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えんとつ5

2012/05/30 Wed 23:07

タイトル5



―5―

 銭湯を出ると、町は既に夕暮れ時の色合いを見せていた。
 この町の夕暮れ時は実に忙しなかった。「ごはんだよ!」と叫ぶ母ちゃんの声が四方八方から聞こえ始めると、それを聞いたガキ共が最後のあがきとそこらじゅうを走り回っていた。
 仕事を終えた労働者達が泥だらけの地下足袋のまま町に溢れ、そんな野蛮な男達をチカチカと卑猥に輝くピンサロのネオンが誘う。
 そんな光景は新宿で見る夕暮れ時とは明らかに違っていた。そそくさと塾へと急ぐ半ズボンの少年も、スーツ姿のサラリーマンもここでは全く見当たらなかった。

 松沢は、路地の片隅で、七輪にパタパタと団扇を煽ぎ立てては必死に炭を起こしているホルモン屋のおばちゃんを懐かしそうに見つめながら、とぼとぼと長屋へ向かっていた。
 しばらく行くと、また別のホルモン焼き屋からパタパタという団扇の音が聞こえて来た。ホルモンと書かれた赤暖簾の上の換気扇から、ホルモンのタレが程よく焦げた香りが、真っ白な煙と共にモクモクと溢れていた。
 堪らない。そう思った松沢は、口内に溢れ出る唾を飲み込みながら、開けっぱなしの入口の引き戸をソッと覗き込んだ。
 カウンターしかない狭い店内には、既にホロ酔い加減の労働者達がダミ声で語り合っていた。

 入口すぐのカウンター席がひとつだけポツンと空いているのが見えたが、しかし隣りの席に座る男の真っ赤なニッカズボンが酷く汚れていたため、一瞬にしてその気分は萎えてしまった。
 ここで暮らしていた高校生の頃までは、そんな汚れたニッカズボンを見ても全く気にならなかった。あの頃は、周りにニッカズボンの男達がいるのが当たり前で、それが普通だったのだ。
 が、しかし、ここを離れてからというもの、酒臭い労働者も汚れたニッカズボンも無性に毛嫌いするようになった。
だから松沢が経営していた居酒屋チェーンの全店には、『作業服の方・泥酔者の入場は固くお断りします』という看板を掲げさせては、それらを徹底して拒んでいたのだ。
(環境が変われば性格も変わるもんだな……)
 そうつくづく思いながら歩き出した松沢は、今の自分が再びこの劣悪な環境に戻って来てしまった現実に、がっくりと肩を落としたのだった。

 薄暗い長屋へ向かう足を方向転換させ、ネオンが灯り始めた通りに向かって歩きだした。
 次第に『ドヤ』の香りは消え失せ、東京の下町の古き良き香りへと変わって来た。
 どこかで一杯引っ掛けたいと思った。しかし、ポケットの中の心細い全財産を思うと、そんな贅沢はしていられないと自分を戒めた。

 コンビニで弁当とビールを買って帰ろうと思い、そのままのんびりと歩いた。
 途中、ポケットの中を漁りながら、銭湯で暗号を書き写した紙片を取り出した。

【夏の日の、あのマチコの町のとんがり帽子の先】

 暗号をブツブツと唱えながら歩いた。
 マチコととんがり帽子。この二つの言葉が重要なキーワードだと思った。この二つの言葉に、『夏』という季節と、『町』という場所と、『先』という個所が加えられ、ひとつの文章が出来上がっていた。
 が、しかしその文章は、文章として成り立っていなかった。暗号だから仕方ないのではあろうが、しかし、それにしても支離滅裂すぎる。
(マチコの上にある『あの』は果たして必要なのだろうか? わざわざそこに『あの』を付けるのには、何かそれなりの理由があるはずだ……)
 松沢は、そんな事を考えながら紙片を見つめ、とにかく、まずはこのマチコというのがいったい誰なのかを調査しなくてはならないと思った。

 大通りの横断歩道を渡ろうとすると、二十年前コンビニがあった場所は『ユニクロ』になっていた。チッと舌打ちしながら足を止めた。
 仕方なく、また元の道を引き返した。確か、長屋の裏に酒屋があったはずだ、そこでビールとスルメイカでも買って今夜はそれで我慢しようとコンビニ弁当を諦めた。

 細い路地を抜けて行くと、再び先程のネオン街に出た。ほとんどの居酒屋やスナックはまだ閉まっていたが、しかし、ピンサロ系の風俗店は入口に盛り塩をして頑張っていた。

「はい、お兄さん、早いね」

 突然現れた客引きの男に腕を掴まれて呼び止められた。
 こういった『客引き』は東京都迷惑防止条例で禁止されているはずだった。最近では、風俗店の客引きだけでなく居酒屋の客引きまでも逮捕されているほどに厳しく取り締まられているはずだ。
 しかし、この町ではそれが普通だった。細い路地では、怪しげな客引きの男達がサラリーマン風の客の袖を堂々と引っ張っているのだ。
 松沢は、こんな光景を子供の頃からいつも見ていた。しかし、二十年ぶりに改めて見る客引きのその衣装を目の当りにして、思わず噴き出してしまったのだった。

