スポンサーサイト

--/--/-- -- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告
コブラ2



               4


「こいつはね、重症のアル中患者です・・・・普通の時は普通なんですけど、時々、幻覚を見ては暴れ出すんですよ・・・」

 前園さんは三号室の扉を覗き込みながらボソボソと説明を始めた。
 三号室の患者は、一見、普通の主婦に見える三十代の中年女性だった。
 浴衣のような緑色の院内着を大きくはだけたまま、ベッドの上で大の字になって鼾をかいでいる。その、はだけた院内着からはブヨブヨの乳房がダラリと顔を出し、干しぶどうのような萎れた乳首が黒々と輝いていた。

 前園さんはそんな患者が寝ている三号室の扉の鍵をガチャガチャと開け始めた。
「大丈夫ですか?」
 僕はとたんに恐ろしくなり、鍵を開けている前園さんの顔を覗き込んだ。相手は女と言えど気が狂っているのである。ついさっき見たあの暴動のような騒ぎが僕の頭の中に甦ってきた。
「はははは、大丈夫ですよ。こいつはさっきダンプカーに追いかけられる幻覚を見ましてね、それで強力なクスリを投与されましたから、絶対に目を覚ましません・・・・」
 前園さんはそう笑いながら三号室の扉を開けたのだった。

 閉め切られた三号室は、ペットショップのような悪臭が漂っていた。
 前園さんはグーグーと鼾をかいでいる患者の横をスタスタと通り過ぎると、奥にある便所穴の蓋をソッと開けた。

「おっ、ミッちゃん、ちゃんとウンチしてるじゃないか・・・・」

 前園さんは便所穴を覗き込みながら嬉しそうに微笑む。

「いやね、こいつは何度言ってもこの便所で糞をするのがイヤだって言いましてね・・・だから便秘になってたんですよ・・・」

 前園さんはそう言いながらベッドで鼾をかく患者に近付くと、患者の乱れた髪を優しく整えながら「だから今朝方、浣腸してやったんですけどね・・・ふふふふ、やればできるじゃないかミッちゃん・・・」と、信じられないような言葉を吐いた。
「えっ?・・・今朝方って・・・前園さんが浣腸したんですか?」
 僕が驚きながらそう聞くと、前園さんはさも当然な表情で「そうですよ」と答えた。

 男性職員が女性患者に浣腸をする・・・・
 しかもここは閉鎖された特別病棟だ・・・・
 僕は、ベッドに横たわる患者を見ながらこの患者はそれを拒否しなかったのだろうか?と不思議で堪らなかった。

「ミッちゃんはね、幻覚さえ見てなけりゃ普通の女なんですよ・・・だから、あんな穴の中に糞をするのは恥ずかしくてできなかったんです・・・・」

 前園さんは患者の乱れた院内着を整えながら、まるで我が子を愛おしむかのように優しく語った。
 そんな前園さんを見て、僕はついこう言ってしまった。
「でも・・・男の人に浣腸されるくらいなら・・・その穴でしたほうが・・・・」
 前園さんはそんな僕の話を聞いているのかいないのかそれには何も答えず、いきなり患者のブヨブヨの乳房を優しく揉み始めた。

「ほら、まだまだ女としては十分な体なんですよ・・・ミッちゃんも酒さえヤメれたらねぇ、いい奥さんになれただろうに・・・」

 前園さんはそう呟きながら、タプタプの乳肉を愛おしそうに揉み解すと、何事もなかったかのようにそれをソッと院内着の中に押し込み、「それじゃ、隣、行ってみましょう・・・」っと僕の目を見ないまま、三号室を出て行ったのだった。


