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 郵便局を通り過ぎ、潰れた帽子屋さんの角を曲がると、昭和の風景をそのまま残したような、薄汚れた一本道に出た。
 その奥の突き当りには『丸栄商店街』と書かれた古びたアーケードがポッカリと口を空けていた。
 アーケードに人影はほとんどなく、商店街の入口にある文具店のオヤジらしき人物が、そこら一帯がびしゃびしゃになるほどに水を撒きまくっていた。
 そんな一本道を、再び智子は歩いていた。
 もう二度とこの町にもこの場所にも来ないと誓ったはずなのに、しかし、来ずにはいられなかった。

路地裏

 老人ホームでお婆ぁちゃんと会ってから一週間が過ぎていた。
 宛もなく東京に出た智子だったが、安ホテルの一室に一人籠っているのが無性に恐ろしく、繁華街の素泊まりできるネットカフェを見つけては、そこでひっそりと生活していた。
 しかし、いくら賑やかな街で気を紛らわせていても、智子の脳裏から白塗りの女たちの顔が消える事は無かった。
『智ちゃん……堪忍な……』というお婆ぁちゃんの声も、『いつまでも怨念地獄は続くぞ……』という老婆の声も、ひとときも智子の頭から離れる事は無かった。

(あの証文さえ処分してしまえば……)

 智子がそう思い始めたのは、智子の前にお婆ぁちゃんが現れるようになったからだった。
 ネットカフェの個室にいると、背後に赤い長襦袢を着た白塗りのお婆ぁちゃんが立っている事が多々あった。PCの画面に激しいノイズと共にお婆ぁちゃんの顔が映し出されたり、又は、寝ている時にふと視線を感じて目を開けると、天井の換気扇の網の目から智子をジッと見つめている事もあった。
 怖くなって外に飛び出せば、繁華街のビルの屋上で赤い長襦袢を風に靡かせながら智子を見つめているお婆ぁちゃんがいた。
 人混みの中で一人ポツンと立ちすくみながら智子を見つめているお婆ぁちゃんや、車が激しく行き交う渋谷駅の交差点の真ん中に立ちながら、横断歩道で信号待ちをしている智子を淋しそうに見つめるお婆ぁちゃんも現れた。

 この異様な精神状態から一刻も早く解放されたいと思った智子は、あの証文さえ処分してしまえば、と思い始めた。
 あの証文さえ処分すれば、今のこの地獄から脱出できると智子は本気でそう思い始めたのだ。
 それに、あの老人ホームにいた老婆の言葉も心に引っ掛かっていた。

『……あんたの娘もあんたの孫も、いつまでも怨念地獄は続くぞ……』

 ありえない話しじゃないと思った。
 智子は、実際に女郎の化け物達をこの目で見ており、あのような執念深い化け物なら、自分の子供や孫までも不幸にしかねないと思った。

「どうして私がこんな目に遭わされなくちゃならないのよ!」

 センター街の雑踏の中、金券ショップの前で立ちすくんでいるお婆ぁちゃんを睨みながらヒステリックにそう叫んだ。隣りを歩いていたカップルが、そんな智子をギョッと見ながらそそくさと足を速めて行く。
 智子は人の流れの中で足を止めた。次々と智子を追い抜いていく若いカップル達の背中を見つめながら、自分もこの人達と同じように幸せに暮らしたいと思うと、自然に涙が流れて来た。
 智子は渋谷駅に向かって反転した。すぐ真後ろには淋しそうなお婆ぁちゃんの顔があった。そんなお婆ぁちゃんの体をすり抜けて走り出した智子は、そのまま東京駅へ向かったのだった。



