ロリコン大作戦4
2012/02/18 Sat 14:19
電車が浦安の駅に着くとミノルが「きっとディズニーランドに行くとばい、ランドの中で狙うとですよ」と家族の後に付いて行こうとした為、治はわざと慌てたふりをして「マズイ……公安に付けられている」とミノルの腕を引っ張った。
ミノルは「公安」という言葉に異常反応を示した。急に顔を強張らせたミノルは「公安ってなんね!」と治にしがみ付いてきたのだ。
治はチャンスだと思い「絶対に後を振り向くな……」と小さな声でミノルに囁きかけると、一気に浦安の駅を走り出した。
「オサムっちゃん!待って!」
半泣きのミノルは治の後を追いながらそう叫ぶ。
駅を走り出た二人は浦安の町へと逃げ込んだのだった。
肩でハァハァと息をしながら二人は古ぼけた定食屋に飛び込んだ。
「危ないところだった……」と、治がテーブルの上に置かれたお冷やを一気に飲むと、ミノルはまだ顔を強張らせたまま「公安っていったいなんね」と何度も聞いて来た。
とりあえず治がカツ丼を注文すると、ミノルは天ぷらソバと親子丼の大盛りを注文した。
「昨夜、キミはロリコン大作戦に少女誘拐の犯行声明を投稿しただろ……それでサイバーパトロールがそれをキャッチし警視庁公安部が動き出したんだろう……」
定食屋の小さなテレビから「ごきげんよう」のエンディングが流れ始め、店内は気怠い昼下がりに突入した。
「公安ってなんね」
再びミノルがテーブルの上の箸箱をいじりながら不安そうに聞いて来た。
「公安……警察の中でも一番厳しい軍団だ……」
治自身、実際には公安というものをあまり知らないらしい。
「自分達はその公安に尾行されとるとですか?」
「……あぁ。多分な。ホテルを出た時からグレーのスーツを着た男がずっと俺達の後を付けて来ていたが、まさかあいつが公安だったとは……不覚だった」
「どうして公安ってわかったとですか」
「公安のヤツラはな……みんな耳にイヤホン付けているんだよ……」
「あっ!……自分もさっき電車の中でイヤホン付けとる男ば見たとですよ!」
その日は隣りの船橋競馬場で大きなレースが開催されていた。
ここ、浦安にも新聞片手に競馬ラジヲを聞いているギャンブラー達がウヨウヨといた。
「……ヤツラはああやって電波で交信しながら俺達を見張ってるんだ……」
ミノルはてんこ盛りの親子丼をガブガブと腹の中に押し込みながら、「これからどうすっと……」と弱々しく治に聞いた。
治は食べ終わったカツ丼の丼の中に折ったつまようじを何本も投げ捨てながら、「とにかく様子を見よう」と大袈裟に呟いた。
「捕まったら10年ってのはホントね……」
一粒残らず平らげたミノルがゲフーっとゲップをしながら治に聞いた。
「あぁ。10年だったら軽い方だろう。この間捕まった少女誘拐犯は懲役78年喰らってたよ……」
ミノルは「78年!」と目を丸くし、指を折りながら78年後の自分の歳を数え始めた。
と、その時だった。
定食屋の扉をガラガラっと開け、イヤホンを耳に付けた労務者風の親父が店に入って来ると、親父はテーブルにつくなりいきなりラジヲに向かって「イケ!イケ!捕まえろ!刺せ!刺せ!」と競馬用語を叫んだ。
その親父を公安だと勘違いしたミノルは、急に顔を真っ赤にして立ち上がると、いきなりその労務者の足下に親子丼のどんぶりを投げつけ「刺される前に刺したろかキサン!」と叫びながら襲いかかった。
「なんだ!このヤロウ!」
慌てた労務者は必死に叫びながら抵抗している。しかし労務者は高齢者であり、若いミノルの力に床に捩じ伏せられていた。
ミノルは労務者を押さえつけながら、ポケットから何かを取り出そうとしていた。治は慌てて代金をレジの前に投げ捨てると、ミノルに向かって「ヤバい!逃げるぞ!」叫んだのだった。
二人は雑居ビルの路地裏に飛び込むと、少しでも定食屋から遠離ろうと必死になって駆け抜けた。
しばらく走った後、ハァハァハァハァ……と息を切らせながら治が壁にしがみついていると、やっと追いついたミノルが、足を止めるなりゲボボボボ……と親子丼と天ぷらそばを吐き出した。