 隣の四号室の患者は、かなり危険な雰囲気を漂わせていた。
 さっき、狂ったような叫び声が廊下に響いていた時も、確か、この四号室の扉が特に揺れていたはずだ。

「こいつはね、薬物依存症なんです。イボ痔が疼く猿みたいに凶暴ですから気を付けて下さいよ・・・」

 前園さんがそう言うと、髪を茶髪に染めたその患者は、いきなり僕らが覗き込むアクリルのドアに「ビッ!」と唾を掛けた。

 二十代後半と思われるその患者は、いかにも水商売風な雰囲気を漂わせていた。
 前園さんが、そんな患者をアクリル板からジッと覗きながら、「こいつはね、元々は真面目なOLだったらしいんですけどね、悪い男に引っ掛かっちゃってね・・・・シャブを教え込まれて夜の街で働かされて、挙げ句の果てには特別病棟ですよ・・・哀れですね・・・・」と、あざけ笑うかのようにそう呟くと、その声が聞こえたのか、いきなり居室の中の患者が「うるせぇなぁ変態野郎がぁ!」と叫び、もの凄い勢いでアクリル板に体当たりをして来た。
 鉄扉に嵌め込まれたアクリル板は、激しい衝撃を受けながら「ゴワワワワン・・・・」っと音を響かせるがビクともしなかった。
 患者は、体当たりした際に肩をぶつけたらしく、細い手で左の肩を擦りながらも「死ね!」という言葉を連続して叫びまくっていた。

 そんな患者の院内着は大きくはだけ、叫ぶ度に大きな乳房がタプタプと揺れているのが見えた。
 ウエストはキュッとくびれ、その分、大きな尻が更に大きく強調されている。そんなムチムチの下半身には真っ赤なパンティーがギュッと食い込み、そしてそのパンティーの股間部分は失禁による湿りが黒いシミとなって大きく広がっていた。

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!」

 茶髪の患者がアクリル板に顔を押し付けてそう叫ぶと、アクリル板は彼女の息で曇り始めた。
 そんな患者を見ながら、「今、禁断症状のピークなんです・・・」と笑いながら、「あんまり刺激すると舌を噛み切りますので、さ、次行きましょ・・・」と、サッと体を横に向けたのだった。

 そのままスタスタと隣の五号室へと進むと、僕は五号室を覗き込んだ瞬間、おもわず「うわっ!」と声を張り上げてしまった。
 なんと、隣の五号室の患者が鉄扉のアクリル板に、鼻がグニャッと潰れるほどに顔を押し付けていた。

 しかも全裸で・・・・

「はははは。こいつは重度の分裂病でね。いつも幻覚ばかり見ては夢の中にいるんですよ」
 前園さんは、絶句している僕とアクリルに歪んだ顔を押し付けている患者とを交互に見つめながらケラケラと笑った。
 そしてズボンの腰にジャラジャラとぶら下がっている鍵を指で選びながら、鉄扉のドアノブを掴んだ。
 僕はとたんにブルブルっと寒気を感じ、ドアを開けようとしている前園さんに「やめましょうよ・・・」っと、おもわず一歩下がる。

「はははは。大丈夫ですよ。こいつはきっと今ナメクジになってますから・・・」

 前園さんがガチャン!と鍵音を響かせると、アクリル板にへばり付いていた患者は目玉だけをギロッと動かした。
「な、なんですかナメクジって・・・・」
 僕は、扉を開けようとする前園さんの背中に隠れながら聞いた。
「こいつね、この間、洗面所にナメクジがいるのを見つけたんですよ。で、しばらくそのナメクジを静かに観察してたんですけど、そのうち自分もナメクジになっちゃいましてね・・・」
 前園さんはケラケラと笑いながら、患者がベタリと張り付いている鉄扉を重そうに引き開けた。
 患者は、開いた扉にベタリと体を張付けたままジッと身動きしない。
 三十代と思われる患者の尻は、贅肉がダラリと垂れ下がっていた。
 そんな患者の尻を前園さんがピシャリと叩いて「はい、ベッドに行きなさい」と命令すると、ナメクジ患者は目玉だけをギョロギョロと動かしながら、その張り付いていたアクリル板からミシミシと身体を離したのだった。

 ナメクジ患者は、僕達に見つめられながら、ダラダラと歩いてはそのままベッドの上にドスンと腰を下ろした。
 まるで原始人のように伸びきった髪の毛は、毛糸のようにゴワゴワとしている。
 ブヨブヨの脂肪に包まれたその醜い体は、豚小屋の豚を連想させた。
 そんなナメクジ患者は、ゆっくりとベッドに仰向けになると、なぜか両膝を立ててはゆっくりと股を開いた。僕が立っていた位置から、ナメクジ患者の開いた股間の中が薄らと見える。
 そんなナメクジ患者に、前園さんが「こら、行儀が悪いでしょ」と言いながら、ナメクジ患者のブヨブヨの太ももをピシャンと叩いた。するとナメクジ患者は、一瞬、前園さんの目をジロッと見つめると、それを何かの合図と思ったのか、そのままのそりと体を回転させ、なんと今度は四つん這いの体勢になっては僕に尻を突き出したのだ。
「なにやってんだよこいつは・・・・」
 前園さんはそんなナメクジ患者を見てはケラケラと笑う。
 しかし、そんな前園さんの笑顔は、口は笑っていても目は笑っていなかった。

