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押し入れベイビー

2012/02/18 Sat 14:23

    押入れ

(解説)
パチンコ仲間の部屋に侵入してはコソ泥を続けていた袴田は、ある時、押し入れの中でとんでもないモノを発見してしまった。破滅人間による人情悲喜劇。


 (★当小説は縦書き表示ですが、もし文字が縦書きになっていない場合は再度リロードしてみて下さい★)


     1

「よ、今日はどうだった。奥さん結構出してただろ?」

袴田は自動販売機がズラリと並ぶ飲食スペースから牧村夫婦を呼び止めた。

「いやぁ、今日はついてましたよ。おかげさまで夫婦揃ってバカ当たり」

牧村は「ははははは」と笑いながら、妻の明子を伴って、袴田が座るソファーの正面に共に腰を下ろした。

「袴田さんはどうでした?」

明子が袴田に笑いかける。
明子は化粧気のない地味な女だが、きっと化粧をして明るい衣装を着させればこの辺りのスナックだったらとたんに人気者となるだろうと、袴田はいつもそう思っていた。

「俺かい?俺はダメだったよ……そうだなマイナス2万ってとこかな……」

袴田はそう苦笑すると、本当は5万負けたけどな、っと心の中で呟いたのだった。

袴田はいわゆるパチプロと呼ばれる34歳。
定職にも就かず毎日毎日パチンコをしながらその日暮らしの生活をしていた。
女房はそんな袴田に呆れ、6年前に2人の子供を連れて出て行った。

「どうです、これから一杯。今夜は私におごらせて下さいよ」
牧村が口の前でグラスを持つジェスチャーをしながらそう言った。
「そうだな、せっかくだから御馳走になるか」
袴田は喉をゴクッと鳴らしながら嬉しそうに笑ったのだった。

三人はパチンコ店のすぐ裏にある小さなスナックへと向かった。
この店は牧村の馴染みの店で、袴田は今までに2回程牧村に連れられて来た事があった。
10人も入れば満員になってしまうほどの小さなそのスナックは、志村けんが女装したような個性的なママが一人で切り盛りしていた。
「あら、いらっしゃい」
スナックのドアを開けるとひとりポツンとヒマそうにカウンターに立っていたママが笑った。
「あらあら、カマちゃんもお久しぶり」
ママは袴田の顔を覚えていたらしく、袴田を見るなりパチプロ仲間での愛称でそう呼んだ。
「今日は牧ちゃん夫婦が大勝ちしたから、今夜は牧ちゃん夫婦のおごり」
袴田はママに戯けてそう言うと、前に座った時と同じ、カウンターの一番奥の席に腰を下ろしたのだった。

三人とママさんはグラスを傾けると、ひととおり軽く乾杯をした。
袴田は濃い目の水割りを一口ゴクッと飲むと、「っで、今日はいくらの勝ちだい」と隣りの牧村に話し掛けた。
「そうですね……僕が3万の勝ちで、明子が……おい、いくらだった?4万か5万かどっちだっけ?」
ママと親しげに話していた明子にそう聞くと、明子はニヤッと笑いながら5本の指を立てた。
「明子が5万ですから合計で8万円ってとこですか。これでやっとアパートの家賃が払えます」
牧村がフーっと溜息を付きながらそう言うと、「なに言ってやんでぇ、ここ最近ずっと勝ちっ放しのくせに」と袴田が大きな声で笑った。

4人はそんな何気ない話しで盛り上がりながら酒を酌み交わした。
しばらくすると、少し酔って来たのか牧村が愚痴っぽくなって来た。
普段は大人しい牧村は、酔うと癖が出る。
暴れるタイプではなかったが、飲んではグチグチと愚痴るタイプだった。

「私もね、いつまでもこんな事してちゃいけない事くらいわかってるんですけどね……」
牧村がグラスの氷を見つめながら淋しそうに呟いた。
「ま、仕方ねぇんじゃねぇの、今はどこも不景気だしよ、慌てて仕事なんか探しても意味ねぇよ、仕事がねぇんだもん、しょうがねぇよ、な、ママ」
袴田は牧村とは違って酔うと陽気になるタイプだ。
というか、元々プラス思考というかバカというか、袴田は物事をグジグジと悩むタイプではなかった。
女房と子供が逃げた時も、もぬけの殻のアパートを見て「ま、しょうがねぇか」、と一言呟くと、再びパチンコ店に戻ったくらいの楽天家というかアホだった。
そんな袴田だから酒が入れば更に陽気になるのは当然だった。

「……私はね、今から2年前、この町に来る前は熱海に居たんですよ……」
突然、牧村が昔話を語り始めた。
ママと明子がチラッと目を合わせ、呆れたような表情をする。
袴田は、確かその話し、前にも聞いたよな……とふと思いながら、牧村の熱海時代の話しに黙って耳を傾けた。

「30歳の時に板前やってましてね、私より3つ年下の明子はその旅館で仲居をやってました……」
牧村は遠くを見つめるような表情をゆっくりと天井に向けながら、楽しかったその頃を思い出しているようだった。
「へぇ~……板前と仲居の恋なんてシャレてるじゃない。お昼のドラマみてぇだな、ママ」
袴田がピーナツをゴリゴリと噛みながらママに笑いかける。
「二人の婚約が決まりましてね、身内のいなかった私は仲人を板長夫婦に頼みました……二人の結婚式は私らが働く旅館に決定してたんですよ……」
牧村の表情が段々と暗くなって来た。
「してたんですよ……って事は、結婚式はしてねぇって事か?」
袴田がそう聞くと、牧村は「……してません」と崩れ落ちるように答えた。

「ねぇ、あなた、その話しはもうヤメましょうよ……」
明子が黙ったままグラスを握る牧村の手に、そう言いながらそっと手を置いた。
「そうね、ほら、お酒は楽しく飲まなくちゃ、ね、カマちゃんもせっかく来てくれたんだし」
ママが間合いを入れる。
こんな場面に出くわすのがこの商売なのだろう、なんとも切り返し良く「ほら!カマちゃんなんか歌って!」などとプラスの袴田にマイクを渡すママは随分と手慣れたものだった。
「よし!んじゃあな、『花と竜』行こか、花と竜!イエーイ!」
袴田はこんな時には役立つ男だった。
ここで八代亜紀や森進一は更に相手を愚痴らせる事になる。
ここは袴田のような陽気なバカが、どっこいしょ的な任侠演歌でも唸るのが一番いいのだ。