凄まじく酸っぱい香りが路地裏に充満する。
「ヤバいぞ。辺りは公安のヤツラでいっぱいだ!」
治が大通りを指差すと、アーケードの隅っこにイヤホンを付けながら競馬中継を聞いている老人がひとりポツンと座っていた。
「悔しいが今日の所は作戦を中止しよう。まんまと捕まって78年間も刑務所に入れられたらもともこうもない……」
治がまだゲェゲエとしているミノルにそう言うと、唇に卵のカスを付けたミノルが「それはできんとですよ。九州の男は一度やる決めたら死んでもやるったい……」と恐ろしい形相で治を睨みつけた。
「……なんね……オサムっちゃんはもしかすっとイモば引いとっとね……」
ミノルはゆっくりと腰を上げると、そのまま得体の知れない悪臭を漂わせながら治に迫って来た。
「違うよ……78年も刑務所に入れられたら……」
「それがイモ引いとる証拠ばい!」
物凄い力で治は壁に押し付けられた。
「たとえ78年ぶち込まれようと、一度やると決めた事を実行するのが男たい!たとえ刑務所ん中から出て来るのが128歳になっちようと、そげんこつ関係なか!やるかやらんかが問題たい!」
128歳?……128歳から78歳引くと……やっぱりこの野郎、50歳じゃねぇか……30歳なんて嘘つきやがって……
治はミノルの酸味の利いた口臭を浴びながらそう思った。
と、突然、足下でカリカリカリカリ……という不気味な音が聞こえて来た。
胸ぐらを掴まれながら壁に押し付けられている治が、そっと視線を下に向けてみると、なんとその音は、ミノルの右手に握られた大型カッターナイフが刃を出す音だった。
「イモば引いたモンは足手まといになるだけたい……道仁会の古賀磯次親分もそう言っとったばい……オサムっちゃんには悪いがここで死んで貰うけんね……」
道仁会の古賀磯次親分って誰だよ、と思いながらも、今のミノルなら本当に刺しかねないとゾッとした治は、慌ててミノルを落ち着かせようと方向性を変えた。
「さ、作戦開始はこれからだ……しかし、キミが私を必要としていないと思うなら……好きにしたまえ……」
過去に掲示板で何度もミノルを熱くさせたり落としたり必死にさせたり釣ったりと繰り返していた治は、そんなミノルの性格をよく知っていた。ここで慌てたらいけない、騒ぎ立てるとコイツは必死になって本当に刺す。ここは穏便に穏やかに冷静に対応するべきだ……と。
「……私は、キミの事を本当の友達だと思っていた……しかしどうやらキミは違っていたらしい……キミは私の事を作戦を成功させる為にただ利用していただけだったんだ……」
治のそんな火消し作戦に、ミノルは「違う!そんなんじゃなか!」と叫び、沈静の兆しを見せた。
「……そんなんじゃなか、自分もオサムっちゃんの事ば親友や思うていたとよ……いや、今もそう思うとるばい!」
ミノルの馬鹿力がゆっくりと消え失せ、掴まれていた治の首は次第に解放されて行く。
「そやけん……そんな弱気のオサムッちゃんば見とうなかったとよ……」
「……誰が弱気になんかなったというんだ。私はまだまだヤルキ満々だ、ただ、この場所はマズいとそう言っただけだ」
「しかし作戦は中止ば言うたじゃなかですか!」
「それは違う!……それは、今ここでの作戦実行は中止するべきだと言う意味だ」
「………………」
「さ、早く別の場所に移動しよう。キミも明日は眼科に行かなければならないんだろう、時間がない。次の場所に移動して作戦を実行するんだ。……いいね?」
治がそう優しく語りかけると、ミノルは右手に持っていた大型カッターの刃をカチカチカチっと納め、そして「すまんこってす!」と肩を震わせながら男泣きしたのだった。
危うく殺されかけた治は、一分一秒でも早くこのキチガイと別れたいと思いながら、浦安の裏通りをコソコソと歩き回った。雑居ビルの裏通りなら少女はいないと思った治は、時間稼ぎをしていたのだ。
「あっちの通りの方が人がようけいますばい」
