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コブラ12




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 僕は病棟に響き渡る中村の怒声を聞きながらあずみちゃんのいる二号室のドアに慌てて鍵を押し込んだ。

「誰かケンカしてるの?」

 必死でドアを開けようとしている僕をボンヤリ見つめながら、あずみちゃんは心配そうに廊下を覗き込んでいる。
 時間がなかった。ここまで中村が騒ぎ出せば、恐らく中村に急かされた特Aの看護士が鉄扉の鍵を開けるだろう。だから一刻も早くここから脱出しなくては危険なのだ。そう、あずみちゃんを連れて。

 僕がここからあずみちゃんを連れ出すというのは、いわゆる僕の看護士生命が終わる事を意味していた。
 精神病院の特別病棟の患者を院長の許可なく外に連れ出すなど、刑務所の受刑者をシャバに連れ出すか、若しくは動物園のゴリラを野放しにするかに等しい行為なのだ。しかもその患者は、優秀な専門医師達から躁鬱病と診断され、しかも自殺願望者というお墨付きを頂いては重要危険人物に指定されているのである。
 ましてあずみちゃんは未成年の少女だ。
 これは普通に考えても底知れず罪が重い。
 まず、100%自殺するとわかっている彼女をその隔離病棟から脱走させては社会に野放しにするという事は、これは解釈によっては自殺幇助罪に問われる可能性が高い。もし逃亡中に彼女が本当に自殺してしまったら「自殺関与・同意殺人罪」に問われる可能性もあるとウィキペディアに書いてあった。しかしこれだけならまだしも、彼女はなんと言っても未成年の少女だ。プラス精神病者だ。そんな精神病の少女を深夜病院外に連れ出すというのは、健常者な少女を連れ回すロリコンよりも明らかに罪は重いだろうと法に無知な僕でもさすがにそのくらいはわかる。

 これは看護士生命を賭けての逃避行ではなく、僕の人生を賭けての逃避行になるかもしれない。これは看護婦のトイレシーンを覗くような、そんなケチな犯罪ではないのだ。
 しかし、そんな事を躊躇している暇はない。とにかく今は彼女をこの病棟から脱出させないことには、彼女はキングコブラの餌食となり、自殺する前に殺されてしまうのだ。

 もう何も見えなくなった僕は、ただただ彼女を助けたい一心でその禁断の鍵をガチャリと開けた。
 事態を何も知らない彼女は、ドアが開くなり「ねぇねぇ新しいヨガのポーズを考えたの。『ひよこのくしゃみ』って名付けたんだけど、ちょっと見て見て」と、嬉しそうにベッドにちょこんと飛び乗った。
 確かに、彼女が我流で開発した『ひよこのくしゃみ』というヨガのポーズには興味を惹かれた。が、しかし今はそれをのんびり眺める暇はない。今にも、怒り狂った中村と獰猛な特Aの看護士が突入して来るかも知れないのだ。
 僕はベッドの上で必死に逆立ちしようとしながらも、ウンウンと唸りながらまるで江頭2:50の決めポーズのような体勢になっている彼女に叫んだ。

「ここを逃げよう!早くするんだ!」

 僕がそう叫んだ瞬間、廊下の奥からガシャン!という鉄扉が開く音が聞こえた。
 いよいよヤツラが特Bに侵入して来たのだ。
「早く!」
 僕は彼女の細い腕を掴んだ。
「どうして?」
 事態を読み込めていない彼女は、不思議そうな顔をしながらのんびりと首を傾げる。
「どうしても糞もない!早く!」
「でも、せっかくあずみが『ひよこのくしゃみ』を・・・」
「ひよこはくしゃみをしない!」
 僕はそう怒鳴ると、彼女の腕を強引に引っ張り部屋を飛び出した。

