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金魚10─ 笑う金魚 ─

2012/02/18 Sat 14:20

1010タイトル


 押し入れの中に置かれていた朱色の箪笥の中には、『身売証文』と書かれた紙が大量に押し込まれていた。それを見つめながら、これだけの女郎が借金を返さないままここから逃げ出したのかと思うと、老人ホームのベッドの下で脅えるように踞っていた女郎達の証文もきっとこの中に混ざっているのだろうと思った。
 この大量の証文の中からお婆ぁちゃんの証文を探している時間はないと思った。しかも、その大正時代に書かれた古い証文は薄汚れて読みにくく、そこに書かれた漢字も何が何だかわからない難しい文字ばかりなのだ。

 全部盗もうと思った。それを全部盗んだ事で、新たな祟りがあるかも知れないという恐怖はあったが、しかし今は、これをひとつひとつ調べている時間はないのだ。
 すかさず箪笥の引き出しの中から証文の塊を鷲掴みした。バサッと取り出すと、引き出しに溜っていた大量の埃が舞い、それと同時に、隣りの押入れから「ぴた、ぴた、ぴた」っという、何やら水濡れた音が響いて来た。
 分厚い証文の塊を胸に抱き、朱色の箪笥が入っていた押入れの襖を慌てて閉めると、恐る恐るもう片方の襖に手を掛けた。

(やめたほうがいいよ、開けないほうがいいよ)

 もう一人の自分が悲痛に叫んでいた。が、しかし、智子の体はまるで何かに取り憑かれたかのように、ぶるぶると震える手で襖をゆっくりと開いてしまった。
 襖を開けた瞬間、嫌な汗が全身の毛穴から噴き出した。
 異様な生臭さと不気味な湿気。そこには、水の張られた巨大な桶がポツンと置かれ、その桶の中では、数えきれない程の無数の金魚が狂ったように泳ぎ回っていた。

樽金魚

 金魚のその数も不気味だったが、その金魚が一斉に狂喜乱舞する姿も猟奇的だった。あまりの激しさに何匹かの金魚は桶から飛び出し、畳の上をぴたぴたとのたうち回り始めた。

「うっ……」

 そんな金魚の丸い目を見て息を詰まらせた智子は、そのままゆっくりと、ささくれだらけの古畳をズリズリと後退りした。
 すると突然、そんな智子の背後に唯ならぬ気配が襲い掛かって来たのだった。

「あんた、ほんまに殺されたいんか……」

 その甲高い声に「はっ!」と振り向くと、大きく開いたドアの前に銭湯の風呂桶を抱えた老婆が立ち塞がりながら、凄まじい形相で智子を睨んでいた。

「うわあっ!」

 飛び上がって一歩下がると、「くちゅ」という気味の悪い音と共に、何とも言えない感触が智子の足に伝わった。
 智子のサンダルの下で金魚の尾びれがピタピタと跳ね、それは次第に力を無くし、畳にペタリと張り付いた。

「可哀想に……梅子が逝きよったわ……」

 吉村のお婆ぁさんは、智子の足下を見つめながらそう呟くと、智子に向かって細い腕をスッと向けた。

「それ返しぃ。あんた、そんな事してるとほんまに酷い目に遭うでぇ」

 そう言いながらお婆ぁさんは短い足でズリズリと智子に近寄って来た。智子は奥歯をガタガタと鳴らしながら一歩下がる。そんな智子の足下には、小豆色の内臓を飛び出した金魚が無残な姿で潰れていた。

「金魚いう生きもんはなぁ、踊ってナンボの世界で生きとんのや……金魚鉢の中で優雅に踊るのを人様に見て貰うのがこいつらの宿命なんや……踊らんようになった金魚は金魚やない。ただの小魚や」

 そう言いながらお婆ぁさんは畳で潰れた金魚を摘まみ上げた。ミミズのような内臓がお婆ぁさんの指でブラブラと揺れている。

「見てみぃ。可哀想に。あんなに綺麗やった梅子が、ただの小魚になってしもうた……」

 そう呟きながら、お婆ぁさんは潰れた金魚の死骸を、まるでうどんを啜るかのようにペロリと口の中に入れた。お婆ぁさんの唇の端から黄色い汁が「じゅるっ」と垂れ、ウロコを奥歯で噛み砕く「ぺき、ぺき」という不気味な音が微かに聞こえた。