悲しみに暮れる牧村をよそに、袴田がリクエストした『花と竜』のふんどし的な力強い伴奏が流れ始めた。
「♪波も~荒けりゃ~心も荒い~度胸ひとつの若松港~♪」
袴田の悪酔いしそうなビブラートがマイクから響き始めると、カウンターに居た牧村と明子がなにやら揉め始めた。
バックで流れる音楽が明るいだけに、その夫婦の揉め事は妙に不気味だ。
「♪花~と~竜~♪」
胸くそ悪い袴田の歌が終わり、曲が間奏に入った瞬間、「誰の子供かもわからないのにどうして結婚式があげられるんだ!」と牧村が怒鳴り、隣りに座っていた明子の頬をおもいきり引っ叩いた。

カウンターの長椅子が後に倒れ、明子は床に体を叩き付けられた。

「おいおい!何やってんだよおまえら!」
と、袴田はマイクでそう叫ぶが、しかし曲が三番に突入したため、袴田は「♪竜の~彫り物~伊達ではないぞ~♪」と唸りながらも床に倒れる明子に手を貸した。

「その女は……私という婚約者がいながらも誰の子かもわからないような子供を生んだ……悪い女なんです!……」

明子を抱き起こす袴田の耳に、そんな牧村の声が飛び込んで来た。

袴田はマイクに唸りながらも床に散らばったグラスの氷を拾い上げ、項垂れる明子の小さな後ろ姿を見つめていたのだった。

       2

翌朝、パチンコ店のフロアで袴田と顔を合わせた牧田は、気まずそうに「昨日は、すみませんでした……」と言いながら苦笑いで誤摩化した。
「あんた、結構、酒癖悪いんだな」
袴田はそう言うと、ガハハハハハハハと笑いながら「ま、まだ若いんだからいいんじゃない」と牧村の肩を叩いた。
「ところで、今日は奥さんは?」
袴田が煙草に火を付けながら聞いた。
「……ええ……」
牧田が振り向いた先では、明子がパチンコ台の前に玉の入った箱を並べていた。
「ははぁ~ん、今日ももしかして夫婦揃って大儲けしようって魂胆だな」
「ははははは……ま、うまく行ったらまたおごらせてください」
「やだよう、牧ちゃんまた暴れるだろ~」
二人は声を出して笑い合った。

袴田は牧村と別れると、それまで座っていた台にひとまず腰を落ち着かせ、台の上に付いている呼出し照明で店員を呼び出した。
袴田の台のランプに気がついた店員が慌てて袴田に近寄った。
「あのさぁ、めし喰ってくっから、プレート頼むわ」
袴田が店員にそう言うと、店員は心のこもっていない機械のような笑顔をひとつ見せ、立ち去って行った袴田の台に「只今、食事中」のプレートを立てかけたのだった。

袴田はパチンコ店を出ると、急いで車に飛び乗った。
慌ててエンジンをかけ、アクセルを踏込むと、袴田の車は勢いを付けてパチンコ店の駐車場を飛び出した。
袴田は馴れた道のりを時速70キロでぶっ飛ばす。
一刻も早く目的地に行かなければならなかったからだ。
20分程走った袴田の車は、住宅街にある川沿いにポツンと止められた。
袴田はダッシュボードから軍手を取り出すと、それをポケットに捻り込み、急いで車のドアを開ける。
車から降りた袴田は、平然を装いながらも住宅街の中へと消えて行った。


そのアパートは築30年は余裕で過ぎているだろうと思われる老朽木造アパートだった。
1階4室(内1室大家)・2階3室(内1室空部屋)の計7所帯ぽっちのアパートで、入居者以外の者が出入りするというのはあまりにも目立ち過ぎた。
まして、アパートの階段は縞鋼板で作られており、上がると靴の踵がカンカンと大袈裟な音を立てる。
泥棒には最悪の階段だ。
しかも、これが深夜の泥棒なら靴を脱いで上がればいいが、袴田は白昼の泥棒である、靴を両手に持ちながら忍び足で階段を上っている姿を近所の奥さんにでも見られたらアウトだった。

そこで袴田は考えた。
そうだ、俺は借金取りになろう、と。
近所の奥さん連中が関わりたくない人間ランキングの上位とも言える「借金取り」。
こいつになりすませば、アパートの住人から声を掛けられる事もなく、恐らくみんな見て見ぬ振りを決め込むだろう。
これがただのセールスマンだったりすると、近所の奥さんから「あんた誰?」と軽く声を掛けられる恐れがあるが、しかし、これが、借金取りや宗教勧誘や興信所や刑事だったりすると、奥さん達は「関わり合いを持ちたくない」と知らんぷりするに違いない、と袴田は考えたのだ。

そんな事から、宗教家・刑事・探偵と、どれも自分に似合わないという事で、袴田は「借金取り」になりすまし、堂々とアパートの階段を上る事にしていたのだった。

何喰わぬ顔で普通にアパートの階段を駆け上がった袴田は、「202号室」と画鋲で張り紙された部屋の前に立ち、「牧村サーン……牧村サーン……」と辺りを伺いながらノックした。

通りから丸見えのアパートの通路は非常に危険だったが、しかし、午前中のこの時間は人通りもほとんどなく、時折、郵便配達のオートバイが走り去って行くだけだ。
十分、辺りを確認した袴田は、靴ひもを直すフリをしてゆっくりとしゃがんだ。
靴ひもを触るフリをしながら、足下に置いてある「植木のない植木鉢」の下を探る。
コロッとした小さな鈴が指に触れた。
鈴が音を立てないようにそれを指で摘むとスッと植木鉢の下から取り出した。
再び立ち上がると「牧村さーん、いるんでしょ……」などとセリフを吐きながら、ドアノブにグレーのハンカチを被せる。
これは、ドアノブのシルバー色とコーディネートして、あえてグレーのハンカチにしたという、袴田の「こだわりの一品」だった。

鍵を差し込む。
ここまで来ると演技は無用だ。
小さな玄関に足を踏み入れドアノブのハンカチを素早く反対側のドアに被せると、袴田はそのままパタンとドアを閉めそして同時にドアの鍵も閉めたのだった。

       3

部屋の中は、まだ朝食の匂いが漂っていた。
(ちなみにこいつら何喰ったんだろう……)と猫の額程の台所を覗いた。
流し台の横にトーストの粉が散らばっていた。
流し台の三角コーナーにはコーヒーのミルクと卵の殻がふたつ転がっている。
(トーストにコーヒー、そして目玉焼きか……庶民だなぁ……)
そう思いながら「ふっ」と笑う袴田の朝食は、冷や飯にインスタントの「あさげ」をふりかけ、そこに水道の水を注ぐという庶民以下のメニューだった。