 廊下に出ると、前園さんが監禁されている七号室を唖然と覗き込んでいた中村と特Aの看護士がいた。どうやら彼らは七号室に閉じ込められている前園さんを発見したらしく、「いったいこれはどういうことだ?」と、彼らは頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。
 しかし、廊下に飛び出して来た僕とあずみちゃんを「はっ!」と見た瞬間、彼らの頭上のクエスチョンマークは一瞬にしてパッ!と消えた。そう、ヤツラは僕達を見てやっと事態が飲み込めたのだ。

「おい!ちょっと待たんかい!」

 まさしく、ふいにバナナを奪い取られては怒り狂うマウンテンゴリラの如く、中村は強烈に恐ろしい形相で僕らにそう怒鳴った。
 瞬間的に僕の足は竦み、同時にあずみちゃんが「怖っ!」と呟きながら僕の手をギュッと握った。

「あんた、その患者をどこに連れて行くんだ・・・」

 中村の後から2メートル近くはありそうな巨大な看護士がそう言いながらスタスタとこちらに向かって来た。
「あわわわわ・・・」っと脅える僕の隣で、「デカっ!」と笑うあずみちゃん。
 僕はもうどうにでもなれ!と最後の力を振り絞り、あずみちゃんの手をおもいきり握りながら病棟のゲートに向かって走り出した。それはまるで、なぜか上海にある恐ろしく高いビルの上で、ビュービューと風に吹かれながら不安定に立ちすくんでいるという非現実的な夢の中で、こんな怖い思いをするくらいならいっその事飛び降りてしまえ!と地の底へとダイビングする時のような、そんな無鉄砲で投げ遣りな糞度胸だった。


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 僕達が走り出すのと同時に、「コラッ!」という叫び声が聞こえ、同時にスニーカーのゴム底が廊下に擦れるキュッ!という激しいダッシュ音が響いた。
 その音を聞いた僕は、恐ろしさのあまりにその場にへたり込みそうになりながらも必死にゲートに向かって走った。子供の頃から鬼ごっこという遊びが大嫌いだった僕は、神社の境内で鬼の田中達郎君に執拗に追いかけ回されながら何度小便を洩らした事かわからない。そんな僕が、今、命を掛けた鬼ごっこをしようとしているのだ。

 管理室の前の角を曲がると、いきなり重圧な鉄格子のゲートが現れた。このゲートの鍵を持っているのは特B看護士だけで、特Aの看護士はここの鍵は持っていない。だからなんとかこのゲートさえ潜り抜け、表からゲートの鍵をしてしまえばこっちのものだった。
 角を曲がった僕達は、そのままの勢いで鉄格子のゲートに追突した。ガチガチガチっと音を立てながら、腰にぶら下げている無数の鍵の中からゲートの鍵を必死で探し出す。
 キュッ!キュッ!キュッ!キュッ!という特A看護士が走るスニーカーのゴム底の音と、パタパタパタという中村が走るスリッパの音がだんだんと背後に迫って来る。
 僕はそんな音に焦らされながら、10個以上ある無数の鍵の中から「ゲート」の鍵番である「七」という数字をガチャガチャと探した。

「ひよこはくしゃみするんだよ」

 ふいにあずみちゃんが僕の耳元で囁いた。と、その瞬間、僕は「七」とシールが貼られた鍵を見つけ出し、それをググッとゲートに差し込んだ。
 カシャン!というゲートが開かれた音に気付いたのか、向かって来る特A看護士が「ちょっと待て!」と叫んだ。
 僕はあずみちゃんの手を引っ張りながらゲートの向こう側に飛び込むと、それとほぼ同時に廊下の角から特A看護士がガバッ!と現れた。
「やめろ!」
 そう叫びながら特A看護士がゲートに飛び込もうとした瞬間、僕はおもいきりゲートの扉を閉めた。
 ダイブした特A看護士が瞬時に閉じられた鉄格子に激突し、ゲート全体がグワングワンと音を立てて揺れた。
 僕は必死で格子扉を掴んだまま急いで鍵穴に七と書かれた鍵を押し込む。ガチャン!と鍵が閉まったと同時に、ハァハァと息を切らせた中村が通路の角から飛び出して来たのだった。