 僕は、そんな引き攣った笑顔の前園さんと、そしてベッドの上でワンワンスタイルで尻を振っているナメクジ患者を見つめながら、(この人は絶対に患者とヤっている・・・)っと確信したのだった。


               5


 六号室の患者も、僕達がやって来るのを待っているかのようにアクリル板に顔を押し付けて廊下をジッと見つめていた。
 しかし、アクリル板にへばり付くその患者の顔には、五号室のナメクジ患者とは違い少なからず人間的な表情があった。

「こいつは薬物依存症です。典型的なシャブ中ですね。症状は大した事ないんですが、本棟で同室患者の髪の毛を燃やしましてね・・・それでここに隔離されてます・・・」

 前園さんはそう言いながら六号室のドアの鍵を開け始めた。
 前園さんがドアに鍵を入れるのを見るなり、患者はうれしそうに笑った。そしてソワソワしながら手グシで髪を解き始めると、僕にも「うふふふふふ」っと唇を窄めながら愛想笑いを向けた。

 年齢は三十代前半。髪は茶髪で、目が大きく、どことなく若い頃のハイヒールのモモコに似た可愛らしくも下品な女だった。
 前園さんが扉を開けると、患者は、待ってました!と言った感じで、そのままドアの隙間をすり抜けては急いで廊下に出て来た。
 僕は、そんな患者に一瞬「えっ?」と思ったが、しかし前園さんはそんな患者を止める事なく「調子はどうだ?」などと笑顔を見せている。
「調子いいわけないじゃん・・・毎晩毎晩、お隣さんからあんな声聞かされてんだもん、欲求不満が溜るばっかだよ」
 患者が意味ありげにそう笑うと、前園さんは慌てて話題を変えた。

「こちら、松川さんと交代で夜勤に入る事になった市原さんだ。面倒かけないようにするんだぞ」

 前園さんがそう言うと、モモコ患者は「あ、どうも」と僕に簡単に会釈し、またすぐに前園さんに顔を向けた。
 そんなモモコ患者は、まるでオシッコを我慢しているかのように、立っている膝をカクカクしながら「早くぅ」と前園さんの作業服の腕を叩いた。すると前園さんは「待て待て・・・」っと笑いながら、作業服のポケットからタバコを取り出したのだった。

 前園さんが突き出したタバコを奪い取るかのように1本抜き取ったモモコ患者は、それを唇の端に銜えながら「そういえば、松川ちゃんはどうなった?」と、前園さんを見た。
「あぁ、やっぱり隣にいるよ・・・」
 前園さんはそう言いながら、膝をカクカクさせながら催促しているモモコ患者のタバコにライターの火を向けた。
「松川さんって、僕の前にここにいた人ですか?」
 モモコ患者のタバコに火を付ける前園さんに僕がそう聞くと、前園さんは「ええ・・・」と、なにやら言いにくそうに頷いた。
「隣って事は、A棟へ移動なされたんですか?」
 僕は、このコンクリート壁の向こう側にある、男性患者を収容している特別第三A棟の方を見つめながら聞いた。
「・・・この人、何も知らないの?」
 モモコ患者がタバコの煙を旨そうに吐き出しながら、前園さんの顔を見た。
「・・・あぁ、今日来たばかりだしな・・・・」
 前園さんはモジモジしながらポケットの中にライターをしまう。
「なにがあったんですか?」
 気になった僕はソッと前園さんの顔を覗き込んだ。
「いや、まぁ・・・後でゆっくりとお話ししますよ・・・」
 前園さんが言いにくそうにそう返事をすると、タバコを吹かすモモコ患者は「ふふふふふっ」と意味ありげに僕を見つめて笑った。
 もちろん、そんな前任の松川さんの事も気になるが、しかし僕は、さっきから院内着の胸元にチラチラと見えるモモコ患者の強烈に大きな胸の谷間が気になってしょうがなかったのだった。


「時々、こうやってタバコを吸わせてやったりチョコレートを与えたりして患者を手なづけておくのも、事故防止のひとつなんです・・・」
 そう言いながら六号室のドアの鍵を閉める前園さんは、居室の中からバイバイと手を振っているモモコ患者にニヤッと笑って見せた。
 そして隣の七号室に向かいながら僕にゆっくりと振り向く。