 ふと気付くと、そんなお婆ぁさんの背後で、巨大な熊のような男がドアからヌッと顔を出していた。
 例のホームレスだった。
 智子を見つめてはニヤニヤと笑うホームレスのその目は、あきらかに智子を視姦していた。

ホームレス

 お婆ぁさんの猟奇的な行動と、その背後に従える熊のような男の危険な迫力が、智子の思考回路を完全に破壊した。
 あまりの恐怖からか、ただただ体がだるく、突然凄まじい睡魔に襲われた。いつもの瞬きよりも、二、三秒は目を閉じている時間が長い。
 お婆ぁさんは、そんな無気力感に包まれた智子に寄り添った。
 そして呆然と立ちすくむ智子の髪を優しく撫でながら「金魚は哀れな魚やなぁ……」と囁くと、智子の手からその証文の束をそっと抜き取った。
 証文を取り戻したお婆ぁさんは、音もなく卓袱台に腰を下ろすと、古い和紙の音をペシャペシャと鳴らしながら証文を数え始めた。
 そして煙草入れからキセルを取り出すと、「和男。小菊を踊らせたりぃや……」と呟いた。
 和男と呼ばれたホームレスは、不敵にニヤリと笑いながら、紫色の舌で下唇を舐めた。
 丸太ん棒のような太い手で、魂の抜け殻のような智子の体を乱暴に引き寄せると、まるでマネキン人形を運ぶかのように智子の体を引きずり始めた。力の失せた智子の両脚が古畳に擦れる。
 卓袱台で証文を数えるお婆ぁさんの前を横切り、廊下に運び出されようとした時、「和男。まだ殺いたらあかんで」と、お婆ぁさんがポツリと呟いたのだった。

 智子は隣の部屋に連れ込まれた。凄まじいゴミの量だった。部屋の至る所に黒いゴミ袋が転がっていた。
 テレビに映る『大岡越前』も中盤に差し掛かっていた。そんなテレビの前に力の抜けた体を投げ捨てられた。ドスンっと部屋が揺れた瞬間、そこらじゅうに転がっていた黒いゴミ袋が一斉に「わっ」と動いた。よく見ると、それは黒いゴミ袋ではなく生ゴミに集る大量の蝿の塊だった。
 狭い部屋の中を大量の蝿が飛び回っていた。そんな飛び交う蝿に包まれながら男は服を脱ぎ始めた。五月蝿く飛び回る蝿の大軍の中、ピクピクと痙攣する陰茎のシルエットが浮かび上がった。
 その獰猛な肉棒を目にした時から、無気力だった智子の心に恐怖がジワジワと甦って来た。あんなモノを入れられたら裂けてしまう、と思うリアルな感情が激しい恐怖を呼び戻したのだ。

「自分で脱ぐか、それとも俺が脱がせるか」

 男は、獲物を狙う前の爬虫類のように眼球をギロギロさせながらそう呟いた。
 そんな男の全身は黒毛和牛のような短い毛で覆われていた。口調はシングルレコードを33回転させたようにノロく、乳飲み子のように大量の唾液を口内でネチャネチャさせていた。その口調や仕草からして、男はあきらかに知能が低いと思った。そしてその性格もあきらかに異常者だと思った。
 男は、熱り立つ肉棒を上下にしごきながら、意味もなく「あはははは」と大声で笑っては目玉をギョロギョロさせた。
 そんな男の大声に反応した蝿が、再びワッと舞い上がった。その時、智子の目に異様な物体が飛び込んで来た。大量の蝿が黒山になって集っていたのは、獣らしき物の死骸だった。
 その死骸から漂うチーズのような異臭を吸い込んだ瞬間、再び智子の思考回路が狂い始めた。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」と慌てふためきながら、ジリジリと近寄って来る男に両脚をバタバタとさせる。その振動で、再び蝿は飛び立ち、天井を真っ黒な一軍が覆い尽くした。

 必死になって辺りをキョロキョロと見回す。何か武器になるような物はないかと探すが、しかし、そこに散らばるのはほとんどが生ゴミで、あるとしてもそれは自転車の車輪やクッションが剥がれた事務椅子といった粗大ゴミばかりだった。

「自分で脱ぐか、それとも俺が脱がせるか」

 男は再び同じ言葉を繰り返すと、前屈みになりながら床の智子の顔を覗き込んだ。
 下水道のような口臭が顔を包み込み、智子は慌てて顔を背けた。そんな智子の目に、押入れの前に置いてある青いポリタンクが飛び込んで来た。