さっそく袴田は仕事に取りかかる。
両手に軍手を装着すると、いつも現金が隠してあるテレビの下の棚を開いた。
その棚の中には、DVDデッキの他に、箱型DVDケース、煙草、電話帳、ドライバーセットが乱雑に置いてある。
棚の端に置いてある竹籠の中に現金が隠されているのだが、しかし、袴田はその竹籠の中を覗く前に、いつも箱型DVDケースの中身を先に確認した。

それは、牧田家に侵入する際の袴田の楽しみのひとつでもあった。
というのは、このケースの中にあるDVDは全てアダルトで、そのDVDの並べ方に細工をしていた袴田は、この夫婦が最近どのDVDを観たのかがわかるようになっていたからだ。
袴田は、牧村夫婦が夜な夜などんなアダルトDVDを観ながら夜の営みの励みにしているのかが非常に気になっており、DVDケースの中身が2日前の侵入時からどう変化しているかを楽しみにしながら、ハァハァと興奮しながらケースを開けた。

2日前は一番最前列にあった『潮吹き娘の金玉レッスンPART8』が惜しくも2列目へとダウンし、堂々の最前列は『アートネイチャー御家庭DVD・自宅で出来るヘアケアチェック』だった。
一瞬にしてハァハァが止まった袴田は、何も見なかったかのように静かにDVDケースを閉じると、目的の竹籠を取り出した。

と、その時だった。
ガサッ……という音が部屋の中に響いた。
袴田はグッと息を止め金玉にキュッと力を込めて気配を消す。
そのままの体勢でピクリとも動かない袴田。
まるで網走刑務所資料館の蝋人形のようだ。

再びガサガサ……っという音が聞こえた。
しかし、それは人間が出す音ではなく、ネズミ若しくはハトといった動物が出す音だと判断した袴田は、フーッと止めていた息を吐き、ようやく蝋人形から解放された。
音が聞こえて来るのは押し入れの中からだ、多分、ネズミだろう。
そう安心した袴田は竹籠の蓋を開けた。
中には2つ折りにされた一万円札の束がドサッと置いてあった。
合計15万円。
袴田はその中から1万円だけを抜き取った。
1万円で十分だった。
今日のパチンコの軍資金さえ手に入ればいいのだ。
それに、あまり盗み過ぎては気付かれる恐れがある。
1枚くらいが丁度いいのであり、15万円中1万円がなかったとしても「あれ?数え間違えたか?」と本人は思うはずである。
「欲をかき過ぎて舌切り雀の婆さんみてぇになりたかねぇからな……」
そう呟きながら、金を抜き取った竹籠を元の場所に戻そうとした時、またしても押し入れから「ガサッ……」という音が聞こえた。
(ついつい声を出しちまったから、ネズ公のヤロウ、俺の声に驚いたんだな……)
袴田はそう思いながら、テレビ棚を物色した形跡を全て隠した。

続いて袴田が向かった先は小さな浴室だった。
袴田の狙いは風呂ではなく、そう脱衣場だ。
この脱衣所の中に洗濯機があるのだが、袴田が牧村夫妻のアパートに侵入する目的は、テレビの下の竹籠とそしてこの洗濯機だった。

ひんやりとした脱衣場に入ると、洗濯洗剤の香りに混じりカビの匂いがプーンと鼻についた。
洗濯機の蓋を開ける。
中には夫妻の洗濯物がごっそりと押し込められていた。
(よし、まだ洗濯前だな……)
嬉しそうにペロッと唇を舐めた袴田は、明子の下着だけを目的に、その洗濯物の山の中を漁った。
Tシャツ、ジーンズ、バスタオル。
これら大物に紛れ込んでいるのが、牧村のブリーフ(グンゼ・白)や牧村の靴下(親指に小さな穴)、そして目的の明子のパンティーだ。

今日の明子のパンティーは大型の薄いピンクだった。
前回は、小型(ビキニ)の赤サテンというショッキングなデザインでかなり興奮させてくれたが、しかし今回のブツはかなり地味で、それはまるで、テレビショッピングでお婆ちゃん(の演技をしている若い男)が、咳をするたびに「あっ!」と顔を顰めたりしている「失禁パンツ」のような大型だ。

これは喰えない。
袴田は残念そうにその大型パンツを元通りに洗濯機の中に戻すと、今回はDVDといいパンティーといい全然ダメじゃないか……オマエ達、ヤルキあんのか? と部屋に向かって説教しながら、居間のちゃぶ台の前にどっしりと腰を下ろした。

袴田は煙草に火を付けた。
泥棒先で煙草を吸うなんて……と思うかも知れないが、これが彼ら空き巣の、ひとつの精神安定剤のようなものなのだ。

泥棒というのは強盗や恐喝と違って実に繊細なゴトシ(仕事)だ。
強盗には度胸と腕力が必要で、恐喝には緻密な計画と口上が必要とされるが、泥棒(主に空き巣)は常に精神力というものが必要とされていた。
いかに、どれだけ冷静にゴトシができるか。
これがプロの空き巣としてのテクニックでありプライドであった。
そんな空き巣達は己の精神に余裕を与える為に、煙草を吸ったり、冷蔵庫の中の食品をつまみ食いしたり、オナニーしたりする。
中には、ゴトシをする前に、忍び込んだその家のトイレでウンコをしては精神を落ち着かせるといった芸術的な空き巣もいるほどだった。

煙草の煙をフーッと吐きながら、袴田は昨夜の牧村の言葉を思い出していた。
(誰の子かわからないような子供を生んだ悪い女なんです……)
袴田は、煙草を吸いながら部屋の中を見回す。
子供がいるような生活感はどこにも漂っていなかった。

「妊娠したっていうならわかるけど、あいつは確か『生んだ』って言ってたよな……」

つい声にして独り言を呟くと、その声に反応するのかまたしても押し入れの中から「ガサッ」という音が聞こえた。

袴田は音のする後を振り向き押し入れの襖を見る。
そして煙草を喰わえたまま、背筋をゾクゾクさせながら襖をゆっくりと開けた。

「!…………」

袴田の前に信じられない光景が浮かんでいたのであった……。








       4

「お、おめぇはいったい……誰だ?」

おもわず袴田は押し入れの中のソレにそう聞いてしまった。

押し入れの中には、小型犬の檻がポツンと置いてあり、その中でフカフカ羽毛枕ほどの大きさの子供が寝転がっていた。
袴田は身動きできないほどの驚きで金縛り状態になっていた。
子供は袴田と目が合うと、ニヤッと唇を弛め、そしてまたゆっくりと目を綴じた。

