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えんとつ・締章

2012/05/30 Wed 22:06

タイトル15



―締章―

 女子大生誘拐事件。
 そんな濡れ衣を着せられた松沢の取調べは、連日連夜、深夜にまで及んだ。
 刑事たちは本気で松沢を女子大生誘拐事件の犯人に仕立て上げようとしているらしく、勝手にストーリーを作り上げては、松沢をその主人公にしようと必死になっていた。
 しかし、その三日後、乱暴目的で女子大生を誘拐し、その後殺害して山中に埋めたという十七才の少年が、弁護士に付き添われて自首してきた。
 松沢は、ここでもまた九死に一生を得た。

 強行的な取調べから解放されると、そこで初めて面会が許された。
 松沢はすぐに弁護士に面会を求める電報を送った。
 その二日後、弁護士はのこのこと面会にやって来た。
 老弁護士に向かって、「どうしてもっと早く面会に来てくれなかったんですか、おかげで私は女子大生殺しの犯人にされる所だったんですよ」と、刑事たちに殴られた頬を見せながら言うと、弁護士はパラパラと書類を捲りながらも、「いやね、私もてっきりあんたが犯人だと思ってましたからね」とポツリと呟き、そして松沢の顔を見てニヤリと笑った。
 そんな弁護士の笑顔を、面会室のアクリル越しに見ていた松沢は、生涯、この男だけは絶対に信じないようにしようと心に決めたのだった。

 結局、器物損害事件は起訴猶予となった。
 松沢を女子大生事件の犯人に仕立て上げようとしていた警察は、その謝罪の意味も含めて、長屋床下穴掘り事件を起訴猶予にしたのだった。
 しかし、娑婆に戻る事はできなかった。
 松沢の保釈は既に取り消されてしまっているため、娑婆に出る為には、もう一度保釈申請のやり直しをしなくてはならなかったのだ。

 拘置所に移監された松沢は、絶対に信用しないと心に決めた弁護士を再び電報で呼びつけた。
 そして、なんとかもう一度保釈申請を出してほしいと頼むが、しかし弁護士は「次の公判は二日後ですから、それまで待ちましょう」と、保釈申請に二の足を踏んだ。

 娑婆にいる者にとってはたかだか二日だが、しかし中にいる者にとっての二日は地獄のように長いものである。
 特に、松沢にとってのこの二日間と言うのは非常に重要だった。
 この二日の間に被害者への弁償金を用意しなければ、松沢は刑務所に送られてしまうからだ。
 だから松沢はそれを弁護士に必死に伝えた。例え二日でも、いや一日でもいいからここから出して欲しい、そうすれば六百万の弁償金が作れるのだと、アクリル壁の向こうの弁護士に悲願した。

「しかし、たったの二日間で、本当に六百万もの大金が用意できるんですか?」

 弁護士は、絶対的な疑いの目で松沢を見つめながらそう言った。

「大丈夫です。当てがあります」

 松沢は、リサイクルショップ三松の社長の顔を思い浮かべながら、自信を持ってそう頷いた。

「また、穴でも掘るんですか?」

 弁護士はそう呟きながらクスッと笑うと、そのままゆっくりと席を立ち、「これから法廷に行かなきゃなんないので、ではでは」と呟きながら面会室を出て行った。
 そんな弁護士の後ろ姿を呆然と見つめながら、これで自分の刑務所行きは確実だと、松沢は肩をガックリと落としたのだった。



『被告人を懲役一年六月に処す』

 裁判官は極々普通にそう呟いた。それは、富士そばのカウンターに「天ぷらそばといなり2個」と告げるくらい普通な口調だった。
 人の人生を普通に左右できる立場と言うのはいったいどんな気分なんだろう、と、判決文の朗読を聞きながら今自分が履いている青いゴム草履を見つめていると、無性に惨めな気分に包まれた。

 長々とした判決文の朗読が終わると、再び手錠に腰縄を付けられた。
 屈強な拘置所職員たちにそれを付けられながらふと傍聴席を見ると、姉の隣りに和夫がポツンと座っているのが見えた。
 そう言えば、あいつには金を借りたままだった……、と、そう思いながら、屈強な職員たちに見つからないようニヤッと笑いかけると、和夫もニヤッと笑みを返した。

 拘置所に戻ると、さっそく弁護士が面会に来た。
 もし控訴するのであれば実費で弁護料を頂きます、と淡々と告げる老弁護士に、実費ならもっとまともな弁護士を雇います、と、心の中で呟きながら、一応コクリと頷いた。
 控訴する気は更々なかった。例え控訴した所で無罪になるわけでもなく、刑が二、三ヶ月安くなる程度であろう。今更ここで数ヶ月安くなった所で、この俺の異常な人生が変わるわけでもないと思った松沢は、素直に一年半を務める覚悟だった。

