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餓鬼7─ GAKI ─「どん底」

2012/05/31 Thu 00:13

餓鬼7




すっかり暗くなった路地を、シジミとアジが入ったビニール袋をぶら下げながらぼんやり進んだ。
明かりの灯った民家の裏窓からは様々な夕食の香りが漂い、ふと、哲雄の口内にさっき食べた豆腐とワカメのみそ汁の味が甦った。
インスタント以外のみそ汁なんて何年ぶりだろう。そう思いながらおもわず舌をペチャッと鳴らした。

家の前まで来ると、珍しく居間の灯りが付いているのが見えた。
どうせ家を追い出されたお父さんが、お母さんの目を盗んでこっそり冷蔵庫の中を漁っているんだろうと思いながら玄関を開ける。
しかし、そこにはお父さんの姿はなく、お母さんが一人でテレビを見ていた。

いつも昼過ぎに家を出て、夜中まで帰って来ないお母さんがこんな時間に家にいるのは珍しかった。
「今日、お店は?」
廊下に突っ立ったまま哲雄が聞くと、お母さんは「うん」と面倒臭そうに返事をしながら、テレビのクイズ番組に向かって「エジソン!」と叫んだが、しかし答えは「豊臣秀吉」だった。

居間は荒れ放題だった。
派手な店用のドレスがそこらじゅうに脱ぎ捨てられ、卓袱台の上には、化粧品と、缶ビールの空き缶と、そして灰皿から溢れる煙草の吸い殻が散乱し、テレビの横に置いてあった出前桶の中には、食べかけの天津飯と酢豚が乱雑に押し込まれていた。
そんな荒れ果てた部屋の中で、お母さんは平気な顔して煙草をスパスパと吹かしながら、「瀬戸の花嫁!」と叫んでいたが、しかし答えは「瀬戸大橋」だった。

出前桶の中で、斜めに押し込まれている酢豚の皿から真っ赤なタレがポトポトと滴り落ち、部屋中に酸味の利いた香りを撒き散らしていた。
呆れた顔をした哲雄が台所に行こうとすると、いきなりお母さんが「臭っ!」と叫んだ。
「なによその袋……変な物持ち込まないでっていってるでしょ……」と、哲雄が持っているビニール袋を見つめながら露骨に嫌な顔をした。
「敏光の家で貰ったんだよ」
哲雄は二つのビニール袋をお母さんの前に差し出した。

むくりと上半身を起こしたお母さんは、恐る恐るビニール袋の中を覗き込むなり、「うわっ! なによこれ!」と慌てて鼻を摘んだが、しかしそこに一万円札が入っているのを見つけると、哲雄の手からビニール袋を奪い取った。
「どうしたのよこのお金」
お母さんはそこから一万円を抜き取ると、それを哲雄にヒラヒラと見せながら聞いた。
「敏光のお父さんに貰ったんだよ」
「貰った?……なんであんたが一万円も貰うのよ?……」
「わかんないよ……いいから取っとけって、くれたんだよ……」
お母さんは、何かを勘ぐるかのように哲雄の顔を覗き込みながら、「……あんた、あの魚屋に何か言ったのかい?」と眉を顰めた。
「……何かって、なんだよ……」
「だから例えば、アタシがピンサロに勤めてる事とか、父ちゃんが帰って来ないとか」
「っんな事、言うわけないだろ……」
哲雄が呆れ顔で溜息をつくと、お母さんは突然キッ! と哲雄を睨みつけ、「何も言わないのに一万円もくれるなんて変だろ!」と声を荒げた。
荒れ果てた部屋に寒々としたヒステリックな声が響くと、ふと、帰り道に見た民家の裏窓に灯っていた温かい明かりを思い出し、とたんに哲雄は泣き出したい気分になった。
「……わかったよ、じゃあ返して来るよ」
そう不貞腐れながら一万円札を奪い取ろうとすると、お母さんはその手をサッと引いた。
「いいよ。アタシが叩き返してやるよ。乞食じゃねぇぞ! って、あの生臭い魚屋夫婦に怒鳴りつけてやるよ……」
そう言いながらお母さんはその一万円札を小さく折り畳み、素早く煙草の箱のビニール袋の隙間にスっと差し込んだ。

いきなりお母さんは活き活きし始めた。
袋の中を覗き込み、「この魚、腐ってるよ。凄く臭うしさ、それにほらパサパサに乾いちゃってるじゃないか」と、テンション高くケラケラと笑いながら立ち上がると、部屋中に脱ぎ捨ててあるドレスを一枚一枚物色し始めた。
「腐った魚をくれるなんて、ちょっと非常識だよね……」
そうブツブツ呟きながら、大量に山積みされたドレスの奥から、まるでチンドン屋のような派手なドレスを乱暴に引きずり出した。
「まぁ、潰れかけの魚屋だからしょうがないけどね」と、毛玉だらけのジャージを乱暴に脱ぎ捨てると、妖怪のように弛んだ醜い腹をタポタポと揺らしながら、そのチンドン屋のようなドレスに着替え始めたのだった。