(マズいぞ……モロに顔を見られちまったよ……)

そう焦りながらも、しかし、なぜ子供がこんなところにこんな状態でいるのかが不思議でならなかった。
しかも、その子供は一目瞭然で身体障害児だとわかった。顔と体が同じ大きさで異常に太い手足は驚く程短い。
(こいつはもしかしてドラえもんか?……)
押し入れの中だけに、袴田は真剣にそう思った。
「アバー……」
いきなりそのダルマのような子供がゆっくりと目を開きそう喋った。
「わあっ!」
尻餅を付いた袴田は、その子供にジッと目を見つめられ、あまりの恐怖で動けなくなってしまった。
「あー……ああうー……」
子供は携帯電話ほどの小さな手足をバタバタとさせながら意味不明な言葉を発していた。
袴田は、冷静になれ冷静になれ……と何度も自分に言い聞かせながら、もう一度落ち着いて押し入れの中を観察したのだった。

ペット用のピンク色の檻の中には新聞紙と薄汚れたタオルが1枚敷かれていた。
子供の顔の横にはプラスチック製のごはん茶碗とアンパンマンの小さなスプーンが転がっている。
ごはん茶碗の中には乾涸びた米粒がカリカリと付着していた。

(ミルクじゃなく米を食うってことは1、2歳か?……それにしては小っせぇな……)

袴田は恐る恐る子供の顔を覗き込んだ。
明らかに知能遅れだとわかるその顔は、どこかガッツ石松に似ていた。
子供の髪の毛はバリカンで刈られた形跡があった。そのバリカンのやり方があまりにも乱暴だったのか、子供の坊主頭には無数の擦り傷や赤く腫れ上がったたんこぶがゴツゴツとしていた。
鼻水、目やに、ヨダレといった類いは全て垂れ流し。子供の顔はそれらの糞系が放置された事により赤く爛れ、まるで歌舞伎のメイクのようになっていた。
糞や小便も同様に放置だった。一応、オシメはしていたが、しかしそのオシメからはカリカリに乾いた茶色い物体が溢れ出し、小便の黄色いコントラストがそのカリカリ糞をより一層引き立てていた。

「こりゃあひでぇなぁ……」

袴田は檻の中から子供取り出し、糞と尿が溢れるオシメを取り替えてやりたくてウズウズしていた。
しかし、そんな事ができるわけがない、袴田は空き巣なのである。

「おい、大丈夫か?……」

救ってやりたいが救えない悔しさ。袴田は檻の中の子供に優しい言葉を掛けてやる事しかできない。

「あー……ぶぶ……アパンマン……ぶぅ……」

「ははは、俺ぁアンパンマンか?はははは、俺がアンパンマンならおめぇはドラえもんだろ、ははははは」

袴田の「ははははは」という笑い声に反応して、ケラケラと嬉しそうに笑う子供。
袴田はふとポケットの中に、パチンコ店のモーニングコーヒーに付いて来るクッキーがあるのに気付いた。
ポケットからクッキーを取り出し、袋を開ける。
子供はそれがなんなのかわかっているのか、嬉しそうに短い足をバタバタと動かしながらキャッキャッと笑い始めた。

「待ってろよ……今、喰わしてやっからな……」

袴田はクッキーを一度自分の口の中に入れると、それを唾液で湿らせた。
袴田は別れた女房との間に2人の子供が居たが、子供達がまだ幼児の頃には、よくこうしてクッキーを湿らせて食べさせていた。
袴田の唾液でグニョグニョっとなったクッキーを、檻の隙間から差し込み子供の口元に持って行った。

子供は素直にそれを口に入れると「うにゃうにゃ……」と言いながら、うまそうに食った。
「あははは、うめぇか?」
袴田が檻を覗き込むと子供は「もっとくれ」と言わんばかりに袴田に笑いかける。
「いやぁ、悪りぃけど、もうねぇんだよ……」
袴田がそう言うと、子供は言葉がわかるのか、ピタッと動きを止め悲しそうな顔で袴田を見つめている。
「なんだよ、そんな顔すんなよ、今度来る時はもっと持って来てやっからよ、な」
そう言いながら携帯の時計を見ると、時刻は11時を過ぎていた。
もしかしたら牧村夫婦は昼飯を食いに戻って来る可能性もある。

袴田は「じゃあな、また来っからな……」と、静かに襖を閉めようとすると、突然子供が泣き出した。

(マズい!)

袴田は慌てて襖を閉め、自分が吸っていた吸い殻をポケットの中に入れた。
部屋を出る前にもう一度振り返り、物色した形跡が残っていないか確かめる。
押し入れの中からは子供の泣き声が更に激しく響きいていた。
袴田は入った時と同じようにグレーのハンカチでドアノブを握ると、後ろ髪を引かれる思いで押し入れに向かって「じゃあな、また来っからな」と声を掛け、部屋をゆっくりと出たのだった。




       5

次々に弾かれて行くパチンコの玉を見つめながら、袴田は、どうして牧田夫婦はあの子供をあんな風に育てているのだろう、と考えていた。

昨夜の牧村の言葉がどうも引っかかる。

(誰の子かわからないような子供を生んだ悪い女……父親は誰だかわかんなくても母親は明子なんだろ……じゃあもっと大事に育ててやればいいじゃねぇか……)

袴田の胸に牧村夫婦に対する怒りが沸々と湧いて来た。

「あれ、どうしたんですか、今日は全然ダメですねぇ……」

袴田の後から牧村がニュッと顔を出し袴田の出玉を覗き込んだ。
ふと見ると、牧村の手には銀玉が山盛りになった大箱が二つも抱えられていた。
「いやぁ~昨日からどうしちゃったんでしょうねぇ~目を瞑ってても不思議とジャラジャラと玉が出て来るんですよ~明子も随分と出しちゃってるしね~なんかこの後ヤな事でも起きなきゃいいけどははははははは」
袴田は、昨夜『アートネイチャー御家庭DVD・自宅で出来るヘアケアチェック』のDVDを見たらしい牧村の頭をチラッと見つめると、「……きっと毛が抜けるよ……」と嫌味っぽく呟いた。
「えっ?」
牧村は聞き取れなかったらしくもう一度聞き直した。
「あぁ、何でもねぇよ、ただの独り言だよ独り言……」
袴田がケラケラと笑うと、そこに明子がやってきて牧村に玉箱を運ぶのを手伝ってくれと自慢げに告げた。