そう大通りを指差すミノルに、「上戸彩は練馬の生まれだ。ああいった美しい少女はこういった裏通りに潜んでいるもんだよ」とワケのわからない理屈を述べ、表通りを避けて歩いていた。
段々と日が暮れかかって来た。
あともう少し粘れば、浦安のちびっ子たちは家に帰ってしまうだろう、と思っていた治の前に、ちらちらと少年少女達の姿が目立って来た。表通りで遊んでいたちびっ子達が、裏通りにある家に帰ろうとしているのだ。
「結構、少女が増えてきたとですね……さすがはオサムッちゃんですばい、穴場をよう知っとるとですね」
ミノルはポケットの中でカッターナイフの刃をカタカタと出したり引いたりしながら不敵な笑みを浮かべている。
「……あれなんかどけんですか……どことなくガッキーに似とりますばい」
ミノルは一輪車で遊んでいた小学生を指差してそう言った。
「ふふふふふ。キミはまだ甘いな。もう少ししたら上戸彩系の少女達がわんさかとこの通りに集まって来るんだ……」
治はそう言って、本当に一輪車少女に襲いかかりかねないミノルの興奮を鎮圧させた。
そんな感じで誤摩化しながらもいよいよ本格的に日が暮れて来た。路地裏には真っ赤な夕日が照りつけ、それはそれでなかなか情緒のある風景だった。
が、しかし、そんな情緒に酔いしれている暇はなかった。というのは、治のデタラメ通り、路地には帰路につく少女達がウヨウヨと溢れ出したのだ。
マズいなぁ……と思っていた矢先、治達の行く先に、ひとりの少女がこちらに向かってトボトボと歩いて来た。なんとその少女は、上戸彩に瓜二つな美少女ではないか。
「オサムッちゃん。もう時間切れたい。あの子に決めまっしょう」
ミノルはポケットの中のカッターナイフの刃をカタカタカタ!と勢い付けて押し出した。
どうしよう……と、焦っていた治の目に「ピンクサロン」の看板が飛び込んで来た。
カチカチとリレーするネオンが妙に寂しげな薄汚れた店の前で、「大売り出し」と背中に書かれたハッピを着た呼び込みが、意味もなくパンパンと手を叩いている。
「……ちょっとあの店に行ってみよう……」
治は少女との進路を避けるべく、ピンクサロンに向かって進んだ。
「どげんしたとですか!このチャンスを逃したらもう後がないとですよ!」
ミノルが後から治の背中を掴んだ。
「違う!あの男をよく見ろ!」
治は大売り出しの呼び込みを指差した。
「もう公安なんか関係なか!自分は78年刑務所にぶち込まれようとやりますばい」
ミノルが治を抜かそうと早足になった。
「違うって!人の話しをよく聞け!あの男は公安ではない、あの男は我々の同志だ」
「……同志?」
ミノルが足を止めた。
「……ヤツはあんな恰好で変装しているがな、本当は関東ロリコン連合の忍びの者なんだ……」
「……関東……ロリコン連合?……」
「そうだ。キミはまだ知らないだろうが、我々ロリコン族は全国にネットワークを持っているのだ。キミの住んでいる北九州ロリコン連合の会長の光浦氏とは先日も赤坂の料亭で日本の明るいロリコン社会について話し合ったばかりだ」
治はデタラメで時間稼ぎをしながら、前から歩いて来る少女に頼むから次の角を曲がってくれ!と念力を送っていた。
「……それが……どげんしたとですか……」
ミノルの喰い付きは悪かった。掲示板なら「自分もロリコン連合に加入させて下さい!」とすぐに釣られるはずなのだが、しかし、今のミノルは前から歩いて来る少女の事で頭が一杯らしい。
「どげんもこげんもないよキミ。もしかして、キミは『ロリコン注意報』の存在をしらないのか?」
「……ロ、ロリコン注意報?……」
「やっぱり……キミはまだまだ素人だな……」
これにはさすがのミノルも喰い付いて来た。ミノルは掲示板でも「素人」や「童貞」という言葉にすぐに反応するのだ。
「素人ってどけんことですか……自分は自分なりに体張ってやっとるつもりですたい」
「いや、そういう意味で言ったのではない。キミもロリコン戦士として体を張って生きているなら、ロリコン注意報の事くらいは知っておくべきだろうという意味だ」
