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えんとつ14

2012/05/30 Wed 22:07

タイトル14



―14―

 ちゃぶ台の上にきゅうりの浅漬けがゴンっと置かれた。
 母ちゃんが、おひつの中から冷や飯を茶碗に盛りながら「父ちゃんが帰って来る前にとっとと食っちまいなよ」と呟き、自分の指にくっ付いた米粒をペロッと食べた。
 ひとつの生卵を姉ちゃんと二人で分けた。
 姉ちゃんはせかせかと生卵を溶きながら、夏休みマンガ劇場を見ていた。俺は冷や飯が盛られた茶碗を両手で持ちながら、椀の中でくるくると回る生卵を見ていた。
 母ちゃんが回転する生卵の中に醤油を垂らすと、黄色い生卵が一瞬にして茶色に変わった。
 姉ちゃんはテレビを見ながらその生卵を自分のごはんの上にトロッと垂らした。
 椀の中の生卵がほとんど消えた。俺の分は椀の底にほんの少し残っているだけだ。
 しかし俺は文句を言わなかった。なぜなら、姉ちゃんのそれはほとんどが白身だからだ。
 俺は黄身ばかりの生卵を冷や飯の上に垂らした。箸でクタクタとかき混ぜそれを豪快にかっ込んだ。カステラのような濃厚な黄身の香りが口一杯に広がった。
 しかし姉ちゃんのそれは白身ばかりでクジュグジュしていた。それでも姉ちゃんはテレビに映るメルモちゃんを見つめながら、それをズルズルズルっと不気味に啜った。
 突然、玄関戸がガラッと開いた。台所で大根を洗っていた母ちゃんが、前掛けで手を拭きながら「あんた、おかえり」と笑った。
 父ちゃんの顔は茹で蛸のように赤かった。棟上げの日は、いつも朝から酔っぱらっている。
 俺は卵かけごはんを慌ててかっ込んだ。姉ちゃんも急いでズルズルとかっ込んだ。もはやメルモちゃんどころの騒ぎではない。

「なんだてめぇら……朝っぱらから貧乏くせぇもん食いやがって……」

 父ちゃんがどろりと充血した目でちゃぶ台を覗き込む。
 朝っぱらだけじゃねぇよ、いつも貧乏臭せぇよ。貧乏なのは父ちゃんが酒飲んで博打ばかりやってるからじゃねぇか。と、俺は父ちゃんが吐く酒臭い息にビクビクしながらそう思い、茶碗に付いた黄色い米粒を急いで箸の先で摘んだ。
 その点、姉ちゃんのはズルズルしているため、一気にかっ込む事ができた。姉ちゃんは空の茶碗を流し台に持って行くと、ポツポツと黄色い米粒を摘んでいる俺を見下ろし、「行くよ」と言った。
 すかさず父ちゃんが「どこに行くんでぇ」と、ゲップ混じりで聞いた。

「この子たち今日からプールなのよ」

 母ちゃんはそう答えながらスーパーのビニール袋を手に取ると、早く行きなと言わんばかりにそれを俺に突き付けた。
 そのスーパーのビニール袋の中には、俺の海水パンツとタオルが入っていた。つまりそれは俺のプールバッグだった。
 姉ちゃんのはちゃんとしたプールバッグだった。去年、長屋に住んでる加藤さんちの美津子姉ちゃんが中学に上がったため、そのおさがりを貰ったのだ。
 が、しかし姉ちゃんはそのプールバッグがあまり嬉しそうでは無かった。なぜならそのプールバッグには、ひと昔前に流行った天地真理がプリントされているからだった。
 そんなプールバッグをぶら下げて、姉ちゃんと俺は手を繋ぎながら学校へ向かった。途中、他の生徒たちと出会す度に、姉ちゃんは手の平で天地真理を隠していた。
 俺はそんな姉ちゃんに「天地真理のほうがいいよ。俺なんてこれだよ」と言いながら『スーパーはせがわ』とプリントされたビニール袋を見せた。
 姉ちゃんがプッと笑った。俺も釣られてケラケラと笑った。そのうち二人とも笑いが止まらなくなった。



「下田さぁん、点滴交換しますねぇ」

 不意にそんな柔らかい声が松沢の耳をくすぐった。
 松沢はケラケラと笑いながらも、「今、何か言った?」と姉ちゃんに振り向くと、いつの間にか姉ちゃんの姿は消え、そこには深い闇が広がっていた。

(……夢か……)と、思いながらも、同時に、まだ俺は死んでいないのか? と、不思議に思った。
 暗い闇に包まれた穴の中を見回した。そこには土の埃っぽさもなく、地下水の冷たさもなかった。
 不意に頬に柔らかいクッションを感じ、あれ? と思った瞬間、再び「松沢さん、目が覚めましたか」っという柔らかい声が松沢の耳に飛び込んできたのだった。