 しかし、ゲートの鍵が閉められてひとまず安心した所に、特A看護士の太い腕と中村のイレズミだらけの腕がいきなり鉄格子の隙間からグワン!と伸びて来た。それはまるで昔深夜放送で見たゾンビの映画のワンシーンのようだ。
 飛び出して来たそんな彼らの腕を瞬時に避けた僕だったが、しかしあずみちゃんの長い黒髪はモンスターのような特A看護士のデカい手にしっかりと握られていた。

「いたたたたたたっ!」

 長い髪を格子に引き寄せられたあずみちゃんは、一瞬のうちにヤツのそのグローブのような太い指で細い首を鷲掴みにされた。
「く、くるしいよう!」
 手足をバタバタとさせながらあずみちゃんが叫ぶ。あずみちゃんの白い肌がみるみると真っ赤に充血して行くのがわかった。
 オロオロになっていた僕に、鬼のような形相をした中村がカミソリのような視線で睨みながら叫んだ。
「すぐに鍵を開けろ!じゃないとこの娘の首を雑巾みたいに搾っちまうぞ!」
 こいつらなら本当にあずみちゃんを殺しかねない。そう思った僕は慌てて腰にぶら下げていた無数の鍵の中から「七」の鍵を探し始めた。
「よしよしイイ子だ兄ちゃん・・・ここで俺に逆らってもなんにもいいことないんだぜ・・・わかるだろ?・・・」
 中村は慎重にそう言いながら鉄格子の隙間から伸ばしていた手をあずみちゃんの院内着の中に滑り込ませた。

「おまえがこの娘を気に入ったんならくれてやるよ・・・ただしそれは俺がたっぷりとこの娘と遊んだ後だ・・・それがここのルールってもんだぜ・・・・わかるだろ?」

 僕はそんな中村の言葉に「は、はい」と返事をしながら「七」と書いてある鍵を指で摘んだ。
 中村はあずみちゃんの幼気なおっぱいをグニグニと鷲掴みにしながら僕が摘んでいる指を見つめ、「よし、扉を開けろ・・・」っとニヤリと笑った。
 僕は鍵を摘んでいた左手を恐る恐る鉄格子の鍵穴に近づける。中村はあずみちゃんの桜色した乳首をムニムニと摘みながら「やっぱ若いだけあって肌がピチピチしてるよ・・・」っと特A看護士に満足そうに笑いかけている。
 その隙をついて、僕はポケットからスタンガンをスっと取り出した。そしてソレをあずみちゃんの首をギュッと絞めている特A看護士の手の甲に押し当てると、親指に渾身の力を込めてスタンガンのスイッチを入れた。

 ジジジジジジジッ!

 110万ボルトの電流が特A看護士の体を走り、特A看護士は「うわっ!」という叫び声をあげながらあずみちゃんの首から手を離すと後に飛び退いた。
「テメェ!」
 間髪入れず中村が僕の肩にしがみついて来た。僕はゲホゲホと咳き込んでいるあずみちゃんを蹴飛ばしては鉄格子から離れさせると、目の前の中村に向けてスタンガンを押し付け、恐怖のあまりに目を閉じたまま「死ね!」とスイッチを入れた。

 ババババババッ!

 瞬間に火花が散った。スタンガンが押し付けられていた場所は中村の左頬で、中村の顔全体に青い光を放った電流が元気よく走り回っていた。
「はべらもっ!」っと意味不明な叫び声をあげながら中村がストレートに後にひっくり返り、ビニールタイルが敷いてある通路の床にイレズミだらけの体をバウンドさせた。そして激しく後頭部を打つけ、頭を抱えたまま海老のように丸くなると「目が見えん!目が見えん!」と唸り始めたのだった。

