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えんとつ2

2012/05/30 Wed 23:10

タイトル2



―2―

 こんな形で実家に帰ってくるとは思ってもいなかった松沢は、大通りを歩きながら反吐が出そうな気分だった。
 そこに吹く風も、そこを照らす太陽も、全てが忌々しくて堪らず、歩道で擦れ違う小学生などそのまま大通りに蹴飛ばしてやりたいくらいだった。

 紙袋をぶら下げたまま、しばらく大通りを行くと、見覚えのある郵便局が見えて来た。その角を曲れば、幼い頃、散々松沢を貧困で苦しめた長屋に到着する。
 郵便局の角で立ち止まった松沢は、一車線のその細い路地を暗い目で見つめた。もう二度と見たくないと思っていた風景が松沢の脳髄をイライラとさせ、途方もない脱力感を与えた。

(これがいわゆるトラウマというヤツなのか……)

 松沢は底知れぬ不快感を感じながら路地をゆっくりと歩き出し、その路地の先に見える完成間近の東京スカイツリーと、その手前にポツンと立っている大黒乃湯の古びた煙突を見上げた。
 松沢の位置からは、そんなスカイツリーと銭湯の煙突が、遠近法により同じ高さに見えた。

 狭い路地を電柱四本分進むとT路地に差し掛かった。その角に小さな児童公園があり、T路地の突き当りには、児童公園で遊ぶ子供達を目当てにした小さな駄菓子屋があった。
 駄菓子屋の前でふと足を止めると、さてこの駄菓子屋は何という名前だったか、と、いきなり気になった。
 店の名前らしき言葉が何度も何度も頭を過るが、しかしそれは夢を思い出している時のようにボンヤリとぼやけ、はっきりとした名前が全く見えて来ない。
 駄菓子屋を見上げてみた。しかし、二階の窓に『コカコーラ』と『お口の恋人ロッテ』の大きな看板が、ボロボロになりながら張り付いているだけで、店の名前らしきものはどこにも見当たらなかった。
 しばらくの間、夏の直射日光に照らされながら、名前を完全に忘れた駄菓子屋をジッと見つめていると、ふいに真夏の生温かい風が細い路地を吹き抜けた。児童公園の緑がザワザワと揺れ、『たばこ』と書かれた赤い看板がカタカタと鳴った。

 扉を全部開けっ放しにしていた駄菓子屋の店内から、何とも言えない懐かしい香りが夏の風に乗って漂って来た。その香りは、小さな四角い桃色の餅のような菓子の甘い香りだった。

(あの、やたらと奥歯にくっ付く四角い桃色の菓子はまだ売っているのかなぁ……)

 松沢は、いつも姉と二人して爪楊枝で突いて食べていたその菓子を懐かしく思いながら、そのノスタルジックな香りに引き寄せられるように駄菓子屋の中へと入って行ったのだった。

 強烈な直射日光に目が馴れていた為、日陰の駄菓子屋の中に入るといきなり目の前がモノクロームの世界になった。
 ひんやりと冷たいコンクリート床は当時のままだった。
 松沢が子供の頃よりも幾分か品数が少なくなったように思える店内は、雪印と書かれたアイスクリームのショーケースが低いモーター音を微かに響かせているだけで、後はシーンっと静まり返っていた。
 店には誰もいなかった。店の奥に声を掛ける気もせず、ただ黙って駄菓子の安っぽい香りに包まれていた。
 正面の壁に貼られた『ボンカレー』の看板は当時のままだった。天井の角に置かれている黒い招き猫も、アイスクリームのショーケースの横に並ぶガチャガチャも、そして、天井からぶら下がっているプラスチックのミニバットも、全て当時のままのように思えてならなかった。

 静まり返った店内で、そんな雰囲気に包まれていると、ふと三十年前に戻った気がした。
 塾帰りの吉田が自転車に跨がったままアイスクリームのショーケースを覗き込み、店先のリボンシトロンのベンチでは池本が十円貸本の古い少年サンデーを読み耽っている。店の奥の小上がりでは女子達が駄菓子を物色し、デブの木之下八重子がプラスチックパックの中からスルメ串を摘み出してはまた戻し、どれが一番大きいかと品定めしている。そのうちオババがヒステリックな目で「取ったり出したりしないの」と木之下八重子を睨みつけ、その隙を狙って松沢がフィリップガムを万引きするのだった。
 そんな三十年前の出来事がリアルに浮かび上がり、それと同時に、この店の名前が『コダマ商店』だった事に気付くと、突然、黒光りする柱に掲げられた古時計がボーンっと鳴った。

