確認しながら出口を見た。
(出口まで約6歩。多少、ブツが靴から溢れるかも知れないが・・・仕方ないだろう・・・)
私はそう決心しながら、まるで老人のようにゆっくりと出口に向かった。
後部座席の乗客達は、皆が一様に鼻を手で塞ぎ、ヨロヨロと進む私を真剣に見ていた。
出口のポールにしがみついた私は、そっと後ろを振り返る。
私が歩んだ跡は、まるでナメクジが這った跡のように、ジットリと濡れていた。
キキキキキーッ・・・という音を立て、バスが停車した。
ガタン!という鈍い音を立て出口のドアが開く。
私は、一番後の席に座っていた課長夫人を見た。
鼻にハンカチを押し当てていた課長夫人は慌てて私から目を反らす。
私は、そんな課長夫人に一礼し、出口の段差を一段降りた。
段差を降りた振動で、いきなり肛門に「ニュッ!」という感触が走った。
出口前の座席で見ていた男の子が「あっ!」と叫び、それを母親が慌てて制止した。
そんな出口の階段の中央には、私のスボンの裾から溢れた茶色い下痢グソが水溜りを作っていたのだった。

飛ぶ鳥跡を濁さず。
そんな諺とは裏腹に、バスを出る私は最後の出口階段を激しく汚してしまった。
私が歩道に出るなり、バスの出口ドアはまるで私を追い出したかのように激しく閉まり、もう二度と来るな!と言わんばかりに大量の排気ガスを私に吹き掛けては走り出した。
私は、走り去るバスを見つめながらドアが閉り密閉された車内を思う。
もうしばらくすると、出口に残された私の産物が激しい悪臭を漂わせ、閉じ込められた乗客達は今まで以上に激しく悶え苦しむ事だろう。
そして、バスを降りる乗客達は、一様に出口階段に残された茶色い水溜りを、苦痛を描いた表情で見つめ、恐る恐る避けて通る事であろう。
その時の私は、まさにサリンを車内に置き去りにして逃げたオウム信者のようだった。
私は、創業220年の蕎麦屋を恨んだ。
あそこであのババアが生卵を忘れたままだったら、こんなに人々を苦しめる事はなかっただろう。
そう思うと、私は、蕎麦屋のババアだけでなく、そこを紹介した作家や蕎麦屋の場所を教えてくれた歯磨き老人までもが憎くなり、おもわず私は握り拳を作りながら浅草の空に向かって「貴様らみんな共犯だ!」と叫んでしまったのだった。