「し、知らねぇぞ・・・」
 中村の隣で尻餅を付いている特A看護士は、スタンガンを浴びた右手をブラブラと振りながら顔面蒼白で僕にそう呟いた。
 僕はゲートの奥の階段の前でゼェゼェと喉を鳴らしながら愕然としているあずみちゃんに「大丈夫?」と駆け寄った。
「あの人・・・死んだ?・・・」
 あずみちゃんは目玉をぴくりとも動かさないまま、人形のような表情で呟いた。
 マズい。もしかしたらこの騒動で刺激を受けたあずみちゃんの精神構造がまた狂ったのかも知れない。
「大丈夫。あの人は死んでないから・・・」
 僕はあずみちゃんの小さな肩を両手で掴み、彼女の興奮を和らげようと、人形のように呆然としている彼女の唇に唇を押し付けた。
 その瞬間、あずみちゃんは「はっ」と我に返った。唇を押しあてる僕をジッと見つめながら「どうして?」と不思議そうに聞いた。僕はそう話すあずみちゃんの唇が開いたと同時に彼女の口内に舌を押し込んだ。

「んっ・・・んんん・・・・」

 強引にキスをされながらも、別段抵抗する事なくそう唸っていたあずみちゃんの口の中は、とっても温かくてヌルヌルしていた。

「知らねぇぞ・・・俺は知らねぇぞ・・・中村さんの目を潰したのはおまえだからな・・・知らねぇぞ、ぜってぇオマエら殺されるぞ・・・」

 僕の背後で特Aの看護士が声を震わせながら延々と呟いていた。
 僕はそんな震える呟きを背景にしながら、あずみちゃんの口の中から舌をソッと抜くと、彼女のマシュマロのように柔らかい唇を濡らしていた唾液をチュッと吸い取った。

「どうして?・・・・・」

 ハァハァと熱い息を吐きながらあずみちゃんが僕の顔をジッと見つめた。彼女のその目は正常を取り戻したようで、いつものように乙女チックにキラキラと輝いていた。
「・・・ごめんね・・・」
 僕があずみちゃんにそう呟くと、再び背後から特A看護士の「知らねぇぞ・・・・ぜってぇおまえら殺されるぞ・・・」っという声が聞こえて来た。
 そんな声にふと僕が鉄格子のゲートに振り返ると、いつの間にかそこには中村が立っていた。

「おい・・・へへへへ・・・俺の左目、何にも見えねぇよ・・・・」
 
中村は僕達をジッと見つめながらヘラヘラと笑うと、ピクリとも黒目が動かない左目に指をあて、まるで林家三平の「どーもすみません」が少し下にズレたようなポーズを取った。
「よぉ・・・見えねえ目なんてよぉ、いったいなんの意味があるんだ?・・・・アクセサリーか?・・・」
 そうニヤニヤと笑う中村が異様に不気味で、恐ろしくなった僕はガタガタと奥歯を鳴らしながら、階段に座っていたあずみちゃんをゆっくりと立ち上がらせた。

「こんな役に起たねぇもんはよぅ・・・もう何にも意味ねぇよな・・・・」

 中村はそう言いながら、瞼が開いたままの目の中に二本の指を押し込んだ。そしてキュルキュルっという小気味悪い音を立てながら、まるでバイ貝の空の中から身を取り出すかのように、ゆっくりと目玉をくり抜いた。
「うっ!・・・・」
 ガチガチと震えていた僕の奥歯が止まった。そしてその代りに生温かい小便が僕のズボンの股間をジワっと湿らせた。
 中村はそんな僕をジッと見つめながらニヤニヤと笑い、右手に握った目玉をニュッと引っ張った。目玉の裏には大きなミミズのような血管が顔と繋がっており、中村はその血管を引き千切ろうとピキピキと嫌な音を立て、ふふふふふふふふっと不気味笑う。

 それを見ていた特Aの看護士が「わわわわわわわ」っと体を震わせながら逃げ出した。幸いにもあずみちゃんは僕の身体が邪魔をしてその猟奇的なシーンを見ていない。そんなシーンを今のあずみちゃんがもし見たら、再びあずみちゃんの精神は狂い出し、脱走どころの騒ぎではなくなってしまうのだ。