 駄菓子屋を出ると、再び強烈な直射日光に目を奪われ、目の前に広がる小さな児童公園が画質調整途中のテレビ画面のようにサイケデリックに映った。
 そのまま公園の中に入って行くと、そこは昔と大きく違っていた。
 確か公園の真ん中には巨大なジャングルジムがあったはずだった。古タイヤが地面に埋め込まれた跳び箱がズラリと並び、極端に急な滑り台と激しいシーソー、そして赤サビだらけのブランコが公園の隅を陣取っていたはずだった。
 それら全てが見事に撤去されていた。かろうじて当時の面影を残しているのは畳二帖ほどの砂場だけだった。
 確か、何年か前に、どこかの町の公園の危険遊具を撤去しようと張り切っている役所のおっさんたちをテレビのニュースで見た事があった。きっとこの公園もそんなおっさん達の張り切りによって危険遊具を撤去されたんだろう。
 そう思いながら砂場の前のベンチに腰を下ろすと、いったい今の子供達は何をして遊んでるんだろうとふと思ったのだった。

 そんな、がらんっとした淋しい公園を、しばらくの間ぼんやり眺めていた。
 入口近くのベンチでは、今にも行き倒れしそうな老人が足下の地面をジッと見ていた。
 公園の奥では、汚れたランニングシャツを着た肉体労働者風のホームレスが、道路脇の植木に向かって立ち小便をしていた。道路から見たら、あのホームレスの放尿する性器は丸見えだろう。
 そんなホームレスの日焼けした肩を見つめながら、滑り台やジャングルジムよりも、よっぽどあのホームレスの方が危険だろ、と思うと、張切って危険遊具を撤去していた役人達が社会悪に思えてならなかった。

 子供の頃、親父が酔って暴れ出すと、この公園は姉と松沢の避難所だった。
 親父が酔い潰れて寝てしまうまでの間、松沢は姉と二人でこの公園で遊んでいた。それは深夜にまで及ぶ事もあった。真夜中、姉と二人で滑り台の上で踞っていると、静まり返った暗闇の路地から母親の草履の音が聞こえて来た。
「俊ちゃん、夏っちゃん、帰ろ」
 公園の入り口の外灯に照らされながらそう呟く母親は、子供達を安心させようとしているのか無理に明るく笑っていた。
 そんなお袋の声が聞こえると、松沢と姉は競うようにして滑り台を滑り降りようとした。そしていつも滑り台の上で掴み合いの喧嘩になった。
 あの時の母親の声は今でもはっきりと思い出せた。駄菓子屋の名前はなかなか思い出せなかったが、あの母親の声は、あの辛かった状況までも鮮明に甦らせた。

 朦々と緑が茂るクスノキの上から、まるでスタンガンを放電したかのようなジジジッっという蝉の鳴き声が聞こえて来た。
 ふと、カラカラに乾いた砂場に転がるオレンジ色のスーパーボールを見つけた。懐かしいなぁ、と思いながらそれを摘もうとし、「わっ」と慌てて手を引いた。それはスーパーボールではなくカリカリに乾燥した猫の糞だった。
 その時、松沢が座っていたベンチの背後で、ギアッとドアが開く音が聞こえた。ふと振り返ると、ぎこちなく回転する三色のサインポールと白衣を着た男が目に飛び込んで来た。
 その顔は、明らかに床屋の息子の北原だった。
 北原は店の中に何か叫びながら、二枚の座布団をバンバンと叩いていた。大量の埃と短い髪の毛が夏の風にふわふわと舞った。

 そんな北原とふと目が合った。
 立ち止まった北原は、松沢の顔をジッと見つめながら必死に記憶を呼び起こしているようだった。
 北原は松沢の顔をなかなか思い出せないかも知れないが、しかし、松沢の方は北原のその顔を忘れたくても忘れられなかった。