 関西特有の生温かい風を感じながら、埃っぽい一本道を三十メートルほど進むと、『ルパン』と書かれた紫色の看板が現れた。その店のすぐ横にある『末広横丁』に足を踏み入れると、昼の三時だと言うのに漆黒の闇が智子を包み込んだ。
 相変わらずドブ臭い路地だった。扉の閉まった『BARゆかり』の前には煙草の吸い殻が散乱し、昨夜も暇だった事を無言で物語っていた。
 一歩一歩アパートに近付くにつれ、異様な息苦しさを感じた。
 もしかしたら、二度と生きて帰れないかも知れない、と思うと、ハムスターの赤ちゃんのような指がサンダルの中でギュッと縮まった。
 屋根の鬼瓦に彫り込まれた『中村』という字が、太陽に照らされていた。
 屋根までは明るい太陽の光が注がれているが、しかし智子が立ちすくんでいる細い路地には日は当たらず、ジメジメとした湿気と暗い影が貪よりと広がっていた。
 恐る恐るアパートの入口の引き戸に手を伸ばす。
 この時間、吉村のお婆ぁさんがいない事はわかっていた。三時になると一番風呂を狙って近所の銭湯へ行くのを智子は知っていた。それは雨が降ろうが体調が悪かろうが必ず行なわれる、吉村のお婆ぁさんの毎日の日課だったのだ。
 古い引き戸がキュルキュルキュル……っと軋む音に寒気を覚えながらソッと中を覗いた。
 玄関に漂うひんやりとした冷たい空気が顔を撫で、同時に廃墟のような饐えた埃臭さが鼻孔をくすぐった。
 シーンっと静まり返った日陰の玄関。中庭の窓から差し込む弱々しい光りが、廊下に舞い飛ぶ埃をキラキラと輝かせていた。

下駄

 恐る恐る階段を見上げる。盲目の女郎の不気味な金魚の尾びれが智子の脳裏に浮かんだ。
 ゴクリと唾を飲みながら、今更引き返せないよ、と自分に言い聞かせ、玄関のコンクリート床に一歩足を踏込んだのだった。
 土足のまま廊下を進んだ。今にも底が抜けそうな廊下が、ミシッ、ミシッ、と軋み、幼い頃にテレビで見た『犬神家の一族』を不意に思い出させた。
 中庭と階段の間にある細い廊下を進んだ。真っ黒に汚れた年代物の柱と赤い公衆電話。その場所は、夢の中で遊郭の下男達に乱暴された忌々しい場所だった。
 そんな細い廊下を抜けると、古ぼけたドアがズラリと並ぶ廊下に出た。窓のない廊下は、昼間だと言うのに真っ暗で、天井からぶら下がる茶色い豆電球の明かりが、そこらじゅうに張り巡らされた蜘蛛の巣をぼんやりと照らしているだけだった。
 そんな廊下に、テレビの音が微かに洩れていた。
 見ると、吉村のお婆ぁさんの部屋の、その隣の部屋のドアのガラスにテレビの光りが反射していた。

(新しい住人が越して来たんだろうか?……)

 そう思ったとたん、なんだか急に気が楽になってきた。このアパートの中に自分以外の人間が他にもいると思っただけで、それまで重かった足が軽くなりスルスルと板床を滑り始めた。
 が、しかし、そんな心強さも、その部屋の前に来た瞬間、脆くも消え去った。
 半開きのドアから見えるその部屋の内部は、まさに『ゴミ屋敷』のように荒れ果て、その大量のゴミの中に埋もれる一人の男もまた、粗大ゴミのように汚れた男だったからだ。

荒れた部屋

 彼は明らかにホームレスだった。
 このホームレスは、以前から勝手にこのアパートの空き部屋に侵入しては、粗大ゴミを持ち込んだり一斗缶で焚き火をしたりしていた。挙げ句の果てには部屋の窓から下校途中の女児に向かって性器を露出し、その度に何度もパトカーが駆けつけていた程だった。
 町内会の人達はそんなホームレスがここに住み着くのを怖れ、地域の交番と連携してはあの手この手で撃退していたが、しかし、それも結局はイタチごっこだった。なぜなら、吉村のお婆ぁさんがそのホームレスに餌付けをしていたからだった。
 歳は四十代後半だろうか、ゴワゴワのヒゲを伸ばし、異様に体が大きく、まるで熊のような男だった。
 その男とは、以前、何度か廊下で擦れ違った事があった。一度も言葉を交わした事はなかったが、この男に干していた下着を盗まれた事や共同トイレを覗かれた事は何度もあった。
 息を殺しながら、そんな半開きのドアの前を横切った。
 男は智子に気付いていなかった。ゴミに埋もれながら畳にゴロリと横になり、昼間から缶ビールを飲んでは、どこからか拾って来たテレビを見ている。
 粗大ゴミに埋もれたテレビから『大岡越前』のオープニング曲が流れ出した。
 こんな男に見つかったら何をされるかわからない。そう思った智子は、その妙に薄ら淋しい『大岡越前』のオープニング曲を背景に、素早くその部屋から立ち去ったのだった。