 中村は不敵に微笑みながら僕を見つめ、顔と目玉に繋がっているその大きなミミズのような血管をプチン!と引き千切った。ポッカリと穴の空いたままの中村の左目の奥からジワっと血が溢れ出し、それはまるで中村の血の涙のように中村の頬をツーっと伝った。
 いきなり中村の表情がクワッと逆上し、僕の顔にそのくり抜かれた目玉を投げつけた。

「覚悟してろよ・・・おまえらのその両目、生きたままじっくりとくり抜いてやるからな・・・・」

 そう中村が唸ると同時に、僕はあずみちゃんの手を引いて階段を駆け上がった。
 必死になって駆け上がる階段の底からは、中村のふふふふふふっという不気味な笑い声が谺していた。そんな中村の低い笑い声は、まるで地獄からの使者が「待ってるからな」と囁きかけているように僕には聞こえたのだった。


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 地獄のような特別室の地下階段から外に飛び出すと、地上は何もなかったかのようにシーンと静まり返っていた。
「どこに行くの?」
 いきなりキスをされてからと言うものずっと黙りこくっていたあずみちゃんが、不安そうに僕の手をギュッと握りながら聞いて来た。

「とにかく、この病院から離れよう」

 僕はそう言いながら握っていたあずみちゃんの手を引いて、職員専用の裏通用口に向かって走ったのだった。
 当然、渡り廊下を走り抜ける僕達のそんな姿は本棟の管理室の監視カメラに映っているだろう。慌てた警備隊が追って来るのは時間の問題だ。
 僕は深夜の中庭を走り抜けながら、ふとこのまま院長室へ助けを求めに行こうかと考えた。そして夜な夜な特別室で行なわれている残酷な状況を洗いざらい全て告白し、あずみちゃんの保護を要請してみようかと思ったのだ。

(院長ならわかってくれるはずだ・・・・)

 そう思った僕は、本棟へ続く渡り廊下で一瞬足を止めた。
「どうしたの?」
 急に足を止めた僕をあずみちゃんが見上げた。
 僕は月夜に照らされたそんなあずみちゃんの天真爛漫な顔を見つめながら、そのほうが彼女の為かも知れない・・・っと、このまま彼女を社会へ連れ出す自信のない僕はふと思った。
 しかし、そんな気持ちと同時に別の感情が僕の心をギュッと鷲掴みにした。

 そう、それは前園さんの事だ。
 この件が院長に発覚すれば、当然院長はこの忌々しい特別病棟を閉鎖するであろう。そして、僕を含めた特別病棟の看護士達は全て解雇され、いや、解雇だけならまだいいがこれがマスコミなんかにバレたりすれば警察も動き出し、解雇プラス逮捕という線もあり得る。
 そうなれば前園さんは・・・
 僕は前園さんの事が気がかりだった。奥さんを殺そうとした元精神患者の前園さんは、ここを解雇されたらこの先どうやって生きて行くのかと。
(やっぱり・・・前園さんには迷惑をかけれない・・・・)
 僕はそう思うと、あずみちゃんの手を握り再び中庭を走り出した。
(そうだ。この事件は、あくまでも僕一人の単独犯なんだ。患者の少女に恋をした変態看護士が、その患者を病院から連れ出し誘拐する・・・・ありがちな事件じゃないか・・・うん、それでいいんだ・・・・)
 そう思いながら走る僕は、こうなったらあずみちゃんを連れてとことん逃げてやる、と妙な勇気が湧いて来た。

 そんな僕の勇気を讃えるかのように、いきなりけたたましい非常サイレンが静まり返った院内に響き渡った。そんな激しいサイレンの音に、あずみちゃんが「きゃはっ!」と嬉しそうに笑う。
 中庭の薮の中をギシバシと進みながら暗闇を駆け抜けると、その先の職員専用の裏通用口に懐中電灯を持った三人の職員が慌てているのが見えた。
 僕はそのまま薮の中を潜り、職員専用の裏通用口を通り越すと、その奥にある三メートルはあろうかと思われるフェンスに辿り着いた。
「これを登るの?」
 あずみちゃんは夜空の星を見上げるようにして、楽しそうにその高いフェンスを見上げた。
「いいや、登らなくても大丈夫・・・」
 僕はフェンスの下に溜っている小枝を掻き分けると、フェンスにポッカリと開いている穴を見つめ、「ここから出よう」とニヤリと笑った。その穴は、中村が風俗嬢をこっそり病棟に呼び込む時に使っている秘密の穴で、以前、前園さんがなにげなく僕に教えてくれた穴でだった。

