金魚7─ 生き亡者 ─
2012/02/18 Sat 14:20
伯父さん夫婦は明らかに変わってしまっていた。
四年前は質素に暮らす事がこの家族のひとつの誇りだった。
夜になると居間以外の電気は全て消し、お風呂の残り湯は洗濯機に回していた。小さな箱庭では家庭菜園、スーパーの特売日には魚を大量買いして冷凍、そして何よりも驚いたのは、伯父さんが晩酌の時に飲んでいた酒は、みかんの皮で作ったみかん酒だったのだ。
そんな質素だった家庭が、今では高級車を乗り、ダイヤの指輪をはめ、次女のまゆみちゃんにはピアノを習わせている。そんな伯父さん夫婦は、生活が変わっただけでなく、なんとなく人柄も変わってしまったような気がしてならなかった。
この家族をこれほどまでに変えてしまったのが、お母さんの保険金だという事は、智子も薄々気付いていた。今になってその保険金が惜しいというわけではないが、しかし今の伯父さん夫婦を見ていると、あの貧しいながらも楽しそうに暮らしていた家族に、多額の保険金は『毒』だったのではないかと少し心が痛かった。
「で、これからどうするつもりなんだい」
伯父さんは煙草に火を付けながら聞いた。伯父さんが煙草を吸うのを見るのは初めてだった。
「このまま東京に出ようと思ってます」
「東京かぁ……大変だなぁ……」と、煙草の煙を吐きながら呟いた伯父さんは、ふと隣りの伯母さんに何か目配せをした。
それに小さく頷いた伯母さんが「そうそう……」と言いながら、趣味の悪いシャネルのバッグから白い封筒を取り出した。
「まぁ、俺達にはこのくらいの事しかできないけど、東京で困った事があったらいつでも連絡してくれよ……」
伯父さんはその白い封筒を智子の前にソッと差し出しながら、奇妙な笑顔でそう言った。
「い、いえ、そんなつもりで来たんじゃないですから」
智子は慌てて封筒を押し返す。その時、智子の指に封筒の厚みが伝わった。その薄さからして恐らく五万円くらいだろうと思った。
「いやいやいやいや取っといてくれよ、キミには叔父として何もしてやれなかったんだから」
「でも……」と智子が下唇を噛むと、伯母さんがその封筒をスっと摘み、ニヤニヤと笑いながら智子の膝の上に置いた。
「すみません……」と御辞儀をしながらそれを受け取ると、それを見計らっていたかのようにすぐさま伯父さんが身を乗り出した。
「ところでさぁ、ひとつお願いがあるんだけどね……」
伯父さんは尻をモゾモゾとさせながら姿勢を正すと、伯母さんがバッグの中から煙草を取り出し、慣れた手つきで吸い始めた。もちろん、伯母さんが煙草を吸うのを見るのも初めてだった。
「実は、キミのお婆ぁちゃんの事なんだけどね……」
「お婆ぁちゃん?……お婆ぁちゃんって、あの……」
「そう。あのお婆さん。年中行方不明で放浪癖のある山下清みたいなお婆ぁちゃん」
伯父さんがニヤッと笑うと、伯母さんも鼻から煙を出しながらフフフフフッと笑った。
「実はね、去年、隣りの町で発見されたんだよ」
伯父さんが二本目の煙草を口にくわえながらそう言うと、伯母さんが首を斜めに傾けながら「ホームレスしてたんだって」と、呆れたように呟いた。
幼い頃に会ったきり行方不明だったお婆ぁちゃんが生きていた。不意にお婆ぁちゃんとお母さんが重なった智子は激しく胸を締め付けられた。
「今、どこにいるんですか」
「うん。老人ホームなんだけどね」
伯父さんがそう頷くと、伯母さんが「会いたいでしょ」と目をキラキラさせながら微笑んだ。
「まぁ、お袋もかなりの高齢で完全にボケちゃってるから、智ちゃんを見てもわかんないかも知れないけどな」
「お婆ぁちゃんは、今いくつなんですか?」
「ふふふふ。驚くなよ。なんと今年で百才だ」
「百才?」と、智子は大きく目を見開いた。
「うん。それでね、智ちゃんに頼みって言うのはね、まぁ、要するにそのお婆ぁちゃんの身元引き受け人になって欲しいって事なんだよな……」