鏡台に腰を下ろしたお母さんは、鏡を覗き込みながら忙しなく化粧を始めた。
その鏡台の鏡の隅には蜘蛛の巣のようなヒビが入っていた。それは、哲雄がまだ幼い頃、競馬で有り金全部スってしまったお父さんがトチ狂い、全員ぶっ殺してやる! と、叫びながら投げたガラス製の灰皿が当たってできたものだった。
「今からお店に行くの?」
ひび割れた鏡に映る歪んだお母さんの顔を見つめながら哲雄が聞いた。
「ふん。お店なんて、もうヤメちゃったよ。あんな店で誰が働いてやるもんか」
そう吐き捨てると、頬をパタパタさせていたファンデーションのスポンジを床に投げ捨てた。

真っ赤な口紅を塗り終えたお母さんは、鏡台を立ち上がりながら携帯電話でどこかに電話をした。
ゴミの中からヨレヨレのストッキングを引きずり出すと、それをクンクンと嗅ぎながら携帯に向かって「もしもし和夫ちゃぁん」と、気味の悪い色声で笑った。
ゴミが溢れる卓袱台の上に太い足を乗せ、伝線したストッキングを片方ずつ履きながら、「そんなワケでさぁ、アタシ、もうあの店にいないからぁ、和夫ちゃんもあんな店には二度と行かなくていいから」とブツブツ呟いている。

そんな母親に呆れた溜息をつきながら、まるでゴミ屋敷のような台所へと向かった。
缶ビールしか入っていない冷蔵庫の中にシジミとアジの干物を押し込んだ。
恐らく、缶ビールを取ろうと冷蔵庫を開けたお母さんが捨ててしまうだろうが、しかし、自分の手でこれを捨てられないと思った哲雄は、それをわかっていながら冷蔵庫の中に強引に押し込んだ。
「ねぇねぇ今から飲みに行かない? ふふふふふ、臨時収入があったのよ」
お母さんの嬉しそうな声が居間から聞こえてきた。冷蔵庫から溢れた缶ビールが床にゴトリと落ち、そのままゴロゴロと音を立てながら勝手口の方へ転がって行ったのだった。


それから一週間後の事だった。
土手で襲撃された男から覚醒剤を買っていたとされる客たちが次々に逮捕された。
警察は男の携帯電話の履歴等から客を割り出し芋づる式に逮捕した、と新聞に書いてあった。
逮捕された者の中には、高校の美術教員や地元の消防署員、そして女子中学生までもが含まれており、このショッキングな事件に狭い町は騒然とした。
そんな逮捕者の名前が並ぶ新聞記事には、敏光のお父さんの名前も載っていた。

「あの売人、犯人が子供だって事、警察に喋ったと思うか?」
教室の後のクズカゴの前にしゃがむ正治が、声を潜めて哲雄に聞いた。
「喋ってるかも知れないけど、でも、子供に襲われたなんて警察は信用しないだろ……」
哲雄はそう答えながら足下に転がっている誰かの帽子を蹴飛ばし、言葉を続けた。
「三百万、とにかく急ごうぜ。っていうか、もう三百万なくてもいいじゃん、今ある金だけで逃げちゃおうぜ、捕まっちゃったら何もかもがおしまいだよ」

しかし、味付け海苔の缶の中には五七万円しかなかった。
たったの五七万円では彼らが追い求める夢には程遠い。
転がる帽子を目で追いながら正治が呟いた。
「あれっぽっちの金じゃ何にもできねぇよ……もう一回。最後にもう一回、がっぽりと金を掴んでから逃げたほうが……」
「でもその前に捕まっちゃったらどうすんだよ」
哲雄はそう呟きながら素早くしゃがみむと、項垂れる正治の顔を覗き込んだ。
「それに、がっぽりと金が入るネタなんてねぇよ……」
「だから」と言いながら正治は顔を上げ、哲雄を真正面に見据えると、「それを今から探すんだよ……」と、自信なさげに呟いた。

その時、いきなり教室が騒がしくなった。
哲雄たちが振り返ると、教室の入口に敏光がモジモジと立ちすくんでいた。
父親が覚醒剤で逮捕されてから始めての当校だった。
三日ぶりに見る敏光の顔は青白く、見るからに憔悴しきっていた。

いつもなら、「おはよっ」と声を掛ける哲雄だったが、しかしこの時ばかりは声が出なかった。
この三日間、敏光のお父さんが逮捕された原因を作ったのは自分だという罪悪感に苛まれていた哲雄は、まともに敏光の顔が見れなかったのだ。