「…………」
「ロリコン注意報とは、いわゆる、我々ロリコン連合の最大の敵である『熟女』の襲撃に備えての注意報なんだ」
「熟女?」
「そうだ熟女だ。ヤツラは我々ロリコン連合をこの世から抹殺しようとしているのだ」
「……どげんして熟女が?」
「ま、いわゆる嫉妬というヤツだな。ババアの。ロリータばかりがチヤホヤされる変態オタク世界で、ロリータの地位を狙っているのだよ熟女達は。だから、ロリータの親衛隊である我々ロリコン連合を目の敵にしているのだ、うん……」
そうこうしていうちに少女が段々と近付いて来た。
すれ違い様にカッターナイフを突きつけかねないミノル。
治は焦りながらも意味不明なデタラメを喋りまくり、必死にミノルの気を引いた。
「そんな熟女が今攻め込んで来たんだ。だからそれをロリコン戦士達に伝える為に、あの忍びの者はああやって手を叩きながらロリコン戦士に応援を求めているんだよ」
「……なんか、嘘臭いばい」
さすがのミノルもこんなデタラメには気付いたか……万事休す……
と、思いきや、突然ミノルが「じゃったら、オサムっちゃん、あの忍びの者と話してみて下さいや」と言って来るではないか、やっぱりこのアホはまんまと釣られていたのである。
「よしわかった。じゃあキミも付いてきなさい。忍びの者にキミを紹介しておこう」
二人は進路を左に変え、細い道路を渡った。とりあえずは少女の進路から外れ治はホッと胸を撫で下ろす。
が、しかし、この先はどうしたらいいものか。もしこれがデタラメだとバレたら、今度こそ本当に殺されかねない……。
「自分が少女を誘拐しようとしてるのを知ったら、忍びの者は自分を尊敬すっとですかのぅ」
ピンサロに向かいながらミノルは妙に興奮し始めた。この妄想親父は自分がヒーローになる事ばかりを考えていた。
「あぁ。ただ、それよりも、今襲撃している熟女をやっつけたというほうが、キミの名前は売れると思うよ……」
「そげんですか?じゃったら自分、熟女ば退治しますばい、そいつらはドコにおっとですか」
「あの中だ……」
そう言って治は、薮から棒にピンクサロンのネオンを指差したのだった。
(5に続く)

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ミノルは「公安」という言葉に異常反応を示した。急に顔を強張らせたミノルは「公安ってなんね!」と治にしがみ付いてきたのだ。
治はチャンスだと思い「絶対に後を振り向くな……」と小さな声でミノルに囁きかけると、一気に浦安の駅を走り出した。
「オサムっちゃん!待って!」
半泣きのミノルは治の後を追いながらそう叫ぶ。
駅を走り出た二人は浦安の町へと逃げ込んだのだった。
肩でハァハァと息をしながら二人は古ぼけた定食屋に飛び込んだ。
「危ないところだった……」と、治がテーブルの上に置かれたお冷やを一気に飲むと、ミノルはまだ顔を強張らせたまま「公安っていったいなんね」と何度も聞いて来た。
とりあえず治がカツ丼を注文すると、ミノルは天ぷらソバと親子丼の大盛りを注文した。
「昨夜、キミはロリコン大作戦に少女誘拐の犯行声明を投稿しただろ……それでサイバーパトロールがそれをキャッチし警視庁公安部が動き出したんだろう……」
定食屋の小さなテレビから「ごきげんよう」のエンディングが流れ始め、店内は気怠い昼下がりに突入した。
「公安ってなんね」
再びミノルがテーブルの上の箸箱をいじりながら不安そうに聞いて来た。
「公安……警察の中でも一番厳しい軍団だ……」
治自身、実際には公安というものをあまり知らないらしい。
「自分達はその公安に尾行されとるとですか?」
「……あぁ。多分な。ホテルを出た時からグレーのスーツを着た男がずっと俺達の後を付けて来ていたが、まさかあいつが公安だったとは……不覚だった」
「どうして公安ってわかったとですか」
「公安のヤツラはな……みんな耳にイヤホン付けているんだよ……」