「何箱出したんだ?」
牧村がパチンコの雑音に負けないような大きな声でわざと袴田に聞こえるよう聞く。
「全部で5箱」
明子もニヤッと不敵な笑顔で袴田を見下ろした。
すかさず袴田の口から毒が飛び出す。
「ケッ、失禁パンツめ」
「えっ?」
明子は聞き取れなかったらしくもう一度聞き直した。
「あぁ、何でもねぇよ、ただの独り言だよ独り言……」
そう顔を引き攣らせながら誤魔化していると、袴田の台から最後の玉が発射され、無情にも穴の中へと消えて行った。
「あぁ~ダメだダメだ、俺ぁついてねぇや……」
そう言いながら袴田が立ち上がろうとすると、牧村が「いくらやられたんですか?」と聞いて来た。
「まぁ、金額は大した事ねぇよ、1万円とちょっとだ」
「そうですね、1万円ならまだよかったですね」
勝ち誇ったようにニヤけながらそう言う牧村に向かって、袴田は「どうせおめぇの銭だしな」と心の中で吐き捨ててやったのだった。


パチンコ店を出た袴田は、牧村夫婦が車で帰って行くのを見届けると、一人トボトボと歩きながら牧村が行きつけのスナックに向かった。
あの志村けんのような顔したママなら、あの子供の事を何か知っているかも知れない、と思ったからだ。

スナックの扉を開けると、その夜は珍しく客がひとりカウンターに座っていた。
「あら、カマちゃん、どうしたの?今日はひとり?」
ママはカウンターでひとりで飲んでいた親父に目配せすると、袴田が座る一番奥のカウンター席におしぼりを持ってやって来た。
「ああ、今夜はあの酒乱夫婦とは別行動だ」
袴田がそう言うと、ママは志村けんのアイーンのようにアゴを尖らせながら「ふふふふふ」と笑ったのだった。

牧村のボトルを出させ、いつものピーナツを口一杯に頬張った。
ガリガリと口の中一杯のソレを齧りながら、「ママー……なぁママー結婚してくれよー……」とカウンターにうつ伏せているひとり客を眺めていた。

「酔ってんの?」
袴田がママにそう聞くと、ママは無言で「うんうん」と呆れるように頷いた。
「ところでさぁママ。あの酒乱夫婦の事なんだけど……あいつらいったい何者?」
袴田の言葉にママは「プッ」と吹き出した。
「何者って……そうだなぁ……しいて言うなら流れ者、かなぁ……」
ママはそう言うと、「私も頂いていいかしら?」とボトルに軽く手を触れた。
「あぁ、酒乱夫婦の酒だ、あいつらガンガンに勝ち続けてるからドンドン飲んでやってくれ」
袴田がそう言うと、ママはまた志村けんのアイーンのように「うほほほほほほ」と笑ったのだった。

相変わらずこの店は閑古鳥が鳴いているようだった。酒場の活気とは程遠い店内には、カラオケの待ち受け画面から流れる電子音のBGMが、リピートで流れているだけだった。
「……んで、あいつらいったいドコから流れて来たの……確か昨日、熱海とかって行ってたけど……」
袴田は二杯目の水割りを飲みながら、再び牧村夫婦の話しを持ち出した。
「うん。二人とも出身は違うけど、熱海で知り合ってこっちに出て来たんだ」
「ママは二人をよく知ってんの?」
「ええ。私も明子と一緒に熱海で働いてたからね、旦那さんとはコッチ来てから初めて会ったんだけどね」
ママは小指を立てながらグラスを傾け、カラコロと氷を鳴らしながら水割りを飲み干した

「昨日さぁ、なんかあの親父、アキちゃんが誰の子かもわかんねぇ子供をうんだとか騒いでたけど、アキちゃんって子供いるの?」

一瞬、ママの顔が曇った。
その表情を見て、袴田はママもあの子供の存在を知ってるなっと読み取った。
「うぅん……あんまり詳しい事は知らないけど……」
ママが戸惑いながらそう答えると、カウンターにうつ伏せている酔っぱらい親父が「7回裏逆転ホームラーン!」と叫び、ついでにピスッと屁を洩らした。

「実はさぁ、ここだけの話しなんだけどね、あれは興信所っつうのかなぁ、なんか刑事みたいな探偵みたいなヤツがさぁ、最近、パチンコやってる俺の周りによく来るんだよね……そいつらが牧村夫婦の事をアレやコレやと聞いて来るんだよ……」

袴田は牧村夫婦の事を聞き出す為に下手な嘘を付いた。

「興信所?……どんな事を聞いてくるの?」

ママのその顔はもう志村けんではなかった。どことなく古畑任三郎のような顔になっていた。

「うん。なんかさぁ、アキちゃんの昔の男関係みたいなさぁ、なんかいやらしい事をネチャネチャと聞いてくるわけよ……」
「…………」
「なんか、そいつが言うにはね、アキちゃんが仲居時代に売春やってたとかなんかそんな言い方でさぁ、そん時に客との間にガキができちまったとか……」

袴田は自分の妄想を、いかにもその探偵が言っているかのように語っている。

「それは違うわ。私もアキちゃんと一緒に仲居やってたけどね、あの子はそんな子じゃないわよ、それはデマよデマ。あの子供は旅館の社長さんとの間に出来た子供なんだから……」

ママは言ってしまってから「ハッ」という顔になり、慌てて空になったグラスの中に氷を入れ始めた。
袴田はそんなママの顔を覗き込んだ。
「社長さんとの間に出来た子供ってどういう事?……」
するとママは観念したかのように小さく溜息をつくと、「私が言ったって絶対に言わないでよ」と念を押したのだった。