 そこは明らかに病院だった。
 これも夢なのか? と思いながら、必死に五感を働かせた。
 全身を包み込むフカフカの布団はひたすら真っ白だった。辺りにはクレゾールの匂いが充満し、スリッパの音とカーテンを開け閉めする音が繰り返し聞こえてきた。
 自分の顔を覗き込みながら微笑んでいる女は白衣を着た看護婦だった。そんな看護婦の鼻の穴が見えた。筆ペンの先のような鼻毛の束がモサっと生えていた。

「気分はどうですか?」

 鼻毛の看護婦が優しく語りかけた。松沢は「はぁ……」と答えながら、ぽっかりと消えてしまっている記憶を必死に呼び戻した。

「あっ、戸田さん、松沢さんの意識が戻った事を先生に伝えて下さい」

 鼻毛の看護婦が、廊下を歩いていた若い看護婦を呼び止めそう言った。
 ソッと隣りのベッドを見ると、海坊主のような男が黙ってテレビを見ていた。そんな男の両腕には、手首までびっしりと刺青が彫られていた。

 何かが違う。
 そう思いながら、いったい何が違うのだろうかと様子を伺った。
 ソッと見回してみても、何の変哲もないどこにでもある病室に見えた。が、しかし、やはり何かがおかしいと感じた。普通の病院に比べて、空気が貪よりと重いのである。
 松沢は、枕からヌッと顔を上げて、病室の全体を見回してみた。そしてハッと気が付いた。そう、この病室には、なんと窓が無かったのだった。

 陸に上げられたナマズのようにやる気のない医師が、いいかげんな診察をぱっぱっと終わらせ去って行くと、それと入れ違うようにして、今度はドブ底を忙しなく動き回るネズミのような男がやってきた。
 彼は刑事だった。
 ここ、警察病院の地下病棟には制服を着た警察官や、明らかに刑事だとわかる男たちがうろうろと歩き回っていた。
 刑事は松沢のベッドの脇のパイプ椅子に腰を下ろすと、開口一番、ここは暑くてかなわねぇ、と顔を歪めた。

 刑事は、記憶が定かではない松沢に、順を追って状況を説明してくれた。
 長屋の住人の通報で駆けつけた警察官は、長屋の縁の下に掘られた四メートルの穴から、意識不明の松沢を発見した。長い間、冷たい地下水に沈んでいた松沢の身体は死体のように冷えきっており、すぐにこの警察病院の集中治療室に運ばれた。
 五日間、意識不明のままだった。このまま行けば脳死だな、と医師たちが諦めかけていた時に、今こうして突然目を覚ましたという事だった。

 そんな刑事の話を聞きながら、松沢の記憶がみるみると甦ってきた。
(俺は助かったんだ。あの暗くて狭い穴の中で死ななかったんだ……)
 暗い穴の中の状況がじんわりと甦ってきた。九死に一生を得た松沢は、あの絶体絶命の状況の中から生還できたという事実に、言いようのない不思議な感覚に包まれていた。
 フカフカの布団の感触を感じながら、本当に助かったんだなという実感が湧いて来ると、不意に、いったい誰が俺を助けたんだろう、という疑問が湧いて来た。

「通報した長屋の住人と言うのは誰ですか」

「穴の上に住んでる人だよ。確か、金さんとかいったな……」

 その瞬間、突然、ギラリと輝く大量の小判がパッ! と脳裏にフラッシュバックした。続いて、重圧な鉄蓋がズリズリと閉まって行くシーンと、避難梯子がパラッと落ちて来るシーン、そしてオロナミンCの中で死んでいるムカデが、脳裏の中で高速スライドショーをして行くと、最後に不敵に笑う三松の顔がドーンっ浮かんだ。

「わぁっ!」と思わず叫んでしまった。
 松沢の声にネズミの刑事が焦った。
「まぁまぁ落ちつけ、今は何も考えずにゆっくり休んだらいい」と優しく呟きながら、松沢を見つめてうんうんと頷く。
 しかし興奮した松沢はムクリとベッドを起き上がった。

「小判! 俺が掘り当てた六億円の小判はどうなりましたか!」

 そう叫んだ瞬間、一瞬、病室がシーンと静まり返った。
 ベッドに寝転がっている罪人らしき男達が一斉に松沢を見た。入口に立っていた制服の警察官も、点滴交換していた看護婦さんも、そして隣りの海坊主も、みんな松沢をジーッと見ていた。

 そんな、一瞬時間が止まったような病室で、不意に誰かがプッと噴き出した。
 ソレを合図に皆がドッと笑い出し、静まり返っていた病室が一瞬にして松竹演芸場のように騒がしくなった。

「六億の小判ってなぁ、おまえもうちょっとマシな嘘つけ」

 誰かがそう笑うと、また他の誰かが「小判って所がイカレてるじゃねぇか」と大声で笑った。
 すると隣りの海坊主が松沢のベッドにヌッと顔を突き出し、松沢の顔をギロッと覗き込みながら呟いた。

「あ、こいつぁ、殺(や)ってるな。こいつの目は間違いなく人を殺(や)ってる目だよ。おめぇ、どうせその穴の中に死体を埋めようとしてたんだろ? で、相手は誰だい、別れた女房か、保険金を掛けた親父か、それとも貢いだフィリピンホステスか? え? 今、死体はどこに隠してるんだ? 正直に白状しろい」

 そんな海坊主を「まあまあまあまあ」と宥めながらベッドに追い返した刑事は、再びパイプ椅子に座りながら「まぁ、とにかくキミが退院すると同時に逮捕状が出るようになってるから、詳しい話はそれからゆっくり聞くよ。取りあえず今はゆっくり休む事だな、うん」と、松沢の肩をポンっと叩いた。

「た、逮捕状って……いったい容疑はなんですか?」

 松沢が焦って聞くと、隣りの海坊主が「殺人及び死体遺棄」と呟き、再び皆を笑わせた。

「容疑は、今のところ『器物損壊』だね。どんな理由があったか知らないけど、人の家の床下にあんなに大きな穴を掘っちゃいけないよ」

 刑事がそう言うと、またしても隣りの海坊主が「それを法律用語では別件逮捕という」と茶化した。
 そんな海坊主に刑事は呆れた溜息をつくと、ゆっくりとパイプ椅子を立ち上がった。そして松沢を見つめながらポツリと呟いた。

「一応、キミの保釈は取り消されているから、病院を出たり、勝手に出歩いたりしたらダメだよ」

「ほ、保釈が取り消しになったんですか!」

「うん。キミの弁護士さんの所に裁判所から通知が届いてるはずだよ」

 そう言いながら、刑事は再びベッドの松沢にうんうんと頷くと、「それじゃあ」と面倒臭そうに呟きながら病室を出て行ったのだった。

 刑事が病室を出て行くなり、隣りの海坊主が小声で話し掛けてきた。

「おめぇ、小判だとかワケわかんねぇ事言って、勾留の執行停止を狙ってんだろ?」

「……いえ、そんな……」

「まぁまぁ、いいじゃねぇか、ここにいるのはみんな仲間だよ。おめぇと同じ、執行停止を狙ってるヤツばかりだから心配すんな。俺もよ、ブタ箱で箸を飲み込んでやったんだよ。それで今、こうして執行停止を待ってんだけどな、へへへへ、それにしても小判とはやるじゃねぇか。その調子で大判小判がザックザクってやってりゃ、そのうち精神病院に移されて執行停止されるよ。ま、それまでガンバレよ花咲か爺さん」

 海坊主がそう笑うと、病室の隅で顔を泥だらけにしている男が松沢にニヤリと笑い掛けながら「ガンバレよ」と口パクで励ました。
 その時、松沢は、その男の顔に付いているのがウンコだと言う事を知らなかった。後に隣りの海坊主から「あいつはウンコを身体中に塗って執行停止を狙ってるんだ。だから臭くてかなわねぇ」と聞いた時、素直に、こいつらと一緒にされては堪らないと思った松沢は、もう二度と小判の話しを口にしなかったのだった。

 それから三日後。検査で異常が見られなかった松沢に『器物損壊』の逮捕状が発行され、身柄はその日のうちに警察の留置所へと移された。
 山の手の警察署のブタ箱と違い、下町の警察署のブタ箱は異様に汚かった。
 警察署の建物が古いせいで余計そう思うのかも知れないが、しかし、汚いのは建物だけでなく、そこに蠢く人間達も汚かった。

 警察病院ではなかなか紳士だったネズミの刑事は、松沢の立場が被疑者となり、場所が取調室となると、あの紳士な性格を急変させ、いきなり胸ぐらを掴むようになってきた。

「二週間ほど前、隣りの町に住んでた女子大生が行方不明になってんだよ。丁度、おまえが拘置所を保釈で出た頃だ」
「…………」
「心当たりあるよな?」
「ありません」
「嘘だろ」
「嘘じゃありません」
「ついつい殺しちゃったんだろ?」
「知りません」
「殺すつもりはなかったんだろ?」
「知りません」
「で、その死体を長屋の床に埋めようとしたんだよな?」
「冗談じゃない」
「じゃあ何の為にあんな穴を掘ったんだよ」

 だからそれは、と、言い掛けて松沢は口ごもった。こいつに小判の話しをした所で、所詮、花咲か爺さん扱いされるだけなのだ。
 松沢が黙っていると、ネズミ刑事はいきなり松沢の胸ぐらを掴み、「死体はどこに隠してるんだ!」と、凄い力で松沢の身体を押した。
 パイプ椅子に腰縄を縛られていた松沢はドカッ! と後にひっくり返った。
 薄汚れたコンクリート壁に激しく頭を打ち付けた松沢は、そのまま、目の前に浮かんでいる取調室の天井を見つめながら、「おまえが殺したんだろ!」と怒鳴り散らす刑事の声を聞いていた。

(どうしていつもこうなるんだよ……)

 取調室の床に大の字に寝転がりながらポツリと呟いた。松沢は、天国と地獄を行ったり来たりするそんな自分の人生を酷く恨んでいた。

(つづく)

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