「あっ!……自分もさっき電車の中でイヤホン付けとる男ば見たとですよ!」
その日は隣りの船橋競馬場で大きなレースが開催されていた。
ここ、浦安にも新聞片手に競馬ラジヲを聞いているギャンブラー達がウヨウヨといた。
「……ヤツラはああやって電波で交信しながら俺達を見張ってるんだ……」
ミノルはてんこ盛りの親子丼をガブガブと腹の中に押し込みながら、「これからどうすっと……」と弱々しく治に聞いた。
治は食べ終わったカツ丼の丼の中に折ったつまようじを何本も投げ捨てながら、「とにかく様子を見よう」と大袈裟に呟いた。
「捕まったら10年ってのはホントね……」
一粒残らず平らげたミノルがゲフーっとゲップをしながら治に聞いた。
「あぁ。10年だったら軽い方だろう。この間捕まった少女誘拐犯は懲役78年喰らってたよ……」
ミノルは「78年!」と目を丸くし、指を折りながら78年後の自分の歳を数え始めた。
と、その時だった。
定食屋の扉をガラガラっと開け、イヤホンを耳に付けた労務者風の親父が店に入って来ると、親父はテーブルにつくなりいきなりラジヲに向かって「イケ!イケ!捕まえろ!刺せ!刺せ!」と競馬用語を叫んだ。
その親父を公安だと勘違いしたミノルは、急に顔を真っ赤にして立ち上がると、いきなりその労務者の足下に親子丼のどんぶりを投げつけ「刺される前に刺したろかキサン!」と叫びながら襲いかかった。
「なんだ!このヤロウ!」
慌てた労務者は必死に叫びながら抵抗している。しかし労務者は高齢者であり、若いミノルの力に床に捩じ伏せられていた。
ミノルは労務者を押さえつけながら、ポケットから何かを取り出そうとしていた。治は慌てて代金をレジの前に投げ捨てると、ミノルに向かって「ヤバい!逃げるぞ!」叫んだのだった。
二人は雑居ビルの路地裏に飛び込むと、少しでも定食屋から遠離ろうと必死になって駆け抜けた。
しばらく走った後、ハァハァハァハァ……と息を切らせながら治が壁にしがみついていると、やっと追いついたミノルが、足を止めるなりゲボボボボ……と親子丼と天ぷらそばを吐き出した。
凄まじく酸っぱい香りが路地裏に充満する。
「ヤバいぞ。辺りは公安のヤツラでいっぱいだ!」
治が大通りを指差すと、アーケードの隅っこにイヤホンを付けながら競馬中継を聞いている老人がひとりポツンと座っていた。
「悔しいが今日の所は作戦を中止しよう。まんまと捕まって78年間も刑務所に入れられたらもともこうもない……」
治がまだゲェゲエとしているミノルにそう言うと、唇に卵のカスを付けたミノルが「それはできんとですよ。九州の男は一度やる決めたら死んでもやるったい……」と恐ろしい形相で治を睨みつけた。
「……なんね……オサムっちゃんはもしかすっとイモば引いとっとね……」
ミノルはゆっくりと腰を上げると、そのまま得体の知れない悪臭を漂わせながら治に迫って来た。
「違うよ……78年も刑務所に入れられたら……」
「それがイモ引いとる証拠ばい!」
物凄い力で治は壁に押し付けられた。
「たとえ78年ぶち込まれようと、一度やると決めた事を実行するのが男たい!たとえ刑務所ん中から出て来るのが128歳になっちようと、そげんこつ関係なか!やるかやらんかが問題たい!」
128歳?……128歳から78歳引くと……やっぱりこの野郎、50歳じゃねぇか……30歳なんて嘘つきやがって……
治はミノルの酸味の利いた口臭を浴びながらそう思った。
と、突然、足下でカリカリカリカリ……という不気味な音が聞こえて来た。
胸ぐらを掴まれながら壁に押し付けられている治が、そっと視線を下に向けてみると、なんとその音は、ミノルの右手に握られた大型カッターナイフが刃を出す音だった。
「イモば引いたモンは足手まといになるだけたい……道仁会の古賀磯次親分もそう言っとったばい……オサムっちゃんには悪いがここで死んで貰うけんね……」