「私もね、アキちゃんが可哀想だと思うわよ、実際。まあ、好きで社長さんとの間に出来た子じゃないしね……」
「って事は、その旅館の社長に犯されたのか?」
「……まぁ、そんな感じよ。社長はアキちゃんがあの旅館に働き始めてからずっと目を付けてたのよ。でも、アキちゃんは板前の牧村さんと婚約しちゃったでしょ、それで社長焦ったのよねぇ……」
「強姦の中出しか?」
ママは袴田のその下品な言い方に少し嫌な顔をしながらも、コクンと深く頷いた。
「それを牧村の野郎は知ってんの?アキちゃんとその社長が出来てた事」
「まさか……知らないわよそんな事……牧村さんは、アキちゃんのお腹が大きくなったのは客との間に出来た子だって思ってるわ……まさか社長だなんて夢にも思ってないはずよ……」
「どうして?」
「だって、その社長っていうのが、牧村さんを育てた板長さんなんですもん……」
「あぁ、昨日なんか言ってたよな、仲人とかなんとかって」
「うん。牧村さんはね、アキちゃんよりも後に入社してきた人だから、アキちゃんが社長の愛人だったなんて事、何も知らなかったのよ。だからあの人、社長に仲人になって下さいなんて頼みにいったりして……それで社長さんもね……」
「頭に来て中出ししてやったっつーわけか……」
ママは袴田の、度重なる「中出し発言」に露骨に嫌な顔をした。

「んで、その子供はどこにいるの?」
袴田は一気に核心を突いた。
「……アキちゃんが言うには実家でお婆ちゃんが面倒見てるって言ってたわ。旦那さん、その子供の話しになるとね、ほら、昨日みたいに……」
ママはそう言いながら二杯目の水割りを勝手に作り始めた。

「っで、問題はそのガキが今どーしてるって事だよ」
袴田がそう呟くと、「子供はお婆ちゃんが面倒見てるんじゃないの?」とママが首を傾げた。
「いやぁ……そうかなぁ……」
「えっ?……どうしてそう思うの?」
ママに顔を覗き込まれ、袴田は迷った。押し入れの中の子供の事を話そうかどうしようか焦った。
が、しかし、そんな事を言えるわけが無かった。それを話せば、牧村のアパートにコソ泥に入っていた事までバレてしまうからだ。
袴田はそんなママに「いや、なんとなくね……」と、曖昧に誤魔化すと、カウンターでぐったりとうつ伏せになっていた酔っぱらい親父が、突然「のりぴー!」と叫び出し、更にバスッ!と肉食系の屁をやらかした。
それを合図に袴田は立ち上がった。「また来るわ」と言いながらカウンターの上に千円札を数枚置くと、その酔い潰れた親父の背中に「飲み過ぎんなよ……」と捨てゼリフを残しながらドアに向かった。
ドアノブを握ると、背後から「私から聞いたって言っちゃ嫌よ」というママの声が聞こえて来たのだった。

       6

それから2日後、再び袴田は牧村夫婦のアパートに忍び込んでいた。
テレビの下に置いてある竹籠からいつものように1万円を抜き取り、洗濯機の明子の使用済み下着を嗅いだ。
ひととおりゴトシ(仕事)を終えた袴田は、居間のちゃぶ台の前に腰を下ろすと、静かに押し入れの襖を開けた。

「よっ、ドラえもん、元気だったか、アンパンマンのおっちゃんだぞ」

檻の中の子供で、まるで袴田を待っていたかのように「はふはふ!」と短い手足を高速に動かし始めた。
そんな子供のオムツからは大量の下痢が溢れ出し、子供が手足を動かす度に、下に敷いていたマットがグチュグチュと嫌な音を立てた。
「うひゃあ……ひでぇ下痢だなぁ、おめぇ何か変なモン喰っただろ?……」
喰っただろ、と言ってもこの檻の中の、まして体の不自由な幼児が勝手に物を食べれるわけが無い。だから正確には「食わされただろ」なのだ。

袴田は、子供のオムツから大量にはみ出している下痢を暗い目で見つめ、しかし子供の顔を見つめる時には明るい笑顔を見せながら、
「今日はちょっと珍しいもん持って来たぜ、ひひひひひ」
と、ポケットの中から、細長い魚肉ソーセージを取り出した。

袴田はソレに付いているビニールを剥きながら「ほれっ」とソレを子供の口に差し向けた。
「ムグムグ……」
子供は母親の乳首でも思い出しているのだろうか、それを噛み切らず口の中でムグムグと弄び、袴田を見ては「あぐぐぅ」と微笑んだ。
「あははははは、可愛いなぁ、おめぇは……」
袴田は、そんな無邪気な笑顔を見せる悲惨な子供を、その腕におもいきり抱きしめてやりたくなった。


それからというもの、2日置きに牧村夫婦のアパートへ潜入していた袴田は、子供へのおみやげを欠かさず持ち込むようにしていた。

そんなある時、いつものように朝のパチンコ店のフロアで顔を合わせた袴田と牧村夫婦だったが、その日は珍しくも夫婦揃って袴田の隣りでコーヒーを飲んでいた。
「あんだよ、珍しいじゃねぇか、二人がここの糞不味いモーニングコーヒーを飲むなんてよう」
袴田が大きな声でそう言うと、ワゴンサービスに出掛けようとしていたお姉ちゃんが「ふん!」と袴田の腕を軽く抓った。
「いてててて……」と大袈裟に振舞う袴田に、ワゴンサービスのお姉ちゃんも、周りで見ていた客達も、そして牧村も皆が苦笑した。が、しかし明子だけは深刻そうに下を向いたままだった。
(もしかしたら空き巣に入ってるのバレたか?……アキちゃんのパンツを汚したのがバレちまったのか……)
明子のそんな深刻そうな顔をソッと見つめながら何か嫌な予感を感じていた袴田は、わざと明るい笑顔を作りながら、「どうしたのアキちゃん?今日は元気ないねぇ」と声を掛けた。
それでも深刻そうに項垂れていた明子に、牧村が慌てて肘で突く。明子は「はぁ?あ、はい、あはははははは」と今初めてこの場所に来たかのように、心ない笑顔を袴田に向けたのだった。

それからも明子の様子はおかしかった。
パチプロ仲間達がスロットの話しで盛上がっていても、いつもならスロット関係の話題には身を乗り出して話題に参加して来るのに、その日の明子は苦い表情で煙草を吹かしているだけだった。
(やっぱりこの女、なんか変だぞ……もしかして、本当に俺がパツン見てんのがバレたのか?……)
そう思いながら明子をソッと見ていると、いきなり明子がパッと顔を上げた。そして、狼狽える袴田の顔をキッと見つめながら、
「袴田さんは今おひとりで暮らしてるんですよね?」
と、真剣な表情で聞いて来た。
「な、なんだよアキちゃん、突然、変な事聞くじゃねぇか~、俺ぁ物心ついた時から天涯孤独だぜ」
狼狽えながらも必死に戯けてそう笑うと、明子は「そうですか……」と呟いたっきりまた俯いてしまった。
すると、ソファーの隅で新聞を呼んでいたパチプロ仲間が、「アキちゃん、もしかしてカマちゃんに鞍替えしよって腹か?」と囃し立て、飲食スペースは一瞬パッと明るい雰囲気に包まれた。
しかし、普段ならそんな時の明子は「やだぁ~バレちゃいましたぁ~」と戯けて見せたが、その時の明子は「いえ……」と妙に深刻に俯いてしまったのだった。