グチャ・・・グチャ・・・・
歩く度に、泥沼を這い回るような音が響いた。
幸いな事に、その日のスーツは濃紺で、ズボンの尻を湿らす下痢グソはあまり目立たなくなっている。
私は歩いた。
何度も何度も激しい腹痛に見舞われながらも、それでもグッと歯を食いしばり、我家に向かって進み続けた。
前から走って来た、自転車に乗った労働者風の男が、私とすれ違った約10秒後に「くせっ!」と叫び、自転車のブレーキの音をキキキっと鳴らした。
私はハァハァと脂汗を垂らしながら、ソッと後ろを振り返る。
30メートルほど離れた歩道に、労働者風のおっさんが自転車に跨がったまま私をジッと見ていた。
「臭くて・・・悪かったな・・・」
私は弱々しく呟くと、ゆっくり前を向き、また歩き出す。
100%の確立で、玄関先の番犬達は私に向かって吠えた。
彼らのように、糞尿により縄張り意識を確立する下等動物にとっては、きっと私から発せられる下痢臭は脅威だったのだろう。
私は、そんな犬達に「心配すんな、キミの縄張りは荒らさないから・・・」と、眉を八の字に下げながら呟き、次に生まれ変わるとしたら絶対に犬にしてもらおうと、私は力強くそう思った。
やっと我家の町内に入った頃、その見慣れた商店街の風景に油断してしまった私は、緩んだ肛門からコップ1杯ほどの下痢糞をブシュ!と噴き出した。
第三次噴火である。
しかし私はかまわず先を急いだ。
顔見知りの肉屋の親父が「毎度!」と声を掛けるのも無視し、顔面を脂汗で輝かせながら、ただひたすらに商店街を彷徨った。
それは、学生時代に駅裏の東宝系の映画館で見た『太陽を盗んだ男』という映画のエンディングのようだった。
原子爆弾を抱えた沢田研二が、それをどこで爆発させようかと繁華街を歩き回るシーンそのものだった。
商店街を抜け、踏切を渡ると、住宅街が広がった。
あと数分でゴールの我家だ。
果たして妻は、糞まみれの私を見てどう思うだろう。
結婚してから15年。妻は私のこんな情けない姿を見た事はない。
郊外ではあるが、4LDKの分譲マンションを2600万円で購入し、そのローン30年を背負いながらも、仕事で疲れた体を鞭打ち、町内の清掃活動や子供達の運動会、そして妻が通う社交ダンスの「夫婦大会」にまで出場した。
私はこれまで、夫としても父としても、それなりに頑張って来た、良き夫であり良き父なのだ。
それが下痢グソをちびって帰って来たら・・・果たして妻はなんというだろうか・・・・・
離婚。
ふと私の脳裏にそんな二文字が浮かんだ。
下痢をちびって離婚など大袈裟かも知れないが、しかし、良き夫・良き父に下痢グソは似合わない。
虚像で固められた良き夫のベールが今剥がされようとしているのだ、幸せな家庭が崩れ落ちる可能性は考えられなくもないのだ。
私はそう思いながら13階建てのマンションを見上げた。
5階の我家を見ると、ベランダにはいつものように洗濯物がヒラヒラと舞っていた。
私はグルルルルっと不穏な音を響かせる下腹部を庇いながらマンションの入口に向かった。
マンションの玄関ドアを開けようとすると、このマンションに住む奥さん達数人がエレベーターホールで井戸端会議をしているのが見えた。
これはさすがにマズい。
奥さん達の顔は見覚えのある顔ばかりだ。特にあの花柄ワンピースを着た503号室の嘉山さんは、以前、エレベーターホールに泥が付いていたというだけで、「共有スペースは汚さないようにしましょう」等と、A4紙にびっしりと呪いの文のようなものが書かれた抗議文を各部屋に配布するほどの神経質キチガイババアであり、今ここで、下痢糞まみれの私が、靴から下痢グソをポチャポチャと溢れさせながらエレベーターに乗ろうものなら、そりゃあもう大変な騒ぎになるに違いないのだ。
私は、彼女達にバレないよう、入口横の非常階段を使う事にした。
相変わらず私の腸は地獄の釜のような音を立て、もはや一刻の猶予も許さない状態ではあったが、しかしマンションの住人に知れ渡るくらいなら、5階まで階段を昇るしか仕方あるまい。
力を振り絞り、ゆっくりと階段を一段上ると、とたんに「無理だ!」と腸が叫んだ。
「無理じゃない!俺とオマエは今までもこうやって頑張って来たではないか!諦めるな腸!」
下唇を噛み、脂汗を垂らしては心でそう腸を励ましながらもう一段上った。
ビュッ!と肛門から汁が洩れ、私は慌てて肛門を締めた。
グルルルルルルっと今までにない荒波が腸の中に吹き荒れる。
気怠い午後の昼下がり。
燦々と降り注ぐ太陽に照らされながら、私は非常階段の錆だらけの手すりにしがみついては、もう一歩、足を進めた。
シュッ!
またしても肛門から鉄砲水が噴射した。
私の肛門は、まるで、口に水を含んでは笑いを堪えている子供のようだ。
そうやって地獄の非常階段を必死に上っていた私だったが、しかし3階の踊り場で遂に力尽きた。
下腹部を押さえたまま「うぅぅぅ・・・」と踞る私は、まさしく太陽に吠えろの松田優作だ。
あと2階。あと2階を昇り切りさえすれば我家だ。
頑張れ、頑張るんだ俺!
そう歯を食いしばりながら、手すりに寄りかかって立ち上がると、ふいに私の頭の中でザードの「負けないで」が流れ始めた。
その歌の歌詞はサビしか知らない私だが、しかし、その「負けないでもう少し」という言葉が、今の私に恐ろしい力を与えてくれた。
いつも24時間テレビのマラソンをバカにしていた私だったが、しかしこの時ばかりは心から24時間テレビに募金したいとそう思った。