 北原は、所謂イジメッ子というヤツだった。
 イジメッ子といっても昔はタイプがそれぞれ違い、ジャイアンのようなガキ大将タイプもいれば、スネ夫のような嫌味なタイプもいた。
 北原は明らかにスネ夫タイプだった。乱暴はしないがネチネチといやらしい男だった。

 五年生の時、新宿御苑へ遠足に行った際、北原に散々馬鹿にされた事があった。
 今でも忘れない、それは松沢が肩に担いでいたナップサックが原因だった。
 他の生徒達は、男子は青、女子は赤のリュックサックを背負っていたが、しかし、リュックサックを持っていない松沢だけは白い布のナップサックを持っていた。しかもそれは、大工の父親が現場で使っていた道具入れの巾着袋であり、決してナップサックなどと呼べるようなハイカラな物ではなかった。
 北原はその巾着袋を『ズタ袋』と呼んでからかった。バスの中で、北原が松沢の巾着袋を指差しながら「ズタ袋!」と叫ぶ度に、クラスのみんなは腹を抱えて笑った。担任の中田先生もバスの運転手も一緒になって笑っていた。当然、その日から松沢のあだ名は『ズタ』になった。
 みんなには楽しい遠足の思い出になったろうが、しかし松沢にとっては最悪な思い出となった。今でも新宿御苑は大嫌いで、居酒屋を経営している頃も、新宿御苑を横切らなければならない四谷店には一度も顔を出さなかった。

 そんな北原が、今、床屋の白衣を羽織った姿でジッと松沢を見つめていた。松沢はそのまま知らんフリしてその場を立ち去ろうとした。この辛い思い出しか残っていない地で、その辛い思いを与えた一人と言葉を交わすなど、松沢には耐えられなかったのだ。
 ソッとベンチを立ち上がると、北原に背を向けたまま公園の出入口へと進んだ。歩きながら、出入口のベンチで足下の地面をジッと見つめている老人を見ると、老人は蟻の巣から出てくる蟻をサンダルの先で一匹一匹踏み潰していた。

 路地に出ると、いきなり背後から「松沢だろ」という声に呼び止められた。チッと舌打ちしながら振り向くと、白衣に付いた毛をパタパタと叩きながら北原が近付いて来た。

「やっぱり松沢だ、どっかで見た顔だと思ってたんだよなぁ」

 北原はそう笑いながら、ゲジゲジに繋がった眉を八の字に下げた。
 こんな男と語りたくはなかったが、馴れ馴れしく話し掛けて来る北原が、何気に白衣のポケットからタバコを取り出したため、せめてタバコ一本分の時間くらいは付き合ってやらなければと諦めた。

「がっぽり儲けてるらしいじゃん」

 そう笑いながら出入口のベンチに北原がドカッと腰を下ろすと、隣りで蟻を潰していた老人がギョッとしながら北原に振り向き、そのまま何かブツブツと呟きながらそそくさと席を立った。
 松沢は持っていた紙袋の中身を覗かれまいと、北原とは少し距離を置いて立っていた。その紙袋の中には、拘置所で使っていたエメロンシャンプーや歯磨きセット、そして汚れた下着などが押し込められており、こんなものを見られたら、たちまちホームレスかと思われてしまうからだ。

「しかしあの松沢が、あの有名な『居酒屋・勝手場』のオーナーとはねぇ。この町の奴らは、おまえの事を川俣軍司以来の有名人の登場だって自慢してんだぜ」

 北原はそうニヤニヤしながらタバコの煙をゆっくりと吐いた。
『通り魔殺人事件』の川俣軍司と比べる所がこの町らしかった。いつまで経っても馬鹿で下品でガラの悪い町だと松沢は吐き気がした。
 そんな北原は、どうやら松沢が『居酒屋・勝手場』を乗っ取られた事を知らないらしい。その後、詐欺で逮捕された事も何も知らないようだった。

「で、いったい何してんだよこんな所で。まさか居酒屋が潰れて都落ちして来たってわけじゃねぇだろうなぁ」

 そうケラケラと笑い出す北原に、心の中で「その通りだよ。しかも保釈中だよ」と呟く松沢は、この男にソレがバレたら、たちまち噂となり、川俣軍司以下の扱いを受けかねないと思い、「いやね、新店オープンに向けてリサーチしてたんだよ」と咄嗟に嘘を付いた。