 智子はポケットの中の100円ライターを思い出した。それは証文を焼くために用意していたライターだった。

「小菊ぅ……」

 野球グローブのような大きな手が、智子の髪を鷲掴みにした。
 男は智子の髪を引っ張りながら、破裂せんばかりの陰茎を智子の顔に突き付けて来た。紫色の先端から、得体の知れない黄色い汁がドロドロと溢れ、それは獣らしき死骸と同じ異臭を放っていた。

「しゃぶれ……」

 智子は男の目をジッと見つめた。ここで逆らえば確実に殺されると思った。
 男の尻にゆっくりと両手を回した。男の腰がピクンっと跳ねる。ゴワゴワの尻毛を掌で撫でながら、智子は男の目を見つめたまま静かに唇を開いた。
 男はニヤッと笑いながら腰を突き出した。が、次の瞬間、突然男の体はフィギュアスケートの半回転ジャンプのように宙を舞った。

「あぎゃぁぁぁぁぁぁ!」

 ゴミにまみれながらのたうち回る男。そんな男に向かって、唾を吐きかけるようにして、何かを「プッ!」と吐き出した。
 もがき苦しむ男の足下に、智子の口内から飛び出した肉の塊がコロコロと転がった。それは噛み千切られた紫色の先端だった。
 智子は口内に溜った唾液と赤サビ臭い血をペッペッと吐きながら、押入れに突進した。誰彼なく心の中で(お願いします!)と叫びながら青いポリタンクを持ち上げた。細い両腕にズッシリとした重さが伝わった瞬間、誰彼なく(ありがとう!)と礼を言った。

 男は血まみれの股間を押さえたまま、ピクピクと痙攣しながらゴロゴロと転がっていた。震える手でポリタンクの蓋を開け、ポリタンクごと男に投げつけた。
 ポリタンクの口からピシャっと透明の液体が飛び出し、男の太ももを濡らした。
 倒れたポリタンクからは、透明の液体がトクトクトクっと音を立てながら畳に染み込んでいった。狭い部屋には、ガソリンスタンドと同じ匂いがムンムンと溢れ出した。
 智子は、床を転げ回る男を飛び越えると、そのポリタンクを廊下に引きずり出した。ポリタンクの穴に、棒状に丸めた新聞紙を突っ込み、液体がたっぷり染み込んだその先にライターの火を近づけた。
 まるでミスターマリックのマジックのように、一瞬にして火が付いた。それを男に向けて投げつけると、『ボッ!』という小さな爆発音が響き、それと同時に男の「ぎゃゃゃゃゃゃゃゃ!」という叫び声が廊下に響いた。
 智子は急いでポリタンクを隣の部屋まで引きずった。激しく揺れるポリタンクの口からタポタポとガソリンが零れ、薄暗い廊下にメラメラと輝く道しるべを作ったのだった。

 吉村のお婆ぁさんの部屋のドアを開くと、男の悲鳴に驚いたのか、お婆ぁさんは呆然としながらドアの前に立ちすくんでいた。

「お婆ぁさんお願い! その紙を渡して!」

 智子はいつ男が襲って来るかと何度も後ろを振り返りながら手を差し出した。
 智子を睨むお婆ぁさんの左頬が、ヒクヒクと痙攣し始めた。それは、犬が牙を剥き出して唸っているような、そんな表情だった。

「小菊……」

 そう唸るお婆ぁさんの髪が一瞬にして逆立った。黒一色の目がキツネのように吊り上がり、口は狼のように裂け、そこから真っ赤な舌をダラリと垂らした。
 それはまさに化け物だった。あきらかにこの世のものではない獰猛な生き物だった。
 お婆ぁさんは智子をギッと睨みながら「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!」と気を吐いて威嚇すると、今にも襲い掛からんばかりの気配を見せた。
 いきなり「ドドドッ!」という鈍い音が廊下に響いた。慌てて振り返ると、真っ黒焦げになった男が廊下を激しくのたうち回りながら智子に向かって走って来た。
 男のその形相は凄まじかった。全身の肉が真っ赤に焼け爛れ、右の眼球は飛び出したままブラブラとぶら下がっていた。
 おもわず智子は「ギャャャャャャャャ!」と悲鳴を上げ、その場にへたり込んでしまった。腰が抜けてしまったかのように力が入らず、踏ん張る両脚も全く言う事を聞いてくれなかった。
 男はそんな智子の前まで来ると、焦げた全身をブスブスといわせたまま部屋のドアにしがみついた。