 三十代半ばの客引き男は、なんとワイシャツに蝶ネクタイを絞め、その上から『祭』と赤字でプリントされたハッピを羽織っていた。
(これじゃあドリフのコントじゃないか)
 そう思いながら、心の中で『ダメだこりゃ』と呟くと、客引きはその笑いを勘違いしたのか、「お客さん、今日は本当ラッキーだったよ」などとニヤニヤしながら松沢に寄り添った。
 そこで「何がラッキーなんですか?」と答えてしまったのがいけなかった。コレ系の仕事師は、無視するのが一番なのだ。下手に相手にしようものなら瞬く間に言い包められてしまうのがオチなのである。
 全国の夜の街に五十店舗もの店を構えていた松沢は、そんな裏花街の性癖を充分知り尽くしていたはずだ。
 なのに、この時ばかりはついつい呼び込みの言葉に耳を貸してしまった。
 ついさっきまで拘置所の塀の中にいた松沢には、久しぶりのネオンの灯りは刺激的過ぎたのだった。

 気が付くと、松沢の頭の上をミラーボールの光りが回っていた。
「忍さん忍さん、十番テーブル、ハッスルスタートです」
 まるでパチンコ店で聞いてるような放送が、繰り返し繰り返しスピーカーから鳴り響いていた。
 松沢は、大音響で店内に鳴り響く、郷ひろみの『二億四千万の瞳』を聞きながら、いったいこの選曲は誰がしてるんだろう、と思うと、なぜか不意にメキシコのポンチョを羽織ったパパイヤ鈴木の顔が浮かんだ。
 しばらくすると、観葉植物の影から赤いレースのネグリジェを纏った肉の塊が現れた。
「あずみでぇーす」と顔面一杯で微笑みながら松沢の隣りに座った彼女は、ゴム毬のように丸かった。
 まだ二十歳そこそこの娘だった。これが客引きの言っていたラッキーなのかと思うと、前金で払った四千円を今すぐ返して欲しいと本気で思った。

 そんなゴム毬娘は、「失礼しまーす」と笑いながら、さっそく松沢の膝の上に乗って来た。
 安物のソファーがググッと沈み、かなりの重量が松沢の細い太ももに伸しかかった。
 凄まじい香水の匂いが松沢を包み込んだ。それは、公衆トイレの便器に転がるサンポールよく似たニオイだった。
「外、暑かったでしょ」とお決まりの文句を呟きながら、テーブルの上に置いてあった缶ビールをプシュッと開けた。接近していた彼女の口からはスルメイカのようなニオイが漂っていた。
「触ってもイイのよ」と耳元で囁きながら、松沢の手を自分の胸に引き寄せた。松沢の手の平に、赤子の尻のような柔らかな感触が広がった。しかし、太ももに伸しかかる重量があまりにも辛過ぎて、その感触を楽しむどころの騒ぎでは無かった。

 結局、六十分間、膝の上で缶ビールを飲む娘の重量に耐えているだけだった。暗闇から現れたボーイの「延長なさいますか?」という言葉に、おもわず「もう無理です」と叫びそうになった。
 出口では更に追加料金を請求された。先に支払った四千円はあくまでも入場料だったらしく、それとは別にテーブルチャージ料二千円とサービス料三千円、そしてゴム毬娘が飲んだ缶ビール六本分の合計一万六千円を、ガッツ石松によく似た大きな男に請求された。
 この大変な時に、いったい俺は何をやってるんだ、と、つくづく自分のバカさ加減に腹を立てながら金を支払った。
 反省しながらドブ川の横の路地をとぼとぼと歩いて帰った。
 猫のように大きなネズミがドブ川のヘドロにまみれながら何かを齧っていた。よく見るとそれは自転車のタイヤだった。

 すっかり暗くなった長屋は、六世帯あるうちの三世帯だけに電気が灯っていた。
 電気の付いていない家はシーンと静まり返り、割れた玄関戸のガラスから貯蓄された埃臭さがプーンっと漂って来た。
(どうせ、あと数年もすれば、ここにもあんな大きなマンションが建つんだろうな……)
 そう思いながら、長屋の向こうに聳える新築らしき巨大マンションを見上げた。

 家の前で立ち止まり、ポケットの中の鍵を探った。長屋の角のホルモン焼き屋から酔っぱらい達の下品な笑い声が聞こえ、どこかで犬が狂ったように吠えていた。
 建て付けの悪い戸は、戸の薄っぺらいガラスをガタガタと鳴らした。すると、その音を聞きつけたのか、突然、左隣の家の戸がガラッと少しだけ開き、中から男がヌッと顔を出した。
 男は松沢を見るなり「あっ」と小さく叫んだ。松沢も男を見て「あっ」と口走った。
 男は銭湯にいたニートの青年だった。

