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のぞぼとけ1

2012/05/31 Thu 00:14

のど1




「番号変えるのってなんか怖いよね……」
 アユミはそう言いながら、氷が溶けかけた緑茶ハイのグラスを黒いストローでぐるぐる回した。
「怖いって何が?」
 私は箸の先でホッケを突きながら聞いた。親指大の白身がごろりと解れ、皿の上にほくほくの湯気が立った。
「だって、この番号ってついこの間まで全然知らない人が使ってたわけでしょ……それって怖くない?……」
 私は露骨に嫌な顔をしながら「やめてよ」とアユミを見た。
「これね、ネットに書いてあった事なんだけど、ここ十年内に契約した携帯番号ってのはほとんどが新品なんだけど、最近の番号ってのは全部中古らしくてね……」
 そう呟くアユミの顔は、子供の頃に用水路で見た赤腹イモリによく似ていた。不気味なネットばかり見ているアユミのその手の話しは、ほとんどが幼稚な都市伝説ばかりだ。
「それがどうしたのよ」
 私は突っ慳貪に言いながら一刻も早くこの居酒屋から出たいと思った。アユミなんかに新しい携帯番号を教えなければよかったと後悔していた。
「だいたいさぁ、長年使っていた携帯番号をいきなり変えちゃう人ってワケアリが多いじゃない」
 アユミはそう言いながらテーブルに溜った水滴をスッと指で引いた。

 私もそのワケアリの一人だった。半年前、まだ私が大学生だった頃、合コンである男と知り合った。その男とは合コンで1度会っただけなのに、それから凄まじいストーカーをされた。
 男に追われ、かれこれ4回も引っ越した。
 今回、高校時代から使っていた携帯番号を変えたのも、そのストーカー男から逃れるためだった。
 アユミはそんな私のワケを知っていた。知っているに決まっていた。その合コンに誘ったのもアユミだったし、そこであの男に私を紹介したのもアユミだったからだ。

 アユミは、言っちゃマズい言葉を言ってしまったと慌てながら、「そういう意味じゃなくて」と言葉のトーンを変えた。
「ほら、ユカみたいにストーカーにしつこくされてるとかね、通話料が払えなかったっていうワケならいいんだけど、例えば、」
「もういいよ」
 得意気になって話し始めるアユミをキッと睨んだ。
 突然、店の入口がガヤガヤと騒がしくなり、狭い店の中に「7名様、6番テーブルに御案内でーす!」という奇妙な発音の声が響いた。
 私とアユミはしばらく無言でホッケを突いたり、溶けたグラスの氷を掻き混ぜたりしていた。
 7名の団体がようやく席に落ち着いた頃、再びアユミが「でも……」と口を開いた。
「新しい番号は何かと気を付けた方がいいよ……その番号、どんな人が使ってたかわかんないし……」
 アユミはそう言いながら、くだらない都市伝説を話し始めた。そんなアユミの顔は、やっぱり赤腹イモリによく似ていた。


              


 シーンっと静まり返った闇の中を、ひと昔前の中国ホラー映画のように両手を伸ばしながら手探りで進んだ。
 玄関からバルコニーの窓まではわずか5歩で到着した。
 カーテンの隙間から恐る恐る外を覗く。あいつがどこかに隠れていないかと、電信柱の裏にまで目を凝らす。
 それがここ半年の、部屋に帰ってからの私の日課だった。
 あいつがいないのを確認した私は、そこで初めて照明のスイッチを押した。天井の蛍光灯がパラパラと鈍い音を立て、ワンルームの薄汚れた壁をぼんやりと照らした。
 越して来たばかりの部屋には、マジックで『夏物』と殴り書きされた段ボールや、新聞紙に包まった食器などが放置されたままだった。
 これで4度目の引っ越しだった。仲間内で、半年の間にこんなに引っ越ししているのは私とユリカだけだった。
 ただし、同じ引っ越しでも私とユリカの状況は大きく違った。私の場合はストーカー男から逃れる為の暗い引っ越しで、ユリカの場合は男が代わる度にマンションも新しくしてしまうという明るい引っ越しだった。
 段ボールと段ボールの間に布団を敷いた。度重なる引っ越しに疲れていた私は、2度目の引っ越しでベッドを捨てた。そのベッドは、新潟の実家でずっと使っていた愛着のあるベッドだったが、引っ越しの度に業者に組み立ててもらわなければならない為、面倒臭くなって捨ててしまったのだった。
 布団の上で服を脱ぎ、脱いだ服を『アルバム』とマジックで殴り書きされた段ボールの上にドサッと置いた。
 そのまま浴室に向かった。シャワーを浴びるときは、いつもドアを開けっぱなしにしていた。おかげで部屋はいつも湿気でネトネトになったが、しかし、完全に閉じ篭ってしまうよりはマシだった。閉じ篭ってしまうと、ドアの向こうで知らない誰かが歩き回っているような気がして、怖くて堪らなくなるからだ。
 シャワーを浴び終えると、全裸のまま布団の上で髪を乾かした。ドライヤーの音だけが狭い部屋にゴォォォっと響いた。テレビは持っていたが、まだチャンネル設定をしていなかった。