「……私が……ですか?」
「うん……俺はね、実のお袋の事だからあれなんだけど、こいつがね……」と、伯母さんをチラッと見ながら言った瞬間、伯母さんが「やっぱりさぁ」と身を乗り出しながらバトンタッチした。
「智子ちゃんのお父さんは長男だったわけじゃない。だからもし義兄さん達が生きてたら、本来なら智子ちゃんの家でお婆ぁちゃんを預かるのが筋でしょ。だからね、お婆ぁちゃんの面倒を見るのはやっぱり智子ちゃんの役目だと思うのよね」
智子は複雑な表情を浮かべながら「でも、私、まだ住む所もないし……」と言いかけると、すかさず二人が同時に笑い出し、今度は伯父さんにバトンタッチされた。
「いやいや、何も婆さんを東京に連れてってくれなんて言ってるんじゃないよ、婆さんはこのままこの町の老人ホームに置いてけばいいよ。面倒くらいは俺達が見るからさ」
伯父さんはいかにも温そうなグラスの水を慌ててクイッと飲み干すと言葉を続けた。
「要するに形だよ形。形式的に身元引き受け人を智子ちゃんの名前にしておこうって事だよ」
伯父さんはそう笑い、伯母さんは神経質そうに頷いた。
智子は何が何だかわからないうちに返事をしていた。なにやら、返事をしなくてはいけない雰囲気が漂っていたからだ。
何も理解できないまま智子は老人ホームへと連れて行かれた。
伯父さん達は智子を老人ホームの受付まで案内すると、キツネのような目をした中年の看護士さんに「この人だから」と智子を紹介した。
看護士さんは中年女独有のヒステリックな表情で、黙ってままカウンターの裏を漁り始めた。
叔父さんは、何故か妙に焦りながら「じゃあよろしくね」と智子に微笑むと、そのまま後も振り向かないで玄関を出て行ってしまったのだった。
伯父さんの高級車が老人ホームの前の交差点でウィンカーを出していた。助手席から伯母さんがバイバイと智子に手を振っている。
遠離っていく高級車のテールランプをボンヤリ見ていると、看護士さんが「それじゃあここにお名前を記入して下さい」と不機嫌そうに言った。
その書類には、『身元引き受け人』という欄と、『お支払い方法』という欄があった。智子はボールペンを摘みながら、「このお支払いっていうのは……」と恐る恐る看護士に聞いた。
「毎月の入院費を銀行振込にするか受付支払いにするかという事です」
看護士は溜め息混じり答えた。智子は嫌な予感がした。今更になって伯母さんが吸っていた煙草のニオイに吐き気を感じた。
「あのぅ……入院費っていくらなんでしょう……」
看護士はジロッと智子を見つめると、そのままカウンターの裏の引き出しを開けた。そしてファイルをパラパラと捲りながら不機嫌そうに言った。
「大槻さんはB棟ですから月々四万円です。でも、ここ半年以上滞納されてますけどね」
看護士があてつけがましくフーッと溜息を吐いた。そんな看護士の息には仄かな虫歯のニオイが感じられた。
その看護士に連れられてB棟へと向かった。
真っ白な廊下には、さすが老人ホームだけあって老人ばかりが溢れていた。
六二五号室とプレートが掲げられた病室に入ると、ズラリと並ぶベッドの中からオラウータンのような顔をした老人達が一斉に智子を見た。
まるで死臭のような異臭が智子の鼻を襲い、おもわず息を止める。
どの老人も、看護士が大袈裟に鳴らすスリッパの音に脅えているようだった。
前を歩く看護士が、窓際で足を止めて智子に振り向いた。
「大槻さんは重度のアルツハイマー型認知症ですから意識はありません。ほとんど会話は無理ですから」
看護士はそう言いながら乱暴にカーテンを開けた。
白いベッドの上に、まるで生後間もない小猿のような姿をしたお婆ぁちゃんがスヤスヤと寝息を立てていた。

(この人が私のお婆ぁちゃん……)
親兄弟のいない智子は、目の前で眠る唯一の肉親を見るなり胸が締め付けられる思いがした。