敏光はクラス全員の注目を浴びながら、身を隠すようにして教室に入って来た。
項垂れたまま、自分の上履きの先をジッと見つめては一歩一歩自分の机に向かって進んだ。
そんな敏光の前に鈴木が立ち塞がった。
「おまえの父ちゃん、魚に覚醒剤打ってたって本当か?」
とたんに女子達がクスクスと笑い始め、男子たちがゲラゲラと笑った。
鈴木は両手を広げ皆に向かって叫んだ。
「らっしゃい、らっしゃい、今日はイキのいいシャブが入ってるよ!」
この鈴木の父親も、半年前、飲酒運転の末に老人を轢き殺し逮捕されていた。その時の鈴木も、やはり今の敏光のようにクラスの皆に徹底的にイジメられた。

鈴木は、まるでその時の『仕返し』をしているかのように、執拗に敏光に喰い付いた。
椅子に座ろうとする敏光の両腕を掴み、「おねげぇしますだお代官様! 覚醒剤を教室に持ちこまねぇで下せぇ!」と、土下座をしながら泣き真似をした。
教室がドッと沸いた。
鈴木は、そうやってクラスの皆が笑うたびに多幸感に包まれていた。敏光が凹めば凹んだ分だけ、今まで凹まされてきた自分が凸けると思い込んでいた。

そんな鈴木に便乗して、中田が敏光のランドセルを奪い取った。
「動くな! 警察だ! 身体検査をする!」
そう叫びながら敏光のランドセルを開けようとする中田を、一部の女子たちがニヤニヤしながら見守った。中田は少年サッカークラブのキャプテンで、妙に女子から人気があった。

中田は、柳沢慎吾の『警察24時』の口マネを必死にしながら、口の開いたランドセルを机の上にぶちまけた。筆箱や教科書が机の上に投げ出されるのを、敏光は下唇を噛み締めたまま見つめていた。
「捜査本部! 捜査本部! 怪しげな物を発見しました!」
そう叫びながら中田が鉛筆の先で突いたのは、アルミホイルに包まれた拳大のおにぎりだった。毎月第三土曜日は奉仕活動のため、弁当を持参しなければならないのだ。

クラスの皆がニヤニヤと見守る中、中田は鉛筆の先でアルミホイルを広げ始めた。
カサカサと音立てる中から、ベタベタに湿った真っ黒な海苔に包まれたおにぎりが姿を現し、誰かが小さく「キモっ」と呟いた。

中田は容赦なくそのおにぎりの腹に鉛筆を突き刺した。
ポロポロと米粒が解れ、次第におにぎりはその原型を無くしていく。

ふと哲雄の頭に、それを握っているおばさんの顔が浮かんだ。おじさんが逮捕されてしまった今、おばさんはどんな気持ちであのおにぎりを握っていたのだろうかと思うと、哲雄は胸を締め付けられる思いがした。

中田は、おにぎりの中から出て来た焼きタラコの欠片を鉛筆の先に突き刺し、「タラコ発見! タラコ確保!」と絶叫した。教室は今までにない爆笑に包まれ、同時に敏光が無言のまま顔をクシャクシャにし、おにぎりが滅茶苦茶にそれたアルミホイルの上に涙をポタポタと垂らした。

「っの野郎……」
おもわず哲雄が前に出ようとすると、「やめとけ」と正治が哲雄の腕を掴んだ。
「あんな奴を庇ってると、おまえもまたイジメられるぞ」
正治は強引に哲雄の腕を引いた。
正治が言うように、哲雄も数年前はイジメられていた。家を追い出された父親が公園のベンチで寝ていたのをクラスの誰かが発見し、瞬く間に哲雄はホームレスの息子としてイジメられていたのだ。

「敏光んち、今週にも引っ越して行くらしいぜ…」
正治が哲雄の前に立ち塞がりながら呟いた。
「引っ越す? …どうして?」
「昨日、銭湯で酒屋の親父たちが話してたの聞いたんだけど、あいつの父ちゃん暴力団から二百万借りてたんだってよ。で、父ちゃんが逮捕されちゃったから借金返せねぇって事で、あの家、暴力団達に取られちゃうんだってさ」
「…………」
「だからさ、どうせ転校して行くんだし、あんな奴、庇うなよ…」
そう言いながら正治は哲雄の腕からゆっくり手を離した。
敏光の机の周りを、奇声をあげながら走り回る鈴木達と、パチンコで買った一万円札を握りしめながら「うひょひょひょひょ!」と、はしゃぎ回っていた敏光のお父さんの陽気な姿が重なった。

そこに先生がやって来た。鈴木達は慌てて席に戻り、女子達が黒板に書かれた中傷のラクガキを慌てて消した。
学級委員が「起立っ!」と叫んだ。
ガタガタと椅子が鳴る音に紛れ、誰かが「お父さん、今夜の晩ご飯はお父さんの大好きなしゃぶしゃぶよ!」と叫んだ。
再び教室がドッと湧いた。
教壇に立つ先生も笑いを堪えていた。

(つづく)

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