「……なんだい、いつものアキちゃんらしくないねぇ……」
袴田は小声でそう囁きながら牧村の顔を覗き込む。
牧村は肘で明子の腕を突きながらも「いや、そんな事ないですよ……なぁ明子」と明子に語りかけるが、しかし明子はヒールの先をボンヤリと見つめては、終始俯いたままなのであった。

その翌日、いつもならいつもの台で二人仲良く玉を弾いている牧村夫婦の姿は見当たらなかった。
今までは夫婦が揃わない時でも必ずどちらかがパチンコ店に来ていたものだが、今日は二人とも姿を見せていない。
その翌日もやっぱり二人は現れなかった。
さすがの袴田も、これはマズイと思った。
空き巣に入っていたのがバレ、二人は警察で被害届なんか出してるんじゃないだろうかとソワソワし始めたのだ。

「おい、最近、マキちゃん達見ねぇけど、なんかあったのか?」
いつも牧村夫妻と同じ機種で遊んでいた床屋の親父に聞くと、床屋は「俺も心配してんだよ」と毛虫のように太い眉をキュッと顰めた。
飲食スペースに行くと、牧村夫婦と仲の良かったおばちゃんが鉄工所の倅と何やらコソコソと話し込んでいた。
「よお、オババ、最近マキちゃん達見ねぇけど、どうしたんだ?」
袴田がそう言いながらソファーに座ると、オババはとたんに袴田に喰い付いて来た。
「そうなんだよ、今もこの人とその話ししてたんだけどね、最近ちっとも姿を現さないからさぁ、心配になって今朝あの夫婦のアパートに行ってみたんだよ……」
オババは目をギラギラさせながらゴクッとひとつ唾を飲んだ。
「そしたらさぁ、アパートには鍵が掛かっててさぁ、誰もいないんだよね。あたしが何回も牧村さーんって叫んでたらね、そしたら隣りに住んでる人が出て来て、あの人達は引っ越しましたよって言うじゃない、もうあたしゃ、いったい何があったのかとびっくりしちまってさぁ……」
いやな予感がしていた袴田は「ちっ!」と小さく舌打ちした。
せっかくの金づるを逃がしてしまった事も悔しかったが、しかし、それよりも無性にあの子供の事が気がかりになったのだ。
オババはそんな袴田をジッと見つめながら「あんた、金でも貸してたのかい?」と心配そうに聞いてきた。
「いや、そうじゃねぇけど……いきなりだったんでちょっとびっくりしたんだよ……」
眉間にくっきりと浮かび上がらせていたシワを、慌てて弛めながら袴田が呟いた。
そんな袴田の表情に安心したのか、オババは話しを続けた。
「あの二人が最後にここに来た日、あれいつだったっけなぁ……」
オババはそう言いながら隣りに座ってる鉄工所の倅に振り向いた。
「2日前だよ」
鉄工所の倅がそう答えると、オババは「そうそう、その日さぁ、アキちゃん、お店の前の駐車場んとこで泣いてたっていうじゃない……」と得意気にいい、そして「それはこの人が見たんだけどね」と、再びマイクを鉄工所の倅に渡した。
「どんな感じで泣いてたんだい」
袴田が鉄工所の倅に聞く。
「……なんか、かなり深刻な感じだったぜ……俺がアキちゃんどうしたの?って聞いても、ただ黙ってポロポロと涙流してるだけでさ……ありゃ多分、相当負けたんだぜ……スッカラカンのカラッケツになっちまったんじゃねぇか……多分……」
鉄工所の倅はいつもの鼻づまりの声で相変わらずバカっぽかった。
その推理も随分とバカっぽく、袴田は心の中で(おまえホントにアホだろ)と、鉄工所の倅に念を押してやったのだった。

何か妙な胸騒ぎを覚えた袴田は、その足で車に乗ると、いつものように牧村夫婦のアパートに車を走らせた。
ハンドルを握りながらも、アキちゃんが最後に言った「袴田さんは今おひとりで暮らしてるんですか?」という言葉がどうも引っ掛かっていた。

袴田はいつものようにアパートから離れた場所に車を止めて、あ、そっか今日はこんな所に止めなくったっていいのか、と気付くと、車をアパートの前まで走らせた。
アパートの前で堂々と車を停め、古ぼけたアパートの鉄板階段をカンカンカンっと上ると、いつもとなんら変わりない光景が袴田の前に広がっていた。

一応、ノックしてみる。
中から何一つ物音はしない。
ふと見ると、台所の磨りガラスの窓が妙にスッキリしているのに気付いた。
今までは、その磨りガラス越しに、赤や黄色の洗剤やスポンジなどが透けて見えていたのだが、今はスッキリと何もなくなっているのだ。

(本当に引っ越ししちまったんだな……)

そう思いながら、一応、足下に置いてあった「植木のない植木鉢」の下に指を入れてみた。
チリン!という小さな音が植木鉢の下から聞こえた。
「え?」と思いながら植木鉢の下のソレを取り出してみると、いつもの鍵だった。

(どういう事だ?……)

袴田は、不審に思いながらも、一応、ソレを鍵穴に挿してみた。
鍵はググッと挿し込まれ、右に回すと「カチャン」と音を立てて開いた。

(おいおいマジかよ……どうする?)