「行こう!」
 僕がその穴をサッと潜り抜けると、あずみちゃんもワクワクしながら僕の後に続いて穴から飛び出して来た。そんなあずみちゃんを僕は抱きしめた。そしてようやくこの地獄から脱出できたその感動的な瞬間、あずみちゃんは僕の腕の中で「あずみ、マックが食べたいの」とポツリと呟いたのだった。


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 病院のすぐ近くにあるスーパーの裏に、僕は逃亡用のバッグを事前に用意していた。
 そんなスーパーまで全速力で走り、既に真っ暗になっているスーパーの裏へと潜り込むと、僕達はそのボイラーの音だけがワンワンと響いている薄暗い空間でひとまず腰を下ろした。
 僕は用意していたバッグを手にすると、中から女物のTシャツとスカートを引きずり出した。

「とりあえずこれに着替えて」

 僕はそう言いながら緑色の院内着のままのあずみちゃんにそれを手渡した。
 あずみちゃんは奥にある駐車場の街灯にそれを照らしながら「趣味悪くない?」とクスッと笑った。
「いや、慌てたから、とりあえずこれでいいだろうと思って・・・へへへへ」
 僕は恥ずかしそうに笑う。しかし、それはとりあえずで買った物ではなく、実は僕が近所のユニクロで選びに選んだ挙げ句に購入したものだ。そう、僕はちょっと趣味が悪いのだ。

「すんごいミニ・・・これじゃあパンツ丸見えだよ・・・」

 あずみちゃんはそう言いながらもケラケラと笑い、ゆっくりと院内着をパラリと脱いだ。
 駐車場から洩れる街灯に照らし出されたあずみちゃんの裸体は、まるで夜の森を飛び回る妖精のように美しかった。たとえ薄暗くともその白い肌は白く輝き、プクっと膨らんだ胸の先にある小さな乳首も桜色に輝いているのがはっきりと見て取れた。
 そんなあずみちゃんの妖精チックな裸体に見とれていると、「見ちゃいや」とあずみちゃんは笑顔でプイッと背中を向け、背中に浮かび上がった背骨をクネクネと動かしながらも急いでTシャツとスカートに着替えたのだった。

 服を着替えると、そのままスーパーの駐車場を抜け大通りに出た。大通りは非常に危険だ。しかし、とりあえず病院から遠く離れるにはタクシーを使うのが手っ取り早い。だから僕は危険を顧みず大通りを走るタクシーに目を凝らしていた。

「ねぇ・・・やっぱり、これ、パンツ丸見えじゃない?」

 大通りで必死にタクシーに手を振る僕に、あずみちゃんがそう言いながらプイッと尻を向けた。
 確かに、その極端に短いスカートからはあずみちゃんのパンティーとムチムチの尻が堂々と顔を出していた。こりゃあちょっとやりすぎだったかな・・・と、趣味でそれを買ってしまった事に反省しながらあずみちゃんの尻を眺めていると、そんなあずみちゃんの尻効果だろうか、いきなり1台のタクシーが僕らに向かってカチカチとウィンカーを出した。

 とりあえず人混みの中が一番安全だろうという事で、僕はタクシーの運転手に「渋谷駅まで」と告げた。
 タクシーの運転手は、思っていた以上の長距離に機嫌を良くしたのか、「あいよっ!」と嬉しそうに返事をすると、鼻歌混じりに車を走らせた。
 大通りを走るタクシーの窓から巨大な病院が威圧的に浮かび上がっているのが見えた。中庭には僕らを探しているのかサーチライトが照らされているらしく、その光が反射して病院は奇妙に青く浮かび上がっている。
「こんな時間に・・・なんかあったのかな?・・・」
 病院前の信号で止まると、ふいに運転手が運転席の窓から病院を覗き込む。病院の正門前では、トランシーバーや懐中電灯を持った職員達が慌ただしく走り回っているのが見えた。