「へぇ~、じゃあいよいよこの町にも『勝手場』が進出して来るんだな。いいねぇ~、まさに『故郷に錦を飾る』そのものじゃねぇか」

 そう呟く北原は蟻が蠢く地面にタバコをポトッと落とすと、それをサンダルで踏み消しながら、「死んだおやっさんも、さぞかしあの世で鼻が高い事だろうよ」とポツリと呟いた。

 あれだけ親父の巾着袋を馬鹿にしておきながらよくそんな事を言えたもんだ、と、松沢は胸糞悪くなった。おまえのような甲斐性なしは、この腐った町で死ぬまで他人の髪の毛を切ってればいいんだよ、と、心の中で吐き捨ててやった。
 そんな松沢の心の声が伝わったのか、突然北原が「羨ましいよなぁ」と淋しそうに空を見上げながら呟いた。

「俺なんかさ、このままこうやって歳とって死んで行くんだぜ……やっぱ俺も若いうちにこの町を出るべきだったんだよな……ホント、成功したお前が羨ましいよ」

 そう淋しそうに呟く北原は、ベンチに腰掛けたまま両手両脚を伸ばし、「むむむむむむっ」と唸りながら大きな背伸びをした。それが合図であるかのように、路地を歩く一人の老人が床屋のドアを開け、ヨタヨタと店内に入って行った。
 ゆっくりと閉まる床屋のドアを見つめながら「毎日毎日あんな老人ばっかのヨレヨレ髪を切ってんだぜ。本当,ヤんなっちゃうよ」と北原が笑った。
 松沢は、おもいきり皮肉を込めて「諦めちゃダメだよ。まだまだこれからだよ。男は夢を持って生きなきゃ」と、唇の端を歪めながら笑ってやった。
 それが、夢もチャンスも何も無いこの町の住人に対する、最大の皮肉だという事に気付いていない北原は、ゆっくりとベンチを立ち上がりながら、「夢かぁ……」と感慨深く呟いた。

「この町で夢を見るなら、やっぱ『大黒乃湯埋蔵金伝説』しかねぇよなぁ……」

 北原はそう呟くと、ニヤリと微笑みながら松沢に振り向いた。そして、「まぁ、おまえも色々大変だろうけど、頑張れよ」と右手を上げながら、馬鹿みたいにクルクルと回ってばかりいる三色のポールサインに向かって歩き出した。
 そんな北原の顔は、目的も無く路地裏をうろついている野良犬のような顔だと、ふと思った。

 公園を出た松沢は、そのまま長屋に向かって歩き出した。
 道路にまではみ出している民家の盆栽をひとつひとつ眺めながらとぼとぼと歩いた。北原の侘しい背中が頭から離れなかった。きっと今の自分の背中は、北原の背中よりも悲惨だろうと思うと、再び言い知れぬ脱力感に襲われた。

 それにしても、未だに『大黒乃湯埋蔵金伝説』を口走るとは、余程に北原は暇なんだろうと、野良猫に噛み千切られた盆栽の枝を見ながら思った。
 この町の住人というのは、昔から、何かと言うと『大黒乃湯埋蔵金伝説』を口に出したがる癖があった。
 確かに、古くからこの町で言い伝えられている『大黒乃湯埋蔵金伝説』は、百歩譲って本当なのかも知れないが、しかし、例えそれが本当だったとしても、そもそもその埋蔵金を探し出そうとしなければ、それが手に入るわけがなかった。それは、宝くじを買わずして一等の三億円の使い道を考えているようなものであり、実に愚かな夢なのだ。
 なのに、この町の住人と言えば、二言目には『大黒乃湯埋蔵金伝説』を語りたがる。それを探そうとさえしないのに、もし埋蔵金を見つけたらと、真剣にその金の使い道を悩むのだ。

(だからこの町はいつまで経っても変わらないんだよ……)

 松沢はそう呟きながら、今でも『大黒乃湯埋蔵金伝説』を本気で夢見ているこの町の住人達を哀れに思った。そして、長屋へと続く路地にある、黒ずんだコンクリート壁にスプレーで殴り書きされた『極悪』の文字を懐かしく見つめながら、あんな子供騙しな伝説を未だに本気で信じきっているこの町の住人が、少し羨ましくも思ったのだった。

(つづく)

《←目次に戻る》《3話へ続く→》



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