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 午前零時。工場を出ると、いつものコンビニに寄りいつものサンドイッチとポタージュスープを買った。コンビニの袋をパサパサと鳴らしながら、アパートまで徒歩三十分の道のりを一人ぶらぶらと歩く。
 三勤交代の中番。智子はこの時間の帰り道が結構気に入っていた。
 静まり返った夜道は、延々と鳴り止まない工場の騒音と紛らわしい人間関係からやっと解放されたという感じがして、心地良い安らぎを与えてくれるからだ。

一本道

 郵便局を通り過ぎ、潰れた帽子屋さんの角を曲がると、白い水銀灯に照らされた一本道に出た。
 その奥の突き当りには『丸栄商店街』と書かれた古びたアーケードがポッカリと口を空けていた。
 その一本道を三十メートルほど進むと、『ルパン』と書かれた紫色の看板が現れた。『ゲーム&スナック』と書かれたその店はいつも朝まで営業していた。
 そんな怪しい店のすぐ横に細い路地がある。路地の入口にある赤サビだらけのアーチには、剥げかけたペンキで『末広横丁』と書かれていた。
 智子のアパートはこの路地の奥の突き当りにあった。最初の頃はその暗い路地を通り抜けるのが怖く、わざわざ商店街のアーケードまで迂回してはその路地を回避していたのだが、しかし、この町に来て一ヶ月も過ぎると、そんな不気味さももうどうでもよくなってしまい、最近ではこの路地も普通に通り抜けられるようになっていた。
 路地の両サイドには、まるで映画のセットのような小さな飲み屋がズラリと並んでいた。しかしそのほとんどは営業しておらず、それらの店の入口には大きなベニヤ板が打ち付けられ、同時に不動産屋の社名が入った『管理地』という看板が掲げられていた。
 ドブ臭い路地を歩いていくと、どこかの店から吉幾三の『雪国』が聞こえて来た。この路地の店は真冬でも入口のドアを開けっぱなしにしている為、店内に流れる曲や煙草のニオイや女たちの笑い声がいつも路地に溢れているのだ。
『雪国』が聞こえて来たのは、『BARゆかり』という店だった。店の前で、疲れた顔をしたおばさんが煙草を吸っていた。ブヨブヨに太ったおばさんはシミだらけの二の腕を剥き出しながら、まるで腐乱死体のような目で智子を見つめていた。
 おばさんの前を通り過ぎようとすると、おばさんは煙を鼻から吐き出しながら「今日は遅いんやな」と声を掛けて来た。
 毎日この路地を通っているため、店前に立っているおばさんたちとはいつしか顔見知りになっていたのだ。
 しかし智子は無言で小さくお辞儀しながら足早に立ち去る。この路地の店が客にどんなサービスをしているのかを知っていた智子は、そこに立つ彼女達とはできるだけ馴れ合わないようにしたかったのだ。
 路地の端にポツンポツンと立っている彼女達と、できるだけ目を合わせないように素早く路地を通り抜ける。路地の出口にある『ワンカップ大関』の自販機の明かりが近付くにつれ、緊張で強張った肩の力がみるみると抜けていくのだった。

 自販機を左に曲ると再び暗い路地が現れた。そこには古い民家の格子窓がズラリと並び、まるで京都の裏路地に迷い込んだような景色だった。
 今までのドブ臭さから一転して埃臭い空気に包まれた。
 そこに並ぶ古い格子窓にも、やはり不動産屋の看板がぶら下がっており、中村荘以外の民家は全て『売家』になっていた。
 そんな中村荘の前に男がポツンと立っているのが見えた。男は煙草を吸っているらしく、煙草の赤い火が蛍のように浮かんでいた。

「よう……」

 男は智子を見つけるなり煙草を地面に落としながらそう笑った。
 男は第二工場の主任だった。今まで一度も口を聞いた事のない人だ。
 智子は歩調を弱めながら主任との距離を取った。そして、不意に足を止めながら、昨夜部屋に来たのが第二工場の工員だった事をふと思い出し、きっと昨夜の彼が主任に私の事を話したんだと思った。
 主任は智子が持っていたコンビニの袋を見つめながら、「そこのガストでも行こか。おごったるわ」と智子に歩み寄って来た。
「……いえ、結構です」と、智子が恐る恐る頭を振った瞬間、いきなり主任の手が智子の胸を鷲掴みにした。

「おまえは誰にでもヤらせるってホンマか?」

 主任は必死な形相でそう言うと、もう片方の手で智子の細い肩を拘束した。
「やめて下さい!」と、後退りしながら唸ると、主任は智子のスカートの中に手を入れながら「なんで町田は良くて俺はダメなんや」と荒い息で囁き、ストッキングのゴムの中に手を押し込んできた。

「いやっ!」

 主任の腕を掴み、それ以上主任の手が奥へ行かないようにと必死にもがきながら押さえていると、ふと、中村荘の玄関脇の小部屋に誰かがひっそりと座っている気配を感じた。
 主任の指から逃れようと腰をくねらせながら、そんな薄暗い格子窓の中に目を凝らした。するとそこには、顔面に真っ白な白粉を塗った女が、格子窓越しに智子をジッと見つめていた。