道仁会の古賀磯次親分って誰だよ、と思いながらも、今のミノルなら本当に刺しかねないとゾッとした治は、慌ててミノルを落ち着かせようと方向性を変えた。
「さ、作戦開始はこれからだ……しかし、キミが私を必要としていないと思うなら……好きにしたまえ……」
過去に掲示板で何度もミノルを熱くさせたり落としたり必死にさせたり釣ったりと繰り返していた治は、そんなミノルの性格をよく知っていた。ここで慌てたらいけない、騒ぎ立てるとコイツは必死になって本当に刺す。ここは穏便に穏やかに冷静に対応するべきだ……と。
「……私は、キミの事を本当の友達だと思っていた……しかしどうやらキミは違っていたらしい……キミは私の事を作戦を成功させる為にただ利用していただけだったんだ……」
治のそんな火消し作戦に、ミノルは「違う!そんなんじゃなか!」と叫び、沈静の兆しを見せた。
「……そんなんじゃなか、自分もオサムっちゃんの事ば親友や思うていたとよ……いや、今もそう思うとるばい!」
ミノルの馬鹿力がゆっくりと消え失せ、掴まれていた治の首は次第に解放されて行く。
「そやけん……そんな弱気のオサムッちゃんば見とうなかったとよ……」
「……誰が弱気になんかなったというんだ。私はまだまだヤルキ満々だ、ただ、この場所はマズいとそう言っただけだ」
「しかし作戦は中止ば言うたじゃなかですか!」
「それは違う!……それは、今ここでの作戦実行は中止するべきだと言う意味だ」
「………………」
「さ、早く別の場所に移動しよう。キミも明日は眼科に行かなければならないんだろう、時間がない。次の場所に移動して作戦を実行するんだ。……いいね?」
治がそう優しく語りかけると、ミノルは右手に持っていた大型カッターの刃をカチカチカチっと納め、そして「すまんこってす!」と肩を震わせながら男泣きしたのだった。
危うく殺されかけた治は、一分一秒でも早くこのキチガイと別れたいと思いながら、浦安の裏通りをコソコソと歩き回った。雑居ビルの裏通りなら少女はいないと思った治は、時間稼ぎをしていたのだ。
「あっちの通りの方が人がようけいますばい」
そう大通りを指差すミノルに、「上戸彩は練馬の生まれだ。ああいった美しい少女はこういった裏通りに潜んでいるもんだよ」とワケのわからない理屈を述べ、表通りを避けて歩いていた。
段々と日が暮れかかって来た。
あともう少し粘れば、浦安のちびっ子たちは家に帰ってしまうだろう、と思っていた治の前に、ちらちらと少年少女達の姿が目立って来た。表通りで遊んでいたちびっ子達が、裏通りにある家に帰ろうとしているのだ。
「結構、少女が増えてきたとですね……さすがはオサムッちゃんですばい、穴場をよう知っとるとですね」
ミノルはポケットの中でカッターナイフの刃をカタカタと出したり引いたりしながら不敵な笑みを浮かべている。
「……あれなんかどけんですか……どことなくガッキーに似とりますばい」
ミノルは一輪車で遊んでいた小学生を指差してそう言った。
「ふふふふふ。キミはまだ甘いな。もう少ししたら上戸彩系の少女達がわんさかとこの通りに集まって来るんだ……」
治はそう言って、本当に一輪車少女に襲いかかりかねないミノルの興奮を鎮圧させた。
そんな感じで誤摩化しながらもいよいよ本格的に日が暮れて来た。路地裏には真っ赤な夕日が照りつけ、それはそれでなかなか情緒のある風景だった。
が、しかし、そんな情緒に酔いしれている暇はなかった。というのは、治のデタラメ通り、路地には帰路につく少女達がウヨウヨと溢れ出したのだ。
マズいなぁ……と思っていた矢先、治達の行く先に、ひとりの少女がこちらに向かってトボトボと歩いて来た。なんとその少女は、上戸彩に瓜二つな美少女ではないか。
「オサムッちゃん。もう時間切れたい。あの子に決めまっしょう」
ミノルはポケットの中のカッターナイフの刃をカタカタカタ!と勢い付けて押し出した。
どうしよう……と、焦っていた治の目に「ピンクサロン」の看板が飛び込んで来た。