「但し、患者の状態を選ばないといけませんよ。あの六号の患者も、今は状態が平常ですからいいですけど狂ってる時は危険ですからね。あいつはああ見えても、脱走未遂を4回もやらかしている常習犯ですから・・・」

 前園さんはそう言いながら七号室の前をスタスタと通り過ぎた。
 七号室のドアには、患者が収容されているのを伝える番号プレートが掲げられておらず、そこが空室である事がすぐにわかった。そんな無人の七号室ではあったが、しかしその薄ら淋しい七号室からは、何やら唯ならぬ陰のパワーが満ち溢れているのを僕は感じ取った。
 前園さんはそのまま知らん顔して七号室を通り過ぎると、そのまま八号室も通り過ぎては、通路の突き当たりを左に曲がった。
「えっ?」と僕は八号室の前で足を止めた。八号室には、四十代と思われる患者がベッドで静かに正座をしたまま、僕がいる廊下をソッと見つめているのだ。

「前園さん、八号室は?」

 通路をスタスタと進む前園さんに僕がそう声を掛けると、前園さんは、「あぁ、そこはただの分裂病です。症状も平常ですから特に危険はありませんよ・・・」と言いながら、そのままスタスタと通路を進んで行く。
 そそくさと八号室から遠離って行く前園さんの背中を見つめていた僕は、なにか怪しいぞ・・・と唐突にそう思った。そう、この八号室は、つい先程、前園さんが作業ズボンをベタベタに濡らしながら出て来た部屋なのである。

 僕は、A棟との境目の鉄扉の前で立ち止まってはこっちを訝しげに見ている前園さんを無視したまま、八号室の中をソッと覗いた。
 ふいにベッドで正座している患者と目が合った。
 その患者は、どこにでもいそうな主婦といった感じの大人しそうな中年女性だった。僕をジッと見つめる患者のその目は、まるでヘビかトカゲのような爬虫類的な冷たさに包まれていた。
 僕から静かに目を反らした患者は、ゆっくりと項垂れては正座する自分の膝をジッと見つめながら何やらブツブツと呟き始めた。僕は鉄扉の横にある食器を入れる小窓のアクリル板をソッと開けると、患者が何を呟いているのか耳を傾けた。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・・・」

 患者はまるで死人のような表情をしながらもブツブツとその言葉を繰り返していた。
 とたんに僕は背筋がゾッとした。
 暴れる精神病者も怖いが、しかしこんなサイコ系も異様に不気味で、背筋が寒くなるほど怖い。

「こいつはね殺人犯なんですよ・・・」

 小窓から八号室を覗いていた僕の耳元で、いつの間に来たのか、いきなり前園さんがそう呟いた。
「さ、殺人犯・・・ですか?・・・・」
 更に背筋が凍った僕はブルブルっと身震いしながら静かに小窓を閉めた。

「・・・ええ。亭主の同僚と浮気している現場を亭主に見つかっちゃいましてね。それを亭主に責められて、亭主から出て行けと怒鳴られたその晩、寝ている亭主の首に包丁をブスッとね・・・・」

 僕は、そう淡々と説明する前園さんの目を見つめながら、乾いた喉にゴクリと唾を押し込んだ。
「精神鑑定で分裂病と診断されてから、かれこれ六年になりますかねこの特Bに入れられて・・・・その六年間、毎日毎日いつもああやってお経のように『ごめんなさい』を呟いてるんです・・・」
 前園さんはそう言いながら、八号室の扉のアクリルをトントンっと叩いた。
 ベッドに正座しながら「ごめんなさい」を呟いていた患者がフッと顔を上げ、前園さんの顔を見るなり、その「ごめんなさい」の声をいきなり大きく張り上げた。

「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」

 もはやそれは呟きではなく叫びだった。
 患者は、前園さんの顔を見つめながら「ごめんなさい!」を連発し、そして怯えるウサギのようにブルブルと体を震わせていたのだった。