最後の力を振り絞って立ち上がった私。
ズボンの尻から裾にかけ、大量の下痢グソでグショグショに濡れていた。
ニオイも強烈な糞臭を発している。
ゴールで私を迎える妻は、果たしてこんな私を徳光や加山雄三や谷村新司のように、温かく迎え入れてくれるだろうかと心配になった。
いよいよゴールの我家が見えて来た。
地獄の非常階段から廊下に飛び出した私は、玄関ドアの前に立った瞬間、安心感からかおもわず肛門を開いてしまい、今までにない大量の汁を放出させてしまった。
第四次噴火である。
裾から固形混じりの茶色い汁がダラダラと流れ出した。
しかし、もう心配はいらない、ゴールは目の前なのだ。この扉をあければ、徳光の如く目を腫らせた妻が、「あなた!」とばかりに下痢グソまみれの私を抱きしめてくれるはずだ。
私の頭の中でゆっくりと音楽が変わった。
そう、曲はもちろん「サライ」。
加山雄三に歌わそうか谷村新司に歌わそうか迷ったが、しかし、実は私は谷村新司の事を密かにチンペイと呼ぶほどの隠れ谷村ファンである。ここは誠に申し訳ないが若大将には遠慮して頂こうと、ソッと谷村新司にマイクを握らせた。
私は、頭の中で鳴り響く「サライ」の曲に合わせて、ベルを鳴らした。
妻は本当に、徳光のように私を迎え入れてくれるだろうかと心配しながらも、何度も何度もベルを押した。
が、・・・・一向に妻が現れる気配はない。
嘘だろ・・・・と慌てて階下の駐車場を見下ろす。
気怠い午後の太陽に照らされる駐車場には、無情にも妻の愛車はなかった。
そう言えば今日は火曜日。今日は妻の社交ダンスのレッスン日ではないか!
私の頭から、あの忌々しい「サライ」の唄は突如消え去った。
何がチンペイだ!アロアナみたいな顔しやがって!
私はそう谷村に毒づきながら携帯を取り出すと、急いで妻に電話をした。
頼む!まだ近くに居てくれ!と、そう願いながら、受話器から聞こえる呼び出し音を耳にあてる。
午後の爽やかな風がマンションの廊下を吹き抜け、私の周囲に漂う悪臭を攫って行った。
そんな清々しい風と共に、どこからともなく、スマップの「世界にひとつだけの花」のメロディーが聞こえて来た。
私は、その聞き覚えのあるメロディーに「まさか・・・」と顔を引き攣らせ、受話器を耳から離す。
そのまさかは的中した。
そのメロディーは明らかに我家の玄関ドアを伝わって、部屋の中から聞こえて来たものだった。
そう、あのバカ妻は、またしても携帯を家に忘れているのである!
絶望を感じた瞬間、シュルシュルシュルっと、川の流れのように緩やかに太ももを通り過ぎて行く大量の下痢グソ。
私が立っている玄関前の床には、下町の舗装されていない路地裏に出来る泥水たまりのような、下痢たまりが広がっていた。
すると突然、なんとも騒々しい声が階下から聞こえてきた。
「あっ!ここにもあるわよ奥さん!」
非常階段から聞こえてきたのは、例の中年オバさん達の声だった。
「うわ!このウンチはいったい何なの!」
嘉山さんのヒステリックな声が、風に乗って5階まで聞こえて来た。
「上に繋がっているみたいね・・・野良犬でも迷い込んだのかしら・・・」
非常階段を上がって来るオバさん達の足音がマンション中に響き渡った。
どうやら、エレベーターホールに居たオバさん達は、何らかの理由で私の下痢グソを発見し、血の跡の如く犯人の行く先を示すような下痢グソを辿って非常階段を昇って来たようだ。
絶体絶命。まさに非情階段だ。
「うわ!くっさい!ここでいっぱいやらかしているわ!」
どうやら追跡隊の先頭主婦が、3階の踊り場にぶちまけられた下痢グソの水たまりを発見したようだ。
主婦の言う「やらかしている」という言葉からして、もはや犯人は犬や猫といった動物と認識しているようだ。
まさか、毎月10日に開かれる、自治会主催のマンション清掃で活躍している私が犯人だとは、彼女達は夢にも思っていないであろう。
「凄い量ね・・・これは絶対人間の仕業よ。ホームレスか変質者だわきっと。光元さん、すぐに警察に電話して」
そんな嘉山さんの声が聞こえたと同時に、私の肛門から最大レベルの噴火が発生した。
ブブブブブリっ!ビシャビシャブチュブチュ・・・バシャ!
卑猥な音と共に、腸で私を苦しめていた悪魔を全部、出し尽くした。
「なに!この音!」
「きっとこの上にいるわよ!」
音を聞きつけた嘉山追跡隊が一斉に叫ぶ。
ガンゴンガンゴンという非常階段を駆け昇る足音。
私は、下痢グソの水たまりの中に踞りながら完全に燃え尽きた。
私の、長い長い一日が、今、ようやく終わろうとしていた。

(私のいちばん長い日・完)




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