 吉村のお婆ぁさんの部屋のドアには、黄金色に輝く大きな南京錠がぶら下がっていた。
 このドアに頑丈な南京錠がぶら下がっている事は、智子は最初から知っていた。そして、吉村のお婆ぁさんがこの南京錠の鍵を無くしてしまっていた事も智子は知っていた。
 そんな鍵の掛かっていない飾りだけの南京錠をソッと外し、恐る恐るドアノブを回した。
 今まで、吉村のお婆ぁさんの部屋には一度も入った事がなかった。あの悪夢ではこの部屋で小指を切り落されたが、しかし現実の世界では部屋の中を覗いた事すらなかった。
 ドアを引くと、油の切れたドアの蝶番が、ありきたりな効果音を不気味に鳴らした。
 全く生活臭のない部屋は倉庫のようだった。もう随分と昔から誰も住んでいなかったような、寒々とした雰囲気が漂っていた。
 薄暗い部屋に侵入すると、ボロ切れをぶら下げただけのような質素なカーテンを静かに開けた。午後の日差しが殺伐とした部屋に注ぎ込み、一気に部屋は明るくなった。
 そのカーテンを開いた瞬間、智子はしばらくの間、放心状態となった。なんと窓のすぐ目の前には、まるで墓石が部屋の中を覗いているかのようにズラリと並んでいたのだ。

女郎の墓

(よく……こんな部屋で生活を……)

 異様な寒気を背筋に感じながらそう思った。しかも、そこに並ぶ墓石は、まるで河原から拾って来た原石に名前を彫り込んだだけのようなみすぼらしい墓石ばかりで、実に薄気味が悪いのだった。

(狂ってる……)

 こんな朽ち果てた墓石に見られながら暮らす吉村のお婆ぁさんは、やはり普通じゃないと思った。

(あのお婆ぁさんは化け物だ、やっぱり吉村のお婆ぁさんは、夢に出て来たあの女将だったんだ)

 そう思った瞬間、一刻も早くここから脱出した方が良いという警告が智子の中で鳴り響いた。
 慌てて殺風景な部屋の中を見渡す。バシバシに擦り切れた古畳の上には、骨董品屋で売っていそうな卓袱台と小さな箪笥。そしてその箪笥の上に古いテレビがポツンと置いてあるだけで他には何も無く、夢で見た朱色の箪笥は見当たらなかった。
 とにかく小さな箪笥の引き出しをひとつひとつ開けた。
 隣の部屋から『大岡越前』の音が聞こえる中、引き出しを次々に開けては、その何も入っていない空っぽの引き出しに異様な恐怖を覚えた。
 服も下着もティッシュさえもない部屋。いったいこんな部屋で毎日どうやって暮らしているんだろう。そう思いながらふと卓袱台の下を覗き込むと、そこには、どこか見覚えのある木箱がポツンと置いてあった。
 何気にその木箱を手にした瞬間、智子の体は凍った。木箱の表面には『中村楼』と書かれた古い刻印が焼き付けられ、その箱の中には、夢で女将が吸っていたキセルや煙草やマッチが乱雑に入れられていたのだ。

(やっぱり吉村のお婆ぁさんは………)

 木箱を持つ手がブルブルと震えた時、不意に背後から「ぴちゃ」っと水の滴る音が聞こえた。
「ひっ!」と慌てて振り向くと、そこには押入れの黄ばんだ襖があった。
 そうだ、押し入れの中だ! と、智子の胸がカッと熱くなった。
 智子は、たった今その中から不気味な水の音が聞こえた事も忘れ、急いで押入れの襖に手を掛けたのだった。

(つづく)

10話へ続く→

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