誰に聞くともなくそう心で呟いていた袴田だったが、とにかく中を覗いてみようと扉を開けた。

も抜けの殻だった。
タンスやテレビは全て運び出され、カーテンが取り外された窓は妙に開放感があった。
荷物ひとつ置いていない八畳一間も随分と広く見え、所々が陽に焼けた古畳みのシミは、まるであみだくじのように複雑に絡み合っていた。

しかし、そんな部屋の真中に、ちゃぶ台だけがポツンと置かれたままになっていた。
そのちゃぶ台の上に何やら手紙のようなものが置いてある。
袴田は恐る恐る靴を脱ぎソッと部屋に上がり込むと、その手紙を手にした。

『袴田さんへ』

封筒に書いてあるその言葉を見て、それが自分宛の手紙だと気付いた袴田は「えぇっ?!」と驚きながら慌てて周りをキョロキョロと伺った。

(こ、こいつら、どうして俺がここに来る事がわかったんだよ……)

袴田は手紙の封を破きながら、ドスンと畳に腰を下ろした。

《突然、こんな手紙を見てさぞ驚いた事だろうと思います》

「おうよ、びっくりしたぜまったくよぉ……」
袴田は手紙に向かって話している自分に気付き、「アホか」と自分にツッコミを入れると、再び手紙に目を走らせた。



《実は、私達夫婦は、貴方がこのアパートに空き巣に入っている事を以前から知っていました。と、いうのは、松夫の檻の中にクッキーのカスやソーセージの塊が落ちているのに気付き、私達夫婦は、いったい誰が松夫に食べ物を与えているのだろうとアパートの外で見張っていた事があるからです。すると、思いもよらず袴田さんがアパートに忍び込んで行くのを目撃してしまったのでした。
以前から、お金が無くなっている事には気付いておりました。
しかし、まさか袴田さんが私達の部屋に侵入し、盗んでいたとは夢にも思っておりませんでした。
最初は、警察に相談しようか悩みました。
が、しかし、貴方は部屋に忍び込む度に、押入れの松夫を可愛がってくれているようで、私はそんな貴方をどうしても警察に通報する気にはなれなかったのです。

松夫は、牧村の子供ではありません。
私が過去に過ちを犯して出来た子供です。
牧村はそれを知ってます。
当然、牧村はそんな松夫を可愛いわけがございません。
だから、牧村はあんな酷い仕打ちを松夫に与えて来たのです。

私は母として、そんな松夫が不憫で不憫でなりませんでした。が、しかし、母親であると同時に私は女です。
どれだけ松夫が虐待されようとも、牧村と別れる事ができませんでした。

そんな時に貴方が現れました。
私は母親として松夫を取るか、それとも女として牧村を取るかの選択に迫られていた時に、袴田さん、貴方が現れたのです。

私は貴方のおかげで、迷う事なく女の道を選ぶ事が出来ました。
本当にありがとうございます。
そして、松夫の事、呉々も宜しくお願い致します。 八月十日 明子》



そんな手紙を握りしめたまま、ぼんやりと卓袱台の足を見つめていた袴田は、一呼吸置いた後、
「なぁにーーーーーー!」
と、首に筋を立てながら叫んだ。

ドタッ!ドタッ!ドタッ!と、三回ひっくり返りながら押し入れの前まで行くと、カバッ!と勢い良く襖を開けた。

「あばばぁ……」

袴田の顔を見るなり、大きな口を開けて短い手足をバタバタとさせているドラえもんが笑っていた。
そんな松夫の笑顔を見た瞬間、袴田の全身から一気に力が抜けて行ったのだった。
       7

「あっ!松夫!てめぇまたやらかしやがったな!」

バッ!と布団から起き上がると、グショグショに濡れている自分のパジャマを見て「おまえ、いいかげんにしろって……」と、肌にべっとりとひっ付く濡れたパジャマを摘んだ。

「あのさぁ、小便がしたくなったらよ、『おしっこ』って言えって言ってんじゃねぇか……」
袴田がそう言いながら松夫の顔を覗き込むと、松夫は嬉しそうに短い両手両足をバタバタさせながら「アパンマン……」と袴田の鼻の頭に指を差し、二本しか生えていない前歯を出しながらケラケラと笑った。

窓の外にはパラパラと雪が舞っていた。
袴田は、小便で湿ったパジャマと布団を見つめながら、これらをどうやって乾かそうかと頭を悩ませたのだった。

袴田と松尾が暮らすようになって既に四ヶ月が経とうとしていた。
袴田は、未だに松夫の本名、年齢、血液型、生年月日、本籍、を一切知らない。
知っているのは、松夫は明子と熱海の旅館の社長の息子だという事だけだった。

スナックのママが言うには、明子が子供を産んだのは3年程前という事だったから、袴田は松夫を3歳と勝手に決め、そして誕生日は、牧村夫婦が失踪した8月10日と決めてやった。

袴田は、松夫をパチンコ店にいつも連れて行った。
もちろん松夫が明子の子供だという事は誰にも言っていない。松夫が明子と熱海の社長の子だという事を知っているのはスナックの志村けんだけだった。

袴田はパチンコ店では松夫の事を「弟子」と呼んでいた。
実際、松夫にはしょっちゅうパチンコを打たせ、松夫が大勝ちした事も何度かあった。
その度に袴田は「どうでぇ俺の弟子は。ドラえもんみてぇな野郎だけどスゲェだろ」と皆を笑わせるのだった。

そんな袴田は、3歳だと言うのにまったく言葉を覚えない松夫に、いつもいつも同じ話しを何度も聞かせた。

「おめぇはよ、小っせぇ頃から穴蔵みてぇなトコで育ってたからよ、手足の伸びが人よりもちょっと遅せぇんだ。だから、今こうして伸び伸びと生活してたらよ、もう少ししたら言葉も喋れるようになるし手足もグングンと伸びてくらぁ、だからそう心配すんな」

それを聞かされる時の松夫は、バカのひとつ覚えのように「アパンマン……」と袴田を指差しながら笑った。

「アホぅ。アパンマンじゃねぇ、お父さんだろ、お・と・う・さ・ん。わかるか?」

「お、お、う、あ、ん」

「そうだそうだ、それでいいんだ。ただな、それは俺に向かっていうんじゃねぇよ、それはな、熱海のデッケェ旅館のスケベ親父に向かって、お父さんって言うんだよ。わかった?」

「あばばぶぶう……」

「そうかそうか、わかったか、偉いぞ。もし、お前がちゃんと、その熱海の旅館の親父に『お父さん』って言えるようになったらよ、お前にゃびっくりするくれぇデッケェ家に住ませてやっからよ」

袴田はいつもそうやって松夫の頭を撫でながら、さて、どーやってその熱海の旅館の親父とやらから大金を捲き上げてやろうか……と、ひとりニヤニヤ笑っていたのだった。

雪が舞い散る窓の前で、パチンコの景品で獲得した小さなクリスマスツリーが弱々しく輝いていた。
そんな弱々しいネオンサインを見て、松夫が「あぐぅぐぐぶぅ」と嬉しそうにはしゃいだ。
袴田はそんな松夫の小さな体を抱き寄せ、あぐらをかいた膝の上に静かに座らせた。そして一緒にクリスマスツリーのネオンを眺めながら、松夫の耳元にソッと囁いた。

「今まで押し入れの中で暮らしてた分、幸せになろうな……」

(押し入れベイビー・完)





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