「お母ぁちゃん!」

 男はそう叫びながら部屋に飛び込んだ。そんな男の太い足が青いポリタンクを蹴飛ばし、ポリタンクは玄関にバタンっと倒れた。
 部屋に飛び込んできた黒焦げの男を見るなり、お婆ぁさんは「ひっ!」と背筋を伸ばしながら絶句した。そして、焼け爛れた男の体に震える手をかざしながら、全身の力が抜けてしまった表情で「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」と嘆きの悲鳴をあげた。

「お母ぁちゃん! 熱いわ!」

 男が泣きながらそう叫ぶと、お婆ぁさんは「あぁっ! あぁっ! あぁっ! あぁっ!」と狂ったように足踏みをしながら押入れの襖を開けた。そして押し入れの中に置いてあった大きな桶を必死に引きずり出そうとした。
 桶の中で、数百匹の金魚が一斉に暴れ出した。お婆ぁさんはそんな金魚達の水飛沫を受けながら、桶を押し入れの中から引きずり出した。
 しかしその頃には、既に男は白目を剥いてしまっていた。立ったまま膝をガクガクと震わせ、口からは白い泡のような物をブクブクと噴き出していた。
 男はそのままゆっくりと倒れた。押入れから半分引き出されたままの桶の上に激しく倒れ込み、金魚が暴れる桶の中で黒焦げの顔をブスブスと音立てた。
「あぁぁぁぁぁぁぁ……」とお婆ぁさんが両手で頭を抱えながら泣き出した。
 そんなお婆ぁさんの泣き声に、まるで喜んでいるかのように金魚達は乱れ狂い、水面に浮かぶ男の顔に一斉に群がった。
 ザブザブと水飛沫をあげながら、男の顔を赤いクチバシで突きまくる金魚。それはまるでアマゾンの泥川で水牛を襲うピラニアのように激しく、そして残酷だった。

「喰うな! 喰うたらあかん!」

 お婆ぁさんは怒り狂いながら、男の顔に群がる金魚を一匹一匹鷲掴みにした。握り潰し、壁に叩き付け、そして奥歯でガリッと噛み殺したりした。
 金魚の血で濁る水の中で男の焼け爛れた顔が揺らめく。赤く爛れた男のその顔は、まるで金魚のウロコのように赤く光り輝いていたのだった。

 そんな光景を目の当りにした智子は、金縛りに遭ったかのように絶句していたが、しかし、廊下から聞こえて来る不穏な音に慌てて我に返った。
 隣の部屋のドアからは、まるで部屋の中から火炎放射器を噴射しているかのように、真っ赤な炎が轟々と轟いていた。廊下の天井を真っ黒な煙がみるみると覆い、猛烈な熱風が智子の髪を靡かせた。
 焦った智子は、全身をガクガクと震わせながら廊下の壁に手を付き、必死に立ち上がった。
 立ち上がって後を振り向くと、隣の部屋から一本線に伸びていたガソリンの雫に炎が飛び移るのが見えた。
 長い廊下を一本の炎がジワジワと迫って来る。その雫の先には、玄関にひっくり返ったままガソリンを垂らしている青いポリタンクがある。それはまるで、点火されたダイナマイトの導火線のようだった。

(爆発する!)

 焦って走り出そうとする智子は部屋に向かって振り向いた。
 動かない男の背中に張り付いたまま泣き叫ぶ老婆。その周囲には握り潰された金魚の死骸が無残に転がり、濡れた畳の上には、何百枚もの『身売証文』が乱雑に散らばっている。『身売証文』の上を、金魚達はまるで喜んでいるかのようにピタピタと飛び跳ね、華麗に踊り狂っていた。
 そんな部屋の格子窓から、赤い長襦袢を着た女郎達が白塗りの顔をズラリと並べては、部屋の中を覗き込んでいるのが見えた。
 女郎達は、能面のような無表情な顔つきで、身動きひとつしないままジッとお婆ぁさんを見つめていた。
 そんな女たちの中に、一人だけ智子を見つめている顔があった。白塗りの首には大きなホクロがあり、その顔はどことなく自分の幼い頃に似ていた。

「小菊……」

 愕然としながら智子がそう呟くと、小菊は真っ赤な口紅を卑猥に歪ませながらニヤリと笑った。その瞬間、轟音と共に真っ赤な炎が部屋を包み込み、全てを一瞬にして飲み込んでしまったのだった。

(つづく)

女郎集団

最終話へ続く→

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