「・・・・さ、行きましょう。次は隣のA棟を案内しますから・・・・」

 前園さんは、ポロポロと涙を流しながら「ごめんなさい!」と叫ぶ患者からスッと顔を背けると、そのままA棟へと続く廊下をスタスタと歩き始めた。

 そんな八号室の患者の叫び声に誘発されたのか、他の患者が「死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!」と叫び始めた。恐らくそれは四号室の凶暴な茶髪患者だろうと、ギシギシと揺れている四号室の鉄扉を見つめながら思った。
 僕は、「死ね」と「ごめんなさい」が響き渡る特Bの廊下にもう一度振り向きながら静かに下唇を噛んだ。そして、これはとんでもない病棟に配属されてしまったぞとつくづく思いながら、患者達の狂気の叫び声にどっぷりと包まれていたのだった。


               6


 そんな不気味な特Bと違って男性患者が収容されている特Aはまさに動物園だった。
 特Bと区切られている鉄扉のゲートを開けるなり、いきなりその奇怪な叫び声や怒号がまるでスピーカーの音量を最大にしたかのように僕に襲いかかって来た。

「・・・ここには特に危険なコブラが集められてますから油断してるとガブリと噛まれますよ・・・」

 そうニヤニヤと笑いながら居室をひとつひとつ覗いて歩く前園さんは、なぜか妙に嬉しそうだった。
 この特Aは、居室が両サイドにズラリと並び居室の数は特Bの倍だった。ここに収容されている患者のほとんどが、社会で何らかの犯罪を犯した者らしく、そこはまるで刑務所のような雰囲気に包まれていた。

「よお、よお、よお、前園、元気かよ」

 廊下を歩く僕達を見つけた患者がそう言いながら鉄扉の前にやって来た。
 ランニングシャツを着ているその患者の両腕には、極彩色のイレズミがびっしりと彫り込まれている。
「中村さん、調子はどうですか」
 前園さんはそんなイレズミ患者にそう笑いかけながらポケットの中からソッとチョコレートの入った銀紙を取り出すと、それを食器を入れる小窓の中にポイッと放り投げた。
 イレズミ患者は、その銀紙をベッドの下へと蹴飛ばして隠すと、アクリル板に無数に開いている小さな穴に口を近づけ、「今夜、大丈夫か?」と声を潜ませそう聞いた。
「わかりました・・・」
 前園さんが小声でそう答えると、イレズミ患者は両手で自分の股間を押えながら「頼んだぜ」とヘラヘラと笑いながらウインクをしたのだった。

「あいつはね、5年前、木更津のスナックで自分の組の親分と兄貴分を撃ち殺したシャブ中ですよ・・・・コブラの中でもあいつはとびっきり危険なキングコブラです。絶対に逆らわない方がいいですよ・・・」

 廊下を進む前園さんが僕に振り向きながらソッと呟いた。
 僕は前園さんと並ぶように足を速めながら、「彼が言っていた『今夜』ってのは・・・今夜何かあるんですか?」と尋ねてみた。すると前園さんは、そんな僕の質問が聞こえなかったかのようにサラリと無視し12号室と書かれた居室の前でスタっと足を止めた。

 その12号室には、三十代の中年男がベッドに座ったまま、口をポカンと開けて天井を見つめていた。
 中年男の坊主頭には何やら電線が絡み合ったヘッドギアが装着され、彼が重症患者である事をひしひしと物語っていた。
「あの、頭に付いてるヘッドギアはなんですか?」
 僕は、驚きながら前園さんに聞いた。
「脳に電気を送ってるんです。ああやって少しずつ脳に刺激を与えて溢れ出るドーパミンを遮断しているんです」
「・・・どうしてですか?」
「興奮して暴れるからですよ。昔はあんな物じゃなくてね、電パチっていう凄い強力な機械でバチバチバチって電気流してたんですけどね、アレだったら一発で効くんだけど今は禁止されちゃいましたからね・・・・」
 前園さんはそう呟くと、ふいに鉄扉のアクリルをトントンっと指で叩いた。
 しかし、天井を見つめたままの患者はそんな音に何も反応しなかった。

