夏休み子供劇場1・夏休み
2012/05/31 Thu 00:13
蝉の鳴き声とタイヤ工場のドリルの音が、真っ青な空に延々と響いていた。
連なる山の隙間から巨大な入道雲が顔を出していた。
プールバッグをポンポンと蹴りながら歩く浩一が「凄い夕立が来るべ」と入道雲を見上げながら呟いた。
小学校最後の夏休み。
空の青さと、山の緑と、入道雲の白さが、僕達の目の前に大きく広がっていた。
学校のプールの帰り道、僕達はいつものように「おっちゃーん」と叫びながら文房具店に飛び込んだ。
日陰の店内はひんやりと涼しく、香り消しゴムの香りが優しく充満していた。
店の奥にある自宅の居間では、ランニングシャツのおっちゃんが半分に折り曲げた座布団を枕にしながら寝転がっていた。
おっちゃんは扇風機に吹かれながらも、更に団扇でパタパタと煽ぎ、気怠そうに僕達を見ては「いらっしゃい」と呟いた。
駄菓子の棚を物色していた僕が『よっちゃんイカ』と『うまい棒たこ焼き味』を手にすると、『チェリオ』を手にした和夫が、「おっちゃん、はい」と言いながら居間の畳に五十円玉を転がした。
そんなチェリオは、ロボコンの絵が描かれた子供用プールの中で冷やされていた。
和夫が握るチェリオからポタポタと水が滴り、おっちゃんが寝転がる畳を水浸しにした。
おっちゃんは「毎度」と低く呟きながらムクリと起き上がると、転がる五十円玉をのんびりと摘まみ上げ、首にぶら下げていた『だいまる酒店』のタオルで畳に滴る水を拭き取った。
おっちゃんは畳を拭きながらも、アイスの冷蔵庫の中に顔を突っ込んでいる修司に向かって「修司、開け過ぎ、開け過ぎ」と首を振る。
「だって、おっちゃん『当たり』を奥に隠してんだもん……」と唇を尖らせながら顔を上げる修司の手には、選びに選び抜かれた『ホームランバー』が一本握られていたのだった。
僕達はそれぞれに好きなモノを手に入れると、居間の上がりかまちに腰掛けながら扇風機に当たった。
居間のテレビからは高校野球の応援歌が延々と鳴り響いていた。卓袱台の上には食べかけのそうめんと黄金色したビール瓶が無造作に置かれていた。
「キミ達はプールに入れるからいいよね」
おっちゃんは食べかけのそうめんのガラス器の中に指を入れながらそう呟いた。
ガラス器の中で溶けかけの氷がカランっと鳴った。
おっちゃんはガラス器の中でふわふわと浮いていた一本のそうめんを摘まみ上げると、それをツルンっと唇の中へと吸い込みながら「おっちゃんも学校のプールに行きたいなぁ」と笑った。
そんなおっちゃんに微笑む僕は、うまい棒をガリガリと齧りながらこっそり奥の座敷を見た。
敷きっぱなしの布団の枕元には缶ビールの空き缶が無数に転がり、吸い殻が山のように積み重ねられた灰皿が置いてあった。
その座敷の押入れの襖の柄。
それは真ん中に青い帯が入ったどこにでもある平凡な柄だったが、しかしその青い帯は僕の心を激しく躍らせた。それはまるで『オールスター水泳大会』で、河合奈保子の大きな胸がユッサユッサと揺れるのを見て、不意にムラッと襲われるそんな興奮によく似ていた。
おっちゃんは、ガラスの器の底に沈んでいた齧りかけのスイカを摘まみ上げると、残っていた赤い部分をガシュガシュと齧りながら「そうだ、キミ達にもスイカを御馳走しよう」とゆっくりと立ち上がった。
そんなおっちゃんの臑毛だらけの脹ら脛には、スイカの種がまるで黒子のように貼り付いていた。
そのままドカドカと床を鳴らしながら狭く汚い台所へ向かったおっちゃんは、剥がれかけたオバケのQ太郎のシールが貼ってある冷蔵庫の中から半分に切られたスイカを取り出した。
何やら機嫌の良さそうなおっちゃんは、松田聖子の『青い珊瑚礁』を演歌調に口ずさみながら、黄ばんだまな板の上でスイカをガシガシと切り始めた。
そんなおっちゃんの後ろ姿と奥の座敷の押入れの襖を交互に見る僕は、(やっぱり今夜も忍び込もう……)と心の奥で小さく呟き、たちまち股間全体にざわざわとした寒気を走らせたのであった。
(つづく)
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