智子はお婆ぁちゃんの額にソッと手を置いた。優しい温もりが手に伝わってくる。
今までの辛い出来事も、苦しかった出来事も、そしてあの奇妙な出来事もさえ、この安らかな寝息を立てている唯一の肉親を見つめていると全て消去されていくようだった。
そんなお婆ぁちゃんの眉毛は、死んだお父さんによく似ていた。優しかったお父さんの顔を思い出し、次々と涙が溢れた。
「ちっ」
不意に聞こえた看護士の舌打ちに、智子は慌ててお婆ぁちゃんの額から手を引いた。
「ババァ……また糞ちびってるよ……」
その看護士らしからぬ言葉に智子は耳を疑った。
看護士をソッと見る。看護士はお婆ぁちゃんの浴衣の裾を乱暴に捲り上げながら、何故か怒り狂った鬼のような目をして智子を睨んでいた。
とたんに背筋に寒気が走った。看護士のその目は、あの夢の中に出て来た遊郭の女将の目にそっくりだったのだ。
乾いた喉にゴクリと唾を飲み込んだ。智子の膝がガクガクと震えた。
看護士は智子を睨んだままお婆ぁちゃんのオムツを乱暴に剥ぎ取ると、その黄色く汚れた部分を智子に開いて見せた。
「意識はないけど、体はいたって健康ですから」
そう呟く看護士は、脅える智子に向かってニヤッと微笑むと、ベッドの下にあるゴミ箱にオムツを投げ捨てた。
お婆ぁちゃんは赤ちゃんのように両脚を持ち上げられ、タオルで尻を拭かれた。しかしそのタオルは乾いているため、黄色い汚物は拭き取られる事なく、ただ尻の周囲に広がっていくばかりだった。
虐待とも取れるオムツ交換を継続しているせいか、お婆ぁちゃんの臀部はドス黒く爛れていた。
そのドス黒さは、臀部から脹ら脛へと続きそして足の裏まで伸びていた。
そんな智子の視線がお婆ぁちゃんの足の裏に達した時、一瞬にして智子の脳と体は凍り付いた。
天井に高く掲げられたお婆ぁちゃんの足は、両方とも小指だけが欠損していたのだった。
(つづく)
8話へ続く→
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四年前は質素に暮らす事がこの家族のひとつの誇りだった。
夜になると居間以外の電気は全て消し、お風呂の残り湯は洗濯機に回していた。小さな箱庭では家庭菜園、スーパーの特売日には魚を大量買いして冷凍、そして何よりも驚いたのは、伯父さんが晩酌の時に飲んでいた酒は、みかんの皮で作ったみかん酒だったのだ。
そんな質素だった家庭が、今では高級車を乗り、ダイヤの指輪をはめ、次女のまゆみちゃんにはピアノを習わせている。そんな伯父さん夫婦は、生活が変わっただけでなく、なんとなく人柄も変わってしまったような気がしてならなかった。
この家族をこれほどまでに変えてしまったのが、お母さんの保険金だという事は、智子も薄々気付いていた。今になってその保険金が惜しいというわけではないが、しかし今の伯父さん夫婦を見ていると、あの貧しいながらも楽しそうに暮らしていた家族に、多額の保険金は『毒』だったのではないかと少し心が痛かった。
「で、これからどうするつもりなんだい」
伯父さんは煙草に火を付けながら聞いた。伯父さんが煙草を吸うのを見るのは初めてだった。
「このまま東京に出ようと思ってます」
「東京かぁ……大変だなぁ……」と、煙草の煙を吐きながら呟いた伯父さんは、ふと隣りの伯母さんに何か目配せをした。
それに小さく頷いた伯母さんが「そうそう……」と言いながら、趣味の悪いシャネルのバッグから白い封筒を取り出した。
「まぁ、俺達にはこのくらいの事しかできないけど、東京で困った事があったらいつでも連絡してくれよ……」
伯父さんはその白い封筒を智子の前にソッと差し出しながら、奇妙な笑顔でそう言った。
「い、いえ、そんなつもりで来たんじゃないですから」
智子は慌てて封筒を押し返す。その時、智子の指に封筒の厚みが伝わった。その薄さからして恐らく五万円くらいだろうと思った。
「いやいやいやいや取っといてくれよ、キミには叔父として何もしてやれなかったんだから」
「でも……」と智子が下唇を噛むと、伯母さんがその封筒をスっと摘み、ニヤニヤと笑いながら智子の膝の上に置いた。
「すみません……」と御辞儀をしながらそれを受け取ると、それを見計らっていたかのようにすぐさま伯父さんが身を乗り出した。
「ところでさぁ、ひとつお願いがあるんだけどね……」
伯父さんは尻をモゾモゾとさせながら姿勢を正すと、伯母さんがバッグの中から煙草を取り出し、慣れた手つきで吸い始めた。もちろん、伯母さんが煙草を吸うのを見るのも初めてだった。
「実は、キミのお婆ぁちゃんの事なんだけどね……」
「お婆ぁちゃん?……お婆ぁちゃんって、あの……」
「そう。あのお婆さん。年中行方不明で放浪癖のある山下清みたいなお婆ぁちゃん」
伯父さんがニヤッと笑うと、伯母さんも鼻から煙を出しながらフフフフフッと笑った。
「実はね、去年、隣りの町で発見されたんだよ」
伯父さんが二本目の煙草を口にくわえながらそう言うと、伯母さんが首を斜めに傾けながら「ホームレスしてたんだって」と、呆れたように呟いた。
幼い頃に会ったきり行方不明だったお婆ぁちゃんが生きていた。不意にお婆ぁちゃんとお母さんが重なった智子は激しく胸を締め付けられた。
「今、どこにいるんですか」
「うん。老人ホームなんだけどね」
伯父さんがそう頷くと、伯母さんが「会いたいでしょ」と目をキラキラさせながら微笑んだ。
「まぁ、お袋もかなりの高齢で完全にボケちゃってるから、智ちゃんを見てもわかんないかも知れないけどな」
「お婆ぁちゃんは、今いくつなんですか?」
「ふふふふ。驚くなよ。なんと今年で百才だ」
「百才?」と、智子は大きく目を見開いた。
「うん。それでね、智ちゃんに頼みって言うのはね、まぁ、要するにそのお婆ぁちゃんの身元引き受け人になって欲しいって事なんだよな……」
「……私が……ですか?」
「うん……俺はね、実のお袋の事だからあれなんだけど、こいつがね……」と、伯母さんをチラッと見ながら言った瞬間、伯母さんが「やっぱりさぁ」と身を乗り出しながらバトンタッチした。
「智子ちゃんのお父さんは長男だったわけじゃない。だからもし義兄さん達が生きてたら、本来なら智子ちゃんの家でお婆ぁちゃんを預かるのが筋でしょ。だからね、お婆ぁちゃんの面倒を見るのはやっぱり智子ちゃんの役目だと思うのよね」
智子は複雑な表情を浮かべながら「でも、私、まだ住む所もないし……」と言いかけると、すかさず二人が同時に笑い出し、今度は伯父さんにバトンタッチされた。
「いやいや、何も婆さんを東京に連れてってくれなんて言ってるんじゃないよ、婆さんはこのままこの町の老人ホームに置いてけばいいよ。面倒くらいは俺達が見るからさ」
伯父さんはいかにも温そうなグラスの水を慌ててクイッと飲み干すと言葉を続けた。
「要するに形だよ形。形式的に身元引き受け人を智子ちゃんの名前にしておこうって事だよ」
伯父さんはそう笑い、伯母さんは神経質そうに頷いた。
智子は何が何だかわからないうちに返事をしていた。なにやら、返事をしなくてはいけない雰囲気が漂っていたからだ。
何も理解できないまま智子は老人ホームへと連れて行かれた。
伯父さん達は智子を老人ホームの受付まで案内すると、キツネのような目をした中年の看護士さんに「この人だから」と智子を紹介した。
看護士さんは中年女独有のヒステリックな表情で、黙ってままカウンターの裏を漁り始めた。
叔父さんは、何故か妙に焦りながら「じゃあよろしくね」と智子に微笑むと、そのまま後も振り向かないで玄関を出て行ってしまったのだった。
伯父さんの高級車が老人ホームの前の交差点でウィンカーを出していた。助手席から伯母さんがバイバイと智子に手を振っている。
遠離っていく高級車のテールランプをボンヤリ見ていると、看護士さんが「それじゃあここにお名前を記入して下さい」と不機嫌そうに言った。