カチカチとリレーするネオンが妙に寂しげな薄汚れた店の前で、「大売り出し」と背中に書かれたハッピを着た呼び込みが、意味もなくパンパンと手を叩いている。
「……ちょっとあの店に行ってみよう……」
治は少女との進路を避けるべく、ピンクサロンに向かって進んだ。
「どげんしたとですか!このチャンスを逃したらもう後がないとですよ!」
ミノルが後から治の背中を掴んだ。
「違う!あの男をよく見ろ!」
治は大売り出しの呼び込みを指差した。
「もう公安なんか関係なか!自分は78年刑務所にぶち込まれようとやりますばい」
ミノルが治を抜かそうと早足になった。
「違うって!人の話しをよく聞け!あの男は公安ではない、あの男は我々の同志だ」
「……同志?」
ミノルが足を止めた。
「……ヤツはあんな恰好で変装しているがな、本当は関東ロリコン連合の忍びの者なんだ……」
「……関東……ロリコン連合?……」
「そうだ。キミはまだ知らないだろうが、我々ロリコン族は全国にネットワークを持っているのだ。キミの住んでいる北九州ロリコン連合の会長の光浦氏とは先日も赤坂の料亭で日本の明るいロリコン社会について話し合ったばかりだ」
治はデタラメで時間稼ぎをしながら、前から歩いて来る少女に頼むから次の角を曲がってくれ!と念力を送っていた。
「……それが……どげんしたとですか……」
ミノルの喰い付きは悪かった。掲示板なら「自分もロリコン連合に加入させて下さい!」とすぐに釣られるはずなのだが、しかし、今のミノルは前から歩いて来る少女の事で頭が一杯らしい。
「どげんもこげんもないよキミ。もしかして、キミは『ロリコン注意報』の存在をしらないのか?」
「……ロ、ロリコン注意報?……」
「やっぱり……キミはまだまだ素人だな……」
これにはさすがのミノルも喰い付いて来た。ミノルは掲示板でも「素人」や「童貞」という言葉にすぐに反応するのだ。
「素人ってどけんことですか……自分は自分なりに体張ってやっとるつもりですたい」
「いや、そういう意味で言ったのではない。キミもロリコン戦士として体を張って生きているなら、ロリコン注意報の事くらいは知っておくべきだろうという意味だ」
「…………」
「ロリコン注意報とは、いわゆる、我々ロリコン連合の最大の敵である『熟女』の襲撃に備えての注意報なんだ」
「熟女?」
「そうだ熟女だ。ヤツラは我々ロリコン連合をこの世から抹殺しようとしているのだ」
「……どげんして熟女が?」
「ま、いわゆる嫉妬というヤツだな。ババアの。ロリータばかりがチヤホヤされる変態オタク世界で、ロリータの地位を狙っているのだよ熟女達は。だから、ロリータの親衛隊である我々ロリコン連合を目の敵にしているのだ、うん……」
そうこうしていうちに少女が段々と近付いて来た。
すれ違い様にカッターナイフを突きつけかねないミノル。
治は焦りながらも意味不明なデタラメを喋りまくり、必死にミノルの気を引いた。
「そんな熟女が今攻め込んで来たんだ。だからそれをロリコン戦士達に伝える為に、あの忍びの者はああやって手を叩きながらロリコン戦士に応援を求めているんだよ」
「……なんか、嘘臭いばい」
さすがのミノルもこんなデタラメには気付いたか……万事休す……
と、思いきや、突然ミノルが「じゃったら、オサムっちゃん、あの忍びの者と話してみて下さいや」と言って来るではないか、やっぱりこのアホはまんまと釣られていたのである。
「よしわかった。じゃあキミも付いてきなさい。忍びの者にキミを紹介しておこう」
二人は進路を左に変え、細い道路を渡った。とりあえずは少女の進路から外れ治はホッと胸を撫で下ろす。
が、しかし、この先はどうしたらいいものか。もしこれがデタラメだとバレたら、今度こそ本当に殺されかねない……。
「自分が少女を誘拐しようとしてるのを知ったら、忍びの者は自分を尊敬すっとですかのぅ」
ピンサロに向かいながらミノルは妙に興奮し始めた。この妄想親父は自分がヒーローになる事ばかりを考えていた。
「あぁ。ただ、それよりも、今襲撃している熟女をやっつけたