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 遠くの方でカラスの鳴き声が聞こえた。それは、いつも夕方になると裏の墓場から聞こえて来る、二羽のカラスが戯れ合う鳴き声によく似ていた。
 朦朧とする意識の中、サウナのような熱気で息苦しくて堪らなく、唇を窄めながら必死に息をした。
 カラスの羽がバサバサバサと羽ばたく音が耳元に迫って来た。
 その音がやたらと現実味を帯びている事に気付き、「はっ」と目を開いた智子は、重く伸しかかっていた掛け布団を慌てて蹴飛ばしたのだった。

カラス

 いつもと同じ天井が目の前にボンヤリと浮かんでいた。
 電気は消えており、夕方の薄暗い影が天井に淋しく浮かんでいた。
 再び、カラスがバサバサバサっと羽を羽ばたかせる音が聞こえた。窓に目をやると、大きなカラスが赤サビだらけの手摺に止まり、布団の上で放心状態になっている智子を真っ赤な目玉で見つめていた。

(夢か………)

 信じられないくらいの汗だった。まるでぬるま湯を頭から打っ掛けられたかのようなそんな酷い汗だった。
 シーンと静まり返った部屋に智子の呼吸だけが響いていた。一刻も早く濡れたTシャツを着替えたかったが、しかし怖くて動けなかった。動いた瞬間、どこかに潜んでいる例の女が、再び「小菊ぅ」と呼ぶような気がして、瞬きする事さえも怖くてできなかったのだった。

 電気を点けるのも忘れて、慌てて荷物をまとめた。
 濡れたTシャツは最後に着替えればいいと思い、とにかくボストンバッグの中に物を詰め込みまくった。

(一刻も早くここから逃げ出さなければ……)

 携帯の充電器をボストンバッグの中に放りながら、足の指を見た。
 ちゃんと小指はあった。しかし、あの痛みはそこにしっかり残っていた。

 急いでボストンバッグのジッパーを閉めると、そのままの勢いでベタベタと身体に張り付くTシャツを脱いだ。
 まるで濡れた雑巾のように縮まったTシャツを畳の上にベチャっと投げ捨て、新しいTシャツを頭から被る。
 Tシャツから顔を出したその目の前に、金魚鉢の中で息を潜める金魚がいた。寝ているのか、金魚は身動きひとつせず、金魚鉢の底でジッとしていた。
 そんな金魚の小さな目が智子を見つめているような気がして、全身が総毛立った。ボストンバッグを掴んで立ち上がると、震える手で玄関のドアノブを掴んだ。
 恐る恐るドアを少しだけ開けると、いつものカビ臭い風がドアの隙間から侵入して来た。
 夢で見た気色の悪い廊下が甦って来た。
 下唇を噛みながらソッとドアを開けると、ヒビだらけの古い土壁が廃墟のような姿を曝け出していた。

   赤廊下2

 ミシミシと廊下を鳴らしながら赤い絨毯を進む。後を振り向けば誰かがいそうな気がして走り出したかったが、しかし走れば誰かが追い掛けて来そうな気がして走れなかった。
 共同便所の角を曲ると、真っ赤な絨毯が敷き詰められた長い廊下が、薄暗く続いていた。

(この廊下を過ぎれば階段だ。階段に出たらそのまま一気に走り出そう)

 そう思いながら薄暗い廊下を進んで行くと、廊下の奥で黒い人影がドタドタっとこちらに向かって走って来るのが見えた。
 智子の心臓がドクン!と激しく飛び跳ねた。

「ねぇ……ウチの草履知らへん?……」

 黒い人影はそう言いながらドタドタと智子に向かってきた。

「うわあぁ……」

 いきなり早足になった智子の口から情けない声が洩れた。

「ねぇ、ねぇ、ねぇ、ウチの草履はどこやのん……」

 そう唸りながら向かって来る女の顔が、天窓から差し込む夕日に照らされ、真っ赤に爛れた顔面と目玉がくり抜かれた二つの穴がボンヤリと浮かび上がった。

「うわああああああああああ!」

 智子は遂に叫び出した。あたふたになりながら階段に向かって走りだす。

「なんでウチの草履隠すんや!」

 女は狂ったように叫びながら、走り出す智子の背中に飛び掛かろうとした。
「きゃあぁぁぁ!」と叫ぶ智子は、迷う事無く階段に向かって飛び込んだ。智子の身体が宙を舞い、五段下にある中段の空間にドスンッ!とひっくり返った。

「なんでや!なんでウチの草履隠すんや! ウチもここから出たいねん!」

 頭上から女の叫び声が聞こえて来た。
 智子は必死になって立ち上がると、手摺に凭れ掛かりながらもよたよたと階段を下り始めた。

「ウチもここから出して! お願いや! ウチも一緒に連れてって!」

 一歩一歩階段を下りながら階段の上を見上げた。赤い着物を着た女が、長い黒髪を振り乱しながら、くり抜かれた目玉の穴からドロドロの赤い血の涙を流していた。

階段

 女は階段を下りられないのか、階段の上で悔しそうに壁をドンドンと叩きながら絶叫していた。
 玄関のドアへと必死に進みながら、智子はもう一度女に振り返った。階段の上に立つ女の下半身が不自然にもやもやと揺れていた。
 よく見ると、そんな女の下半身には足が無く、足の代わりに金魚の尾びれがゆらゆらと揺れていたのだった。



 アパートを飛び出した智子は、一度も後を振り向かないまま大通りまで全速力で駆け抜けた。
 そこでタクシーを拾った。タクシーに飛び込むなり「駅に行って下さい!」と叫ぶと、爪楊枝を銜えた運転手が驚いて振り向き、「何かあったんかいな、警察連絡したろか」と、智子のその慌てぶりに目を白黒させていた。

 駅に着くと、大勢の人混みが気分を落ち着かせてくれた。
 智子には行く宛など無かった。智子には家族も恋人も友達もいないのだ。
 しかし、一刻も早くこの町から出なければと気が焦った。早くどこか遠くに行かなければ、あの女に見つかってしまうという恐怖が智子を焦らせていたのだった。


 気が付くと地元の駅に降りていた。
 四年ぶりに見る地元の駅は、なにひとつ懐かしさを感じさせてはくれず、嫌な思い出ばかりを甦らせるばかりだった。

(どうしてこんな町に来てしまったんだろう……)

 ホームの上から錆びたレールを見つめていると、不意に懐かしいメロディーが冷えきった智子の体を優しく包み込んだ。
 そのメロディーは九時を知らせる鐘の音だった。この町に大きな工場を持つ大手時計会社が、町中にスピーカーを設置しては町民に九時を知らせてくれていたのだった。
 そんなメロディーを聴きながら改札口へ向かった。
 昔と全く変わらない小さな売店を見ながら階段を降りて行くと、今にも改札口の横から、「智ちゃんおかえり」とお母さんが顔を出すような気がしてならなかった。
 不意に涙が溢れて来た。忌々しい記憶ばかりが甦る町だったが、そのメロディーだけは妙に智子の心を落ち着かせてくれたのだった。

 駅前のビジネスホテルに部屋をとった智子は、洗濯糊がバリバリとする布団の中に潜りながら、これからどうしようかと考えていた。
 せっかく仕事も生活も馴れて来た町だったが、あの町にはもう二度と戻りたくないと思った。
 しかし、この町にいても住む家も無く仕事もない。それに、この町には自殺した両親の思い出ばかりが残っており、ここで暮らすにはあまりにも辛すぎた。

(明日の朝一番で東京へ行こう)

 タバコの脂で黄ばんだ壁のクロスを見つめながら唐突にそう思うと、なんだか急に気分が晴れて来た。
 東京へは中学の修学旅行で行った以来だった。原宿、浅草、東京タワー。そんな楽しい頃の思い出が甦った。まるで中学生に戻った時のようにワクワクしてしまい、同じクラスだった加藤君や、仲の良かった赤木さん、そして部活の先輩だった池本さんや担任の先生達の顔や声がリアルに甦って来た。
(あの頃は楽しかったなぁ……)
 そんな幸せな気分に浸りながら目を閉じていると、いつしか智子の全身の力は優しく抜けて行ったのだった。