 そんな控訴期間は二週間あった。
 慌てて懲役になる事も無く、その期間を被告人のままのんびり拘置所で暮らす事にした。被告のままならビスケットもコーヒーもどらやきも食べられるのだ。
 そうやって地獄までの短い期間を脅えながら暮らしていたそんなある日、思いがけない手紙が松沢の房へ舞い込んできた。

 手紙の差出人は和夫だった。
 和夫は判決後に一度だけ、姉と一緒に面会に来てくれた。
 借りていた金は必ず返すから、という松沢に、和夫はニヤニヤと笑っているだけだった。

 昼飯の炊き込みご飯風チャーハンを食べ終えた後、昼の午睡時間にそんな和夫の手紙の封を開けた。
 そんな手紙の封の中に、ふと娑婆の空気を感じた。

『拝啓、いかがお過ごしですか』

 そんな手紙の出だしに、いかがも糞もあるものかと苦笑した。

『さて、さっそくですが、松沢さんの刑が確定する前に、どうしてもお伝えしておきたい事があります。それは、例の小判饅頭の件です』

 手紙を握る松沢の手が、一瞬ビクッと震えた。

『僕は、松沢さんが金さんの工場で小判饅頭を作っている事を最初から知っていました。あの地響きを毎日聞かされれば当然です。
僕は、松沢さんが小判饅頭を作っている姿を、いつ饅頭が完成するかとドキドキしながら、毎日、穴の上から見ておりました。
そしてあの日、遂に松沢さんが念願の小判饅頭を完成させたのを見てしまったのです。
僕は松沢さんの人生を、あの暗い工場で終わらせようとする気など決して考えておりませんでした。
時が来たら松沢さんをあの工場から助け出そうと、最初から計画しておりました。だから僕が金さんに言って、あの工場から松沢さんを助け出したのです。
それだけはどうか信じて下さい。
さて、松沢さんが作り上げた小判饅頭の件ですか、その後、僕が後を引き継ぎ、この度、ようやく販売先が決まりました。
以前から松沢さんが取引しておりました三松さんですが、僕が調べた所によると、詐欺の前科が沢山ある、その筋では有名な詐欺師でした。
だから三松さんは信用できない為、インターネットで小判饅頭のオークションを開いたのです。
全国のお菓子店が競うようにして小判饅頭を欲しがりました。結果、一番高い値で競り落としたのはスイスのお菓子屋さんでした。
スイスのお菓子屋さんは、小判饅頭をひとつ三十五円で買ってくれました。
小判饅頭は全部で三百四十個ございましたので、合計一万二千円近くの利益になりました。
この利益の中から、僕が松沢さんに貸していたお金を差し引かせて頂きます。もちろんそれなりの利息と礼金もいただきます。
残りのお金は松沢さんのお姉さんに渡しておきますので、どうか刑務所を出る日を楽しみにしていて下さい

これで、ようやく僕もニートの世界から脱出できそうです。
それもこれも、あの日あの銭湯で松沢さんと出会ったおかげです。
あなたに会えて本当によかったと神に感謝します。
それでは、御身体には十分気を付けて頑張って下さい。

和夫』

 松沢の手は、手紙を破らんばかりに震えていた。
 和夫が? あのニートが? 大黒乃湯の埋蔵金を? 嘘だろ?
 そう何度も何度も呟きながら、拘置所の白い壁に頭をぶつけた。
 自分をあの穴蔵の中に閉じ込めて殺そうとしたのが和夫だったと言う事よりも、松沢は小判が売れたその金額が気になった。
 和夫は、拘置所の手紙が職員に検閲される事を知っており、それでわざわざ謎めいた内容で書いているようだが、しかし、肝心の小判が売れた値段がわかりづらかった。

(小判饅頭をひとつ三十五円……これは三十五万という事か? それとも三百五十万という事か?……三十五万なら一億二千万、三百五十万なら十二億……どっちなんだ……どっちなんだ和夫!)

 そう心で叫びながらおもいきり白い壁を殴ると、隣りの房から「うるせいぞこの野郎!」という声が返って来た。

(残った金を姉ちゃんに渡した……いったい、和夫は姉ちゃんにいくら渡したんだ……)

 そう考えていると、松沢のカッカと熱くなっていた思考は瞬間的に冷めてきた。
 普通に考えれば、今更和夫が、それほどの大金を自分に渡すわけがないのだ。
 本来ならば全額ネコババしてしまうはずなのである。
 そう思うと、和夫が姉に渡した金額は大した額ではない事が伺えた。

(一枚三十五万で売れたなら二百万、三百五十万で売れたのなら二千万って所だろうな……)

 そう思うと、一文無しのくたびれ儲けよりはマシだったと、ふと笑えてきた。

(どうせ今の俺は、刑務所を出た所で一文無しの乞食生活だ。それを思えば、少しでも金が入れば安心して刑務所で暮らせると言うもんだ。それに、元々三松に取られたと諦めていた金だ。たとえ少しでも金が入った事に感謝するべきなのかも知れないな……)

 そんな謙虚な気持ちが松沢を優しく包み込んだ。
 娑婆という煩悩の世界から隔離された環境が松沢を謙虚にさせたのかも知れない。
 深い溜息をつきながら、(全て夢だったんだ)と呟いた松沢は、その手紙をビリビリと破き、そのまま便器の中に夢を捨てた。

 すると、突然廊下から鉄の扉がガシャンっと開く音が響いてきた。
 松沢は慌ててトイレの水を流した。ここでは、たとえ私物の手紙であろうと勝手に廃棄すれば懲罰を喰らうのだ。
 静まり返った廊下に、担当職員のペタペタと鳴るスリッパの音と、スニーカーのゴム底がキュッキュッと鳴る音が松沢の房に近付いてきた。
 スリッパのペタペタだけならいつもの事だが、同時にスニーカーのキュッキュッは珍しい。
 そう不審に思いながらソッと席に戻ると、案の定、その異なる二つの足音は、松沢の房の前でピタリと止まった。
 ガタガタ、ガッシャン! という重圧な鉄扉の鍵の音が三畳半の狭い部屋に響き渡った。

「おい、松沢、面会だ」

 そう呼ばれて松沢は廊下に出た。
 廊下を歩きながら、スニーカーをキュッキュッと鳴らす面会立会いの看守から「お姉さんだよ」と告げられた松沢は、きっと和夫から金を受け取った事を伝えに来たんだ、と思うと、いったいいくらなんだろうと急に胸がドキドキしてきた。

 面会所の扉を開けると、アクリル板の向こう側に座っていた姉が、悲痛な面持ちでスクッと立ち上がった。

「と、俊ちゃん!」

 姉は両手をアクリル板にピタリと付けたまま叫んだ。

 松沢は立ったままアクリル板の無数の穴に顔を近づけ、すかさず「いくらだ!」と聞いた。

 姉は顔面を真っ青にしたままゴクリと唾を飲み、そして小さな声で「五億円……」と呟いたのだった。


 そんな面会の帰り道は、スキップしたい気分だった。
 廊下から見える別の房の罪人たちを見下ろしながら、ざまあみろ、ざまあみろ、と何度も心で叫んでは、その幸せを味わった。

「五億円ってなんの事だよ」

 看守が嬉しそうな松沢の顔を覗き込みながら聞いた。

「宝くじに当たったんです」

「えっ? 嘘だろ?」

「はい。嘘です」

「ばかやろう。懲罰房にぶち込むぞ」

 二人はクスクスと声を殺して笑った。

 房に戻ると、松沢はさっそく担当さんを報知器で呼出し、『願せん』の用紙を願い出た。
 願せんと言うのは、職員に何かお願いをする時に書かなければならない書類で、それは、私物の靴下を一枚捨てるだけでもいちいち『廃棄願い』という書類を提出しなければならないという、実に面倒臭い制度だった。

 担当は、開いた食器口から松沢を覗き込みながら、「何の願せんだ」と聞いた。

「はい。この度、控訴を断念致しまして、早々と刑務所で罪を償いたいと思いまして、そのお願いの願せんです」

 そう告げる松沢の顔は、取り憑いていたものから解放されたかのような、清々しくも明るい笑顔だった。

(俺の人生ってのは、ジェットコースターみたいに上ったり下がったりの忙しい人生だけど、まぁ、平らな線路の上をのんびりガタゴト行く鈍行列車よりは、ちっとは楽しい人生かも知れないな……)

 そう笑いながら、願せんに『控訴取下げ願い』と書いた。

 そんな松沢は、その後、自分が長野刑務所に服役している間に、株に失敗した姉が家族を捨てて行方不明になってしまう事など、その時はまだ夢にも思っていなかった。

 そんな松沢のジェットコースターはまだ終わっていない。


(えんとつ・完)





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