「あれが、一ヶ月前まで特Bで看護士してた松川です」

 前園さんはアクリル板を覗き込みながらサラリとそう言った。
「ええっ!」
 僕はそんなサラリと言った前園さんの一言にかなりの衝撃を受けた。
「あいつね、毎日毎日特Bでキチガイを扱っているうちに自分もキチガイになっちゃったんです・・・」
「でも・・・どうして特Aなんかに・・・・」
「事件を起こしたからですよ」
「事件?・・・と言いますと?」
「こいつ、特Bの患者とデキてたんです」
「・・・・・・・・・・」
「統合失調症の女だったんですけどね、まぁ、それなりにイイ女だったんですけど、とにかく妄想が酷い女でね・・・部屋に生首が浮いてるとか、廊下をゴリラが歩いていたとか、意味不明な事ばかり言っては暴れる患者だったんですよ・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「で、松川は、そんな患者と夜勤の時にはいつも一緒の部屋で過ごしてたんですけどね、ある日の深夜に、またその女が暴れ出したんです。自分の腹の中にネズミが入ったってね」
「・・・ネズミですか?・・・」
「そう。ネズミ(笑)。腹の中に入ったネズミがね、自分の内臓を齧っているって騒ぎ始めたんですよ・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「まぁ、そんな妄想や幻覚なんてのはこの病院では当たり前の事ですから、普通なら安定剤を投与して眠らせてしまえばいいんですけど、でも・・・・もうその頃には、この松川って男もイカれてたんでしょうね、頭が・・・・」
「・・・ど、どうしたんですかこの松川さん・・・・」
「うん。包丁でね、患者の腹をガバッと開いて、中からネズミを取り出そうとしたんですよ・・・・」

 突然、僕の背後から「1966年新潟生まれ牡羊座!天皇陛下万歳!」という叫び声が響いた。
 そしてその叫び声が廊下に響くなり、別の居室から「うるさい貧乏人!」という声が返って来た。
「それを発見したのは私なんですけどね、もう見れたもんじゃありませんでしたよ、残酷過ぎて・・・・」
「ど、どこで発見したんですか?」

「・・・七号室です・・・」

 僕の脳裏に、妙に陰のパワーが漂っていたあの空き部屋が、瞬間に浮かび上がった。
「しかもね、こいつ、死んでる女の内臓を口に銜えたままヤってたんですよ・・・死体と・・・・」
 前園さんは、松川を見つめる顔を歪めながら、その時の事を鮮明に思い出したかのように不快な表情を見せた。
「ですから・・・市原さんも、前の病院では色々とあったらしいですけど・・・・ここでは患者との接触は十分気を付けて下さいよ・・・ここにいる患者は普通の人間じゃありませんから・・・・」
 僕は、前の病院を解雇された理由を知られていた事に、恥ずかしくて何も言えなかった。

「・・・特に、八号室の患者・・・あいつはあんな大人しそうな顔してますけどね、あれは重度のニンフォマニアですから・・・」

 僕はすかさず、八号室で「ごめんなさい」を連発していた、あの大人しそうなおばさんを思い浮かべながら聞いた。
「ニンフォマニアってのはなんですか?・・・・」
「ニンフォマニアは色情症の事です。つまり、異常性欲の変態ってことですよ・・・・」
 変態・・・・
 僕には「ごめんなさい」のあの大人しそうなおばさんと変態と言う言葉がどうしても結びつかなかった。そう思っていた僕が「そんな人には見えないんですけどね・・・」っと口走ると、いきなり前園さんがグッと振り返った。

「それ。それがいけないんですよ、その油断が・・・・その油断からこの松川という男も人生を棒に振ってしまったんです・・・・」

 前園さんは恐ろしい形相で僕を睨みつけながらそう言うと、そのまま体をゆっくりと僕に向けながら静かに僕を睨んだ。

「いいですか。あの八号室の患者には絶対に近寄っては行けませんよ。あいつはとんでもない毒女です。自分の亭主を平気で殺す危険な女なんです・・・・八号室の患者は私が管理しますから、まだ馴れていない市原さんは絶対に近付かないように・・・いいですか?」

 前園さんはもの凄い圧力で僕の目を睨みながらそう言った。
 僕は別段、あのおばさんには興味もなく、そんな恐ろしい患者に近寄らなくていいならそれに越したことはない。
 だから僕は、そんな前園さんに素直にコクリと頷いたのだが、しかし、何か釈然としないモノが僕の気持ちの中でシコりになって残る。
 この人は僕に何か隠しているに違いない・・・
 僕はそう思いながら狂った叫び声が響き渡る病棟に振り返り、いや、この人だけでなくこの病棟全体が何かを隠しているんだ・・・と、何か確信めいたものを感じたのであった。

(つづく)

《目次に戻る》 《第3話へ続く》



 ランキングに参加しております。このブログが面白いと思われましたら、何卒、応援の一票をお願いします。
 FC2バナー1 人気ブログバナー にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ

破滅型恋愛小説

アクセスランキング
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。