その書類には、『身元引き受け人』という欄と、『お支払い方法』という欄があった。智子はボールペンを摘みながら、「このお支払いっていうのは……」と恐る恐る看護士に聞いた。
「毎月の入院費を銀行振込にするか受付支払いにするかという事です」
看護士は溜め息混じり答えた。智子は嫌な予感がした。今更になって伯母さんが吸っていた煙草のニオイに吐き気を感じた。
「あのぅ……入院費っていくらなんでしょう……」
看護士はジロッと智子を見つめると、そのままカウンターの裏の引き出しを開けた。そしてファイルをパラパラと捲りながら不機嫌そうに言った。
「大槻さんはB棟ですから月々四万円です。でも、ここ半年以上滞納されてますけどね」
看護士があてつけがましくフーッと溜息を吐いた。そんな看護士の息には仄かな虫歯のニオイが感じられた。
その看護士に連れられてB棟へと向かった。
真っ白な廊下には、さすが老人ホームだけあって老人ばかりが溢れていた。
六二五号室とプレートが掲げられた病室に入ると、ズラリと並ぶベッドの中からオラウータンのような顔をした老人達が一斉に智子を見た。
まるで死臭のような異臭が智子の鼻を襲い、おもわず息を止める。
どの老人も、看護士が大袈裟に鳴らすスリッパの音に脅えているようだった。
前を歩く看護士が、窓際で足を止めて智子に振り向いた。
「大槻さんは重度のアルツハイマー型認知症ですから意識はありません。ほとんど会話は無理ですから」
看護士はそう言いながら乱暴にカーテンを開けた。
白いベッドの上に、まるで生後間もない小猿のような姿をしたお婆ぁちゃんがスヤスヤと寝息を立てていた。

(この人が私のお婆ぁちゃん……)
親兄弟のいない智子は、目の前で眠る唯一の肉親を見るなり胸が締め付けられる思いがした。
智子はお婆ぁちゃんの額にソッと手を置いた。優しい温もりが手に伝わってくる。
今までの辛い出来事も、苦しかった出来事も、そしてあの奇妙な出来事もさえ、この安らかな寝息を立てている唯一の肉親を見つめていると全て消去されていくようだった。
そんなお婆ぁちゃんの眉毛は、死んだお父さんによく似ていた。優しかったお父さんの顔を思い出し、次々と涙が溢れた。
「ちっ」
不意に聞こえた看護士の舌打ちに、智子は慌ててお婆ぁちゃんの額から手を引いた。
「ババァ……また糞ちびってるよ……」
その看護士らしからぬ言葉に智子は耳を疑った。
看護士をソッと見る。看護士はお婆ぁちゃんの浴衣の裾を乱暴に捲り上げながら、何故か怒り狂った鬼のような目をして智子を睨んでいた。
とたんに背筋に寒気が走った。看護士のその目は、あの夢の中に出て来た遊郭の女将の目にそっくりだったのだ。
乾いた喉にゴクリと唾を飲み込んだ。智子の膝がガクガクと震えた。
看護士は智子を睨んだままお婆ぁちゃんのオムツを乱暴に剥ぎ取ると、その黄色く汚れた部分を智子に開いて見せた。
「意識はないけど、体はいたって健康ですから」
そう呟く看護士は、脅える智子に向かってニヤッと微笑むと、ベッドの下にあるゴミ箱にオムツを投げ捨てた。
お婆ぁちゃんは赤ちゃんのように両脚を持ち上げられ、タオルで尻を拭かれた。しかしそのタオルは乾いているため、黄色い汚物は拭き取られる事なく、ただ尻の周囲に広がっていくばかりだった。
虐待とも取れるオムツ交換を継続しているせいか、お婆ぁちゃんの臀部はドス黒く爛れていた。
そのドス黒さは、臀部から脹ら脛へと続きそして足の裏まで伸びていた。
そんな智子の視線がお婆ぁちゃんの足の裏に達した時、一瞬にして智子の脳と体は凍り付いた。
天井に高く掲げられたお婆ぁちゃんの足は、両方とも小指だけが欠損していたのだった。
(つづく)
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