 松沢がここに住んでいた頃は、その家には桑原という工事現場の旗振りをしていた男が一人で住んでいた。酒もタバコも博打もしない大人しい男で、東北方面から一人で流れて来たという、何やらワケアリな男だった。
 このニート青年と桑原のおっさんと何か関係があるのだろうかと思った松沢は、玄関の前に立ちながら「桑原さんは?」と青年に聞いてみた。
 青年は「ああ……」と頷きながら目線を落とし、玄関の前を通る側溝のドブ板を見つめた。

「桑原さんは三年前に肺ガンで亡くなりました。その後、僕達が引っ越して来ました……」

 青年は、デブ特有の籠った声でボソボソッと呟くと、そのまま挨拶もせずスッと引き蘢って行った。
 僕達、と言う事は、他にも誰かが住んでいるのだろうと思った。あの青年に彼女がいるとは到底考えられず、とすれば恐らく家族の者だろうと思った。

 松沢は、やっと玄関戸を開けながら,しかし、この御時世に、わざわざこんな貧窟街に家族で越して来るなんて、余程の生活困窮者なんだろうなと思った。
 が、しかし、静まり返った部屋に入ると、ふいに隣りの青年の家から聞き慣れた電子音が聞こえて来た。それは明らかに、数ヶ月前に新発売されたばかりの『ワンピース海賊無双』のメロディーだった。会社が乗っ取られる前まで、松沢もこのゲームにどっぷりとハマっていたのだ。
(生活困窮者が『プレステ3』かよ……)
 そうツッコミを入れながら電気を点けた。縁の下の土が、畳が捲られたベニヤ板の床に散乱していた。そんな光景に、今夜はどうやって寝ればいいんだよ、と嘆きながらも、ふと(俺も生活保護を受けられないのだろうか?)と、隣りから聞こえてくる『ワンピース海賊無双』のメロディーを聞きながらそう思った。

 子供の頃から寝ていた玄関前の四畳半に畳一帖だけ敷いた。ゴロリと仰向けに寝転がると、目の前に広がる天井の木目が妙に懐かしく感じた。
 残金八千五百円。これから一ヶ月、一日の食費が約二百八十円しかない事を考えると、今から刑務所に行かなければならない身には辛すぎる程辛かった。
 まだまだやり残している事が沢山あった。美味いものをたらふく食いたかったし、女も抱きたかったし、そして子供にも会いたかった。しかし、八千五百円では何も出来なかった。
 松沢は、再びポケットの中から暗号が書かれた紙片を取り出し、それを眺めた。

【夏の日の、あのマチコの町のとんがり帽子の先】

 何度眺めてもチンプンカンプンだった。これを手がかりに埋蔵金を掘り起こすなど、名探偵コナンでも優に一年は掛かるだろう。それをたった一ヶ月で、しかも何の計画もないまま所持金八千五百円でやろうとしているのだから、あまりにも無謀過ぎた。
 とは言っても、ここはもう絶対に『大黒乃湯埋蔵金伝説』に頼るしかないと思った。それはほぼ100%不可能な夢だったが、しかし、そんな事にでもすがって生きなければ気が狂って自殺してしまいそうなのである。
 そう思いながら意味不明な暗号をぼんやり眺めていた。
 こんな暗号に惑わされてはいけない、とそう思った松沢は、突然、財宝を埋めた先代の気持ち考え始めた。それは、いつも松沢が部下達に言っていた『お客様の気持ちになって考えろ』と同じ意味であり、財宝を隠そうとしている先代の、その時の気持ちを深く推理しようとしたのだ。

(先代は、日本軍の不穏な動きを察し、もしかしたら財宝を没収されるのではないかと怖れていた。だからきっと、この時の先代はかなり焦っていたに違いない……)

 そんな状況を思い浮かべながら、もし自分が先代の立場だったら大切な財宝をどこに埋めるだろうかと考えた。
 自分なら、ひとまず自分が所有する土地に埋めるだろう。そしてその後の軍の動きを警戒しながら、絶対に掘り起こされる事ない安全な場所を探し出しては、そこに財宝を少しずつ移動させるだろう。
 そう思いながら、まずは小森家が二二六事件以降に所有していた土地を法務局で手当り次第に調べ上げる事から始めようと考えた。
 もしそれらの土地の中に、先代が生きている間に転売された土地があったとしたら、その土地の名義人も徹底的に洗う必要があろう。もしかしたら、その名義人の親族の中から『マチコ』という名前が出てくるかも知れないからだ。
 当然、小森家が所有するこの長屋も徹底的に調べてみるつもりだった。この長屋に『マチコ』という名前の女が住んでいたかどうかを、古くからこの長屋に住んでいる老人達に手当り次第に聞き込みしてみるつもりだった。
 そんな事をあれやこれやと推理しながら計画を立てた。
 これは明日から忙しくなるぞ、と、100%叶わぬ夢に希望を抱き、にわかにニヤリと微笑んだ。
 気が付くと、いつの間にか窓の外は明るくなりかけていた。隣りからは未だにプレステ3の音が聞こえていた。


(つづく)

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