 初めて電話が掛かって来たのは、アユミと会ったその日の深夜だった。電話が掛かって来たというより、電話が鳴った気がしたと言ったほうが正しい。
 ふと目を覚ました私は、今、確かに携帯が鳴っていた、と暗闇をジッと見つめていた。着信音が耳の奥に微かに残っている。
 布団の中からソッと手を出し、枕元の携帯を取った。
 布団に寝転がったまま携帯を開くと、暗闇の中にディスプレイの明かりがポッと灯った。枕のすぐ横に置いてあったポテトチップスの段ボールがぼんやりと浮かび、じゃがいもの形をしたキャラクターが暗闇に映し出された。
 時刻は2時2分だった。ディスプレイに着信は表示されておらず、履歴を調べても電話は掛かってきていなかった。
 でも、確かに着信音は私の耳の奥に残っていた。
 私は携帯を枕元に戻しながら、もしかしたら隣の部屋の人の携帯が鳴ったのかも知れない。このマンションの壁は、咳が聞こえるほどに薄い壁だから……と思った。
 いや、そう思う事にした。ふと、さっきの居酒屋で聞いたアユミのくだらない都市伝説を思い出してしまった私は、無理矢理にでも隣りの人の携帯が鳴ったんだと決めつけながら、布団の中で胎児のように踞ったのだった。

 しかし、その次の日の夜も、同じ現象が起きた。
 暗闇の中、携帯が鳴っている、と目を覚ました私は布団から飛び起きた。
 慌てて電気を点けた。妙に寒々とした薄暗い蛍光灯だったが、明かりは一瞬にして安心感を与えてくれた。
 携帯を確認した。時刻は2時1分だった。やはりそこに着信履歴は見当たらない。
 しかし、確かに私は暗闇の中でトゥルルルルルっという着信音を聞いた。その着信音は私が設定している音と同じで、まだ私の耳の奥にはその残音が響いているのだ。
 私は壁にソッと耳を押し当て、隣の部屋の様子を伺った。右側の203号室には年金暮らしの老婆が1人暮らしをしていた。深夜2時の老婆の部屋は当然の如くシーンっと静まり返っていた。
 左側の205号室の壁にも耳を押しあてた。その部屋には労務者風の中年男が一人で暮らしていたが、そこも静まり返り、物音ひとつ聞こえて来なかった。
 となれば、1階の大学生しかいなかった。私はその可能性を信じながら、フローリング調のクッションフロアの床に顔半分を押しあてた。しかし、そこもまた物音ひとつ聞こえて来ない闇に包まれていた。
 私はアユミを恨んだ。バカみたいな都市伝説を得意気になって話していたアユミが憎くて堪らなかった。
 アユミがあんな話しさえしなければとイライラしながら、私は携帯の着信音を変更した。いくつかある着信音のパターンの中から、絶対誰も使わないだろうと思われるアジア風の民族音楽に変更してやった。
 それでもまだこの着信音が聞こえて来るようだったら電話番号を変更してもらおうと思いながら、私は布団に潜り込んだのだった。

 そんな民族音楽がけたたましく鳴り出したのは、昼休みの、よく晴れた冬空の屋上だった。
 電話は母からだった。
 私のその着メロにいち早く反応した事務課の船堂さんは、私が母と電話をしている間、何か言いたそうにニヤニヤしながら、私の電話が終わるのを待ち受けていた。
「あの男、また来たのよ……」
 裏山の猪が畑を荒らしに山から降りて来たような口ぶりで、母はそう言った。
「あんたの新しい番号を教えてくれないなら、ここで切腹するって騒いでたわよ」
 母は呆れたように笑った。
「絶対に今の住所とかこの携帯番号とか教えないでよ」
 私は2回続けて母に念を押した。今まであの男に私の住所を教えてしまったのは、最近急激に痴呆が進んだ母なのだ。
「わかってるよ。もう絶対に教えないよ。今度来たら警察に告訴してやるから」
 母は、最近バラエティー番組で覚えたばかりの『告訴』という言葉を自慢げに使った。
 母の電話を切るなり、船堂さんがニヤニヤ笑いながら私に絡み付いて来た。船堂夕子さんは、この会社で一番古い事務員だった。40を過ぎた未婚で、未だ処女だという噂だ。
「大塚さん、ふふふふふ。その着メロ、私と一緒」
 船堂さんは、何がそんなに可笑しいのか、馬のような大きな顔を前に突き出しながら、ふふふふふ、っとしばらく笑っていた。そんな船堂さんの髪から、湿った押入れのような饐えた匂いがぷんっと匂った。こんな着信音にしている人が本当にいたんだと驚いた私は、昼休みが終わるまでの間に着信音を変えたのだった。

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