格子女郎

「ひっ!」

 驚いた智子はおもわず主任の腕を離してしまった。
 くすんだ赤い着物を着ていた女は、身動きひとつしていなかった。一瞬、蝋人形かと思ったが、しかし智子を見つめる女の眼球は小刻みに揺れている。
 智子は愕然とした。嫌な寒気が背筋に走った。
(この人は……誰なの……)と、背中をブルっと震わせると、いつしか主任の指は智子の陰部を弄っていた。

「濡れてるやないか……」

 主任はタバコ臭い息を右頬に吹き掛けながら、指を強引に押し込んできた。
 濡れてるわけが無かった。だから当然、主任の指は第二間接で止まったが、しかしそれでも強引に入れようと指を押し込んでくる為、いきなりペンチで抓られたような痛みが下腹部を襲った。
「痛い!」と、踞りながら主任の身体を押し退けた。主任の身体がフラッとよろめいた時、その背後の格子窓が再び智子の視野に飛び込んできた。
 小熊のような小さな体が月夜に照らされ、頭だけが銀色に輝いていた。泥人形のようなコーヒー色の顔に、黒目しかない小さな目がジッと智子を捕らえている。
「あっ」と思った瞬間、智子の身体は金縛りに遭ったかのように固まった。なんとそこには、先程まで座っていた白粉の女の姿は消え、代わりに吉村のお婆ぁさんが、なにやらブツブツと口の中で唱えながらポツンと座り、路地の智子をジッと見つめていたのだった。



 翌日、昼過ぎに目を覚ました。毛布に包まったまま枕元に手を伸ばすと、そこに置いてあったチョコボールを摘まみ上げ、寝転がったままカリカリと齧った。
 そんな枕元には、昨夜の主任の残り香が漂っていた。そのニオイに顔を顰めた智子は、枕元に山積みにされていた丸めたティッシュを、慌ててコンビニの袋の中に押し込んだ。
 パンパンに膨らんだコンビニの袋を、台所のポリバケツに押し込んだ。ポリバケツの中にはここ数日間の男達のニオイが充満していた。
 そのニオイがコンビニの『おでん』に似ているとふと思うと、不意に廊下から「お母さん、ウチの草履知らへん?」という若い女の声が聞こえて来た。
 初めて聞く声だった。誰かが引っ越して来たのだろうかと思いながらポリバケツの蓋を閉めると、ふと、もしかしたら昨夜あの格子部屋に座っていた女かも知れないと思い、慌てて玄関へと足を忍ばせた。
 ドアの隙間から、浴衣を着た若い女が赤絨毯の廊下をウロウロと歩き回っているのが見えた。俯いている為その顔は見えなかったが、しかし浴衣から見える肌はサイダー味のアイスキャンディーのように青白く、その身体は異様な程にガリガリに痩せていた。

(病気かしら……)

 そう思った瞬間、智子の耳元に、突然、「あいよ……」っという擦れた声が飛び込んで来た。
「えっ?」と顔を前に向けると、いつの間にかそこには、吉村のお婆ぁさんが無表情で立っていた。
 昨夜の光景が智子の脳裏に甦った。急に恐ろしくなった智子は、そのままドアを閉めてしまいたい心境に駆られた。

「これ、小菊の餌……」

 お婆ぁさんは、生肉を細かく刻んだような物が詰まった小さなビニール袋を智子に差し出した。
 智子はそれを素直に受け取りながら、あんな時間にあんな部屋で電気も点けずにいったい何をしていたのかと、お婆ぁさんに聞いてみたい衝動に駆られた。が、しかし、あの時智子は、薄暗い路地の隅で主任の男根を口に含まされた。きっとお婆ぁさんはそれを見ていたに違いない。そう思うと、とたんに智子は何も言えなくなってしまったのだった。
 しかし、何も話さないままこのまま別れると言うのもバツが悪かった。金魚の餌を手に「ありがとうございます……」と項垂れながら、何を話せばいいのかと必死に考えた。
 すると智子の頭に、聞こう聞こうと思いながらもいつも忘れてしまっていた家賃の支払いの件がふと浮かんだ。
 というのは、家賃の支払日がもう一週間も過ぎているにもかかわらず、不動産屋の親父は一向に家賃の振込先を教えてくれず、それに、いつ駅裏の不動産屋に出向いても店は閉まったままなのだ。
 だから丁度、吉村のお婆ぁさんにはどこに家賃を振り込めばいいのか聞こうと思っていた所だったのだ。

「あのぅ……ここの家賃の事なんですけど……」

 恐る恐る顔をあげると、いつしかお婆ぁさんは浴衣姿で廊下をウロウロしている女の方へと向かっていた。

「お母さん、ウチの草履知らへん?」

 浴衣を着た女が廊下を這いずり回りながらお婆ぁさんに聞いた。

白服

 お母さん?と智子が不思議そうに眉間にシワを寄せると、急にお婆ぁさんの足がピタリと止まった。

「ここの家賃なんか払わんでええよ……」

 お婆ぁさんは女を立たせながらポツリと呟いた。

「でも、不動産屋さんが……」

 お婆ぁさんは興奮する女の背中をポンポンと優しく叩き始めた。

「……水揚げ前の女郎を喰うなんて最低の女衒や……あんなもん、金魚の餌にしたったらええ……」

 お婆ぁさんは低い声でそう呟くと、浴衣の女を抱きしめたまま奥の部屋へとゆっくりと歩き出した。

「お母さん、ウチの草履は?」

 浴衣女は、まるで小さな子供がお母さんに抱っこされるような体勢で、お婆ぁさんの小さな肩に顔を埋めながら聞いた。

「あんたの草履なんてもう無い……」

「なんでや!」

 お婆ぁさんの肩に埋めていた顔をガバッと上げた。女のその顔はまるで熱湯を浴びせられた直後のように、真っ赤に腫れ上がってはボコボコとしていた。

「なんでウチの草履は無いんや!」

 叫ぶ女のその両目は完全に塞がっていた。潰れた目で左右をキョロキョロしながらお婆ぁさんの身体にしがみつく。

「……あんたが足抜けなんかするからや……」

 そう呟きながら女の背中を優しく擦るお婆ぁさんは、そのまま静かに奥の部屋へと消えて行ったのだった。

 智子はなにがなんだかわからず、呆然としていた。
 耳慣れない言葉と、両目が潰れた女。そして、家賃は払わなくていいと言われた事と、あのお婆ぁさんがお母さんと呼ばれていた事実。
 それらの事実が『謎』となり、智子の頭の中を駆け巡っては、どの謎から先に解いていけばいいのかとパニックに陥れる。
 そして、今になって浴衣女のあの赤く爛れた顔に恐怖を覚えた。
 気持ち悪い、と思いながら急いでドアを閉めた。そして慌てて鍵を掛けた。
 乱れた布団に潜り込む。薄暗い布団の中には、昨夜の主任のワキガのニオイがまだしっかりと残っていた。
 布団の中から枕元に手を伸ばし、手探りで携帯を見つけた。
 ワキガのニオイに包まれながら、携帯の『iモード』を開き、お婆ぁさんが口にした言葉を次々に検索してみた。

 女郎……遊郭で色を売る女。売春婦……。
 女衒……女を遊郭に売る仲介人。身売り人……。
 水揚げ……遊女が初めて客を取る事……。
 足抜け……女郎が遊郭から逃げる事……。

 そのひとつひとつを頭に叩き込みながら、もう一度、お婆ぁさんが言った言葉を思い出してみた。

『……水揚げ前の女郎を喰うなんて最低の女衒や……あんなもん、金魚の餌にしたったらええ……』

 ふと、女郎というのは自分を指して言ってる事だと思った。そして女衒というのが不動産屋の親父だという事もわかった。

(……という事は、私は水揚げ前の女郎で、客を取る前の私は、私をここに連れて来た女衒に犯された……。確かに私は、不動産屋の親父にこのアパートを紹介され、そしてその日の晩にここで犯された。だけど、でも、どうして私が女郎なの?……)

 そう考えていると、ふと、さっきお婆さんが浴衣女に言った、『足抜けなんかしたからだ』という言葉を思い出した。

(足抜け、つまりあの浴衣女はここから逃げたという事だ。という事は……ここは……このアパートは……遊郭という事なの?……)

 酷い冗談だ。そう笑おうとしたが、しかし、昨夜、格子の前で正座していた白粉女の顔がふと浮かび、智子の顔は笑えないままそのまま硬直する。
 格子の隙間からジッと見ていたあの眼球が脳裏に甦った瞬間、いきなり背筋に寒気が走り、全身がブルっと震えた。
 おもわず何かを握りしめた。見ると、左の手の平の中で、さっきお婆ぁさんがくれた『金魚の餌』がべちゃっと潰れていた。

『あんなもん、金魚の餌にしたったらええ……』

 お婆ぁさんの言葉が甦ると同時に、握りしめた左手の指の隙間から赤黒い血のような汁がジワッと滲み出て来た。
 たちまち布団の中には、賞味期限をとうに過ぎた豚肉のようなニオイが充満した。そのニオイと共に、不動産屋の親父の、あの汚れた男根のニオイが智子の脳裏に甦った。
「うっ!」と息を止めながら布団を蹴飛ばした。そして左手の中で潰れていた金魚の餌を台所に向かって投げ捨てた。
 破れたビニール袋は冷蔵庫に激突し、冷蔵庫の白い扉に、真っ赤な血と正体不明の肉片を飛び散らせた。
 冷蔵庫にくっ付いていた金魚の餌が、ペチャッという音を立てて床に落ちた。その嫌な音が台所に小さく響いたその時、『あんたの草履なんてもう無い』という声が、布団でうつ伏せになっていた智子の頭上から聞こえた。
 ビクンっと身体が跳ね上がった。
 首筋から背筋までがゾーッと冷たく痺れた。
 一呼吸置いて、「はっ!」と顔を上げた。そこには長い黒髪をひっつめ髪にした女が、ニヤッと笑いながら智子をジッと見下ろしていたのだった。

(つづく)

4話へ続く→

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