「おいおい、もしかしてキチガイが脱走したんじゃねぇだろうな・・・・」

 運転手は、その脱走したキチガイが後部座席に乗っていようとは夢にも思っていないのだろう、そうヘラヘラと笑いながら「大変だねぇ、あの人達も」とポツリと呟き、再び車を発進させたのだった。
 そんな緊張感の中、僕は唾を飲む事も忘れながらひたすら「遠くへ遠くへ」と祈っていた。そして病院が完全に見えなくなった辺りで、ソッとあずみちゃんに振り返ってみると、あずみちゃんはドアにぐったりと凭れたまま小さな寝息を立てていた。
 そんな天使のようなあずみちゃんの寝顔に、おもわず僕がクスッと微笑んでしまうと、いきなりバックミラーからそれを見ていた運転手が「彼女?」と聞いて来た。
「いえ・・・妹です」
 慌てて僕が笑って誤魔化すと、「嘘だよ。あんた、さっきあそこの歩道でその子のスカートの中覗いてたじゃん。ちゃんと見てたんだから俺」と、嬉しそうにニヤニヤ笑った。


 渋谷駅に着く寸前であずみちゃんはフッと目を覚ました。
 あずみちゃんの寝顔をずっと見つめていた僕は、ふいに目を覚ましたあずみちゃんと目が合い、強烈にドギマギとした。
「そういえば今日まだお薬飲んでないよ・・・」
 あずみちゃんはなぜか妙に悲しそうな表情で、僕を見ながらそう呟いた。
「うん・・・もう、あのお薬は飲まなくてもいいんだよ・・・だから心配しないで・・・」
 僕はそう言いながらあずみちゃんの前髪を優しく撫でた。

「あっ!マックだ!」

 いきなりムクッと起き上がったあずみちゃんは窓の外にそう叫びながら、華やかに輝く街のネオンにキラキラと瞳を輝かせた。まるで小さな子供がおもちゃ屋のショーウィンドーに憧れのロボットを発見したかのように、通り過ぎて行くマックを爛々と目を輝かせながら振り返るあずみちゃん。
 そんなあずみちゃんにふいに切なさを感じた僕は、運転手に「ここでいいです」と告げるとマックの近くで車を止めてもらった。

 タクシーを飛び出すなり、「マックだ!」と叫ぶあずみちゃんはマックに走り出そうとしたものの、しかしふいに足を止めた。
「どうしたの?」
 僕はあずみちゃんが迷子にならないようにしっかりと手を握ったまま、彼女の顔を覗き込んだ。

「・・・あずみ、本当はマックシェイクの白いヤツが飲みたいんだけど・・・だけど今お金を持ってないの・・・」
 あずみちゃんはそう呟きながらキュッと下唇を噛んだ。そんなあずみちゃんの天使のような横顔に、歩道の樹木に飾られているイルミネーションがチカチカと反射していた。
「じゃあ、今夜は僕がおごってあげるよ・・・・」
 僕は、今すぐここでおもいきりあずみちゃんのその小さな体を抱きしめたいのをグッと我慢しながら呟いた。
「本当に!」
 あずみちゃんの顔がパッ!と明るくなった。
 その明るい笑顔は、あの時、プリンをあげた時と同じ表情だ。
「うん。本当だよ」
「じゃあ、早く行こっ!」
 あずみちゃんが僕の手をおもいきり引っ張った。そんなあずみちゃんの超ミニスカートからはパンツが顔を出し、よくよく見ると、彼女のスリッパには「特別病棟」とマジックで殴り書きされている。
 僕はそんなあずみちゃんに手を引かれながらも、噴き出さずにはいられなかったのだった。

(つづく)

《目次に戻る》 《第13話へ続く》



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