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のぞぼとけ4

2012/05/31 Thu 00:14

のど4



 タクシーが狭い坂道を上り始めた。この坂を上るとそこに私のマンションがあった。
 案の定、タクシー代は4日分の食費を少し上回っていた。これでまたカップラーメンの日々に戻るのかとうんざりしながら、静まり返ったマンションの周囲をとぼとぼと徘徊した。
 すぐには部屋に入れなかった。どこからあの男が見張っているかも知れず、あの男がいない事を完全に確認するまでは部屋には入れなかった。
 坂の多い町だった。小さな坂を上ったり下りたりと何度も繰り返しながら、駐車場の奥や、駐輪場の奥に目を凝らし歩いた。
 歩きながら、私は明日の事を考えていた。なんと私は、明日、その女と会う約束をしていたのだ。
 それは、突然、女が言い出した事だった。女の話しに、私がおもわず貰い泣きしてしまうと、女は、「これも何かの縁です。もし、御迷惑でなければ、誠さんに線香を上げてやってもらえませんか」と、泣き出した。
 既に無縁仏として葬られた男の遺骨は行方が知れず、男の写真一枚すら残っていないらしいが、しかし女は小さな卓袱台で祭壇を作り、そこに男が生前愛用していた灰皿を置いては、毎日線香を立てているらしい。
「誰にも知られず、誰にも供養してもらえず、あの人はひっそりとこの世から消えたんです」
 そう泣き出す女に私は嫌とは言えなかった。
 私とこの人達は何の関係もない。線香をあげる義理もなければ、同情する立場でもない。何もないのだけれど、しかし、これでこの三日間の恐怖に終止符を打つ事ができるのなら、線香の1本くらいあげてもいいと思った。それに……もし、ここでそれを断れば、女に逆恨みされ、この恐怖がまだ続くような気がしてならなかったのだ。

 マンションの周囲を3周した私は、隠れるようにしてマンションの階段を上った。部屋に入り、真っ暗な部屋の中を手探りしながら窓際へ行き、カーテンの隙間から外を確認した。
 電気を点けると、部屋の中には昨夜の恐怖が微かに残っていた。
 携帯電話の恐怖は、女と話した事により消え失せたが、しかし、あの地震は何だったんだろうと思うと、じわりじわりと恐怖が甦って来た。
 もう何も考えないようにしよう、と、激しく首を左右に振った。あの時の地震は、きっと深夜2時の電話に脅えていた私の心が作り上げた幻想だったんだ、そうだ、そうに決まっている。
 そう自分に言い聞かせながら服を脱ぎ捨てた。布団の上で全裸になると、肌にひんやりとした布団の生地が触れ、心地良い開放感に包まれた。このまま眠ってしまいたいと思いながらも、もぞもぞと立ち上がり、浴室のドアを開けたままシャワーを浴びた。
 その夜、携帯電話は鳴らなかった。癖が付いてしまったのか、2時ぴったりに目を覚ました私だったが、しかしマンドリンの不気味な音色は聞こえて来なかった。

 翌日、私は西日暮里の駅に着いた。からりと晴れた冬空の下、私は女に教えられた通りお墓だらけの細い路地を進んだ。
 いかにも昭和な路地だった。私はリアルな昭和を知らないが、古い日本映画で見るような家や看板が立ち並び、そこを走り抜けて行く野良猫さえも昭和映画のワンシーンのようだった。
 それにしてもお寺の多い町だった。そこらじゅうにお寺が建ち並び、角を曲る度にお墓がびっしりと密集した小さな墓地と出会した。
 女が言ってた商店街のアーチが見えて来た。そのアーチの路地を右に入り、長屋が並んだ狭い通りをまっすぐ行けば、そのアパートはあると言っていた。
 アーチ手前の路地に入ると、いきなり4匹の野良猫が飛び出して来た。人と擦れ違うのがやっとと思うほどの細い路地は、これだけ天気が良いと言うのに全く陽が当たっていなかった。
 路地の左側は商店街に並ぶ建物の裏だった。青いポリバケツが並び、洗濯機の汚水がゴボゴボと溢れ、油だらけの換気扇からは各家庭に籠っている臭気がむんむんと洩れていた。
 凸凹だらけの細い路地を挟んだ右側には、ぼろぼろに朽ち果てた長屋が並んでいた。長屋は既に廃墟らしく、どの家の玄関にも不動産屋の名前が書かれた看板が掲げられていた。
 静まり返った路地には、私のヒールの音だけがカツコツと響いていた。路地を進むにつれ、貪よりと重たい湿気が私を包み込んできた。
 長屋を過ぎると鬱蒼とした竹林が現れた。路地には竹林を囲むコンクリートブロックがずらりと並び、狭い路地を更に狭く思わせていた。
 湿気を含んでドス黒く変色したブロックの隅に、白いペンキで『のぞぼとけ』と書かれているのを発見した。
 路地を進みながら、『のぞぼとけ』という意味不明な言葉を頭の中で3回繰り返してみた。恐らく、『喉仏』と書こうとして字を間違えたのだろうと思ったが、しかし、例えそうだったとしても、何の為にそこに『喉仏』と書く必要があるのだろうと不思議に思った。それがただの落書きなのか、それとも何か意味のある表示なのかは、全くの謎だった。
 薄暗い竹林の中に、枯れた笹に埋もれたお墓が3つ並んでいるのが見えた。そのお墓を見下ろすようにして2階建ての古いアパートが建っていた。
 あそこかな?……と思いながら足を止めた。しかし、足を止めてもヒールの音は止まらなかった。誰かが私の後ろを歩いているのかと思い振り向こうとすると、突然マンドリンの着信音が竹林に鳴り響いた。
 ダウンジャケットのポケットから携帯を取り出しながら後を振り向いた。果てしなく続く細い路地には誰もおらず、『のぞぼとけ』の白い文字だけが浮かんでいた。
 ヒールの音は消えていた。携帯のディスプレイには非通知の文字が浮かんでいた。多分、あの女だろうと思いながら携帯に出ると、昨夜と同じ「もしもし」という女の声が聞こえて来た。
「来てくれたんですね」と、女は嬉しそうに笑った。
「えっ? どこにいるんですか?」と、私はアパートに並んでいる窓に目を凝らしながら聞いた。
「ここです、ここ。2階の奥です、ほら、見えますか」
 竹林に食い込むアパートの奥を覗くと、2階の窓から私に向かって手を振っている女の姿がぼんやりと見えた。
「あ、わかりました。今からそちらに行きます」
 私は小さく手を振り返しながら携帯を切った。
 女は、思っていたよりも明るかった。昨夜の雰囲気とは違い、なにやらとっても嬉しそうだった。こんな事なら和菓子ではなくケーキにするべきだったかな、と思いながら、私は古いアパートの玄関に向かったのだった。