 目を覚ますと昼の十一時だった。ついさっきホテルのフロントから『チェックアウトのお時間ですが』という電話があったような記憶は確かにあった。しかし、それが随分昔の出来事のように思えてしまうほど、智子は爆睡してしまっていたのだった。
 久しぶりにぐっすりと寝た頭に、熱いシャワーを浴びさせた。
 あのアパートに引っ越してからというもの、寝ていても寝ていないような気がしてならず、睡眠不足気味だったのだ。
 シャワーを浴びてサッパリすると、窓の外に映る懐かしい町は、燦々と降り注ぐ太陽の光で輝いていた。
 バスタオルを頭からかぶり、濡れた髪をゴシゴシとしていると、ふと、東京に行く前に両親の墓参りに行きたいと思った。
 が、しかし、智子は両親の墓がどこにあるのか知らなかった。

 両親の自殺の第一発見者だった智子は、あの時、天井からぶら下がる二人の姿に激しいショックを受け、そのまま貝の中に閉じ篭ってしまった。
 父方の伯父さんの家に連れて行かれた智子は、そこで二年間、監禁のような生活を余儀なくされた。それは両親に金を貸していた闇金融から身を隠す為だった。
 闇金融の取り立ては想像を絶するものだった。お母さんの生命保険の受け取り人になっていた智子を見つけ出そうと、取り立て屋は必死になっていたのだ。
 そのうち、叔父の家に智子が隠れているという情報をどこからか入手した取り立て屋は、毎晩のように叔父の家に怒鳴り込んで来た。
 それでも伯父さんは必死に智子を隠し通してくれた。
 しかし、その半年後、伯父さんの長女のあゆみちゃんが車に轢かれて死んだ。小学校へ当校中、いきなり一方通子を走って来た車にひき逃げされたのだった。
 それからの伯父さんは変わってしまった。毎晩浴びるように酒を飲み、荒れて荒れて荒れまくっていた。
 そんな伯父さんの家には、必ず夜中の二時になると電話が掛かって来た。その電話は『次女のまゆみちゃん、車に気を付けてね』とポツリと呟き、それだけ言ってプツッと切れてしまうものだった。
 智子は、これ以上伯父さんに迷惑は掛けられないと思い、『お母さんの保険金は伯父さん達に差し上げます』という書き置きを残し、そのまま黙って姿を消した。
 それから四年。智子は一度も伯父さんに連絡をしていなかった。

 窓の外に広がる懐かしい町並を見つめる智子は、携帯電話を握っていた。今まで何度も掛けようとして掛けれなかった伯父さんの電話番号が、そこに表示されていた。

 伯父さんは智子を歓迎してくれた。
 伯父さんの車で両親が眠る墓地に連れて行ってもらった。
 四年前、伯父さんは確か小さな軽自動車だった。しかし今は黒塗りの高級車に変わっていた。

 荒れ果てた墓を見るなり、伯母さんは少し焦りながら「あらあら先月来たばかりなのにもう汚れちゃってるわ」と笑い、慌てて墓石に水を掛け、その貯蓄された汚れを隠蔽した。
 しかし、毎日アパートの裏の墓石を眺めて暮らして来た智子には、このお墓が、二年、いや三年は放置されたままだとすぐにわかった。

「まゆみも会いたがってたんだけどね、ピアノのレッスンと重なっちゃってね……」

 ファミレスの窓際に座った伯父さんは、そう言いながらコーヒーをズルズルと啜った。その隣りに座る伯母さんは、おしぼりで指を必死に拭きながら「線香のニオイってなかなか取れないのよね……」と呟き、ダイヤの指輪をキラキラと輝かせていたのだった。

(つづく)

7話へ続く→

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