 アパートの玄関には『第六・金田アパート』と書かれた板が打ち付けてあり、開きっぱなしのドアの向こうには、黒ずんだコンクリートの通路が果てしなく続いていた。
 2階に続く階段は、玄関を入ってすぐの左手にあった。廃校の校舎にあるような大きな階段で、なぜかそこだけが洋風だった。
 アパートに1歩入った瞬間、冷凍庫を開けた時のような冷気に包まれた。空気は止まり、すきま風ひとつ流れていなかった。
 ギシッギシッと音を立てながら階段を進んだ。階段の壁には剥き出しになった電線が走り、その電線には黒い綿のような埃がびっしりとくっ付いていた。これでよく火事にならないなと驚きながら階段を上った。
 2階に上がると、薄暗い廊下が奥へ奥へと伸びていた。陽当たりが悪い上に、ぽつんぽつんと天井にぶら下がっている裸電球も弱々しい。
 向かい合わせに並んでいる部屋には、『六号』、『七号』と書かれた、黄ばんだ紙切れが画鋲で張付けてあるだけで、どの部屋にも表札らしきものは見当たらなかった。
 廃墟のように静まり返ったアパートだったが、しかし、部屋の前には洗濯機や中華料理店の出前桶などが所々に置かれ、微かに人の気配は感じられた。
 薄暗い廊下を進んだ。奥へ進むにつれ闇は漆黒へと変わっていった。
 廊下の突き当たりで足を止めると、『十六号』と書かれた部屋のドアをノックした。
 何も返事が帰って来なかった。しばらくしてもう一度ノックしてみた。コン、コン、っという木製の音に混じり、扉についた小さな窓ガラスがガンガンっと揺れる音が響いた。
 さっき女が手を振っていた部屋に間違いないのに、女は一向に出て来る気配を見せなかった。
(さっき手を振ってたじゃない……)と不思議に思いながら、もう一度ノックをしようとした時、ふと、おかしな事に気が付いた。窓から手を振っていた女は、私の事を見た事がないはずなのに、どうしてそれが私だという事がわかったんだろう。
 それに気付いたとたん、白いペンキで殴り書きされた『のぞぼとけ』の不気味な文字が頭にパッと浮かんだ。足を止めたのに鳴り響いていたヒールの音が耳の奥に甦った。
 襲い掛かる恐怖が猛烈な怒りに変わってきた。私は「いかげんにしてよ!」と叫びながらドアノブをおもいきり引いたのだった。

 ドアの鍵は開いていた。
 部屋は静まり返り、正面の窓に映る竹林がざわざわと揺れているのが見えた。
 窓の下に白い布が敷かれた卓袱台があり、その上には『バドワイザー』のロゴがプリントされた灰皿がひとつ、ポツンと置いてあった。
 物音ひとつしない部屋は異様に寒く、人の気配が全く感じられなかった。
「ねぇ……いるんでしょ……」と言いながら、私は恐る恐る玄関に足を踏み入れ、台所のシンクからソッと奥を覗いた。
 いきなり女と目が合った。女はジッと黙ったまま私を睨んでいた。
 愕然と立ちすくむ私は性器に生温かい感触を感じた。それは下着から滲み出し、太ももの裏側をダラダラと垂れては、みるみるとブーツの中に溜まっていった。
 擦り切れた古畳の上には、赤や黒や茶色の液体が飛び散っていた。かなり放置されたままなのか、その液体は既に乾き、まるで前衛的な油絵のようにサイケな模様を浮かび上がらせていた。
 不意にロープがギギッと軋んだ。すきま風もないのに、ぶら下がる女の体が微かに揺れた。
 ぶらさがる女の左手は五本の指が全て無惨に千切れていた。だらりとぶらさがる右手には携帯電話が力強く握られたままだった。
 多分、その携帯電話のリダイヤルを押せば私の携帯が鳴り出すだろうと思うと、そこで初めて私は叫び声をあげたのだった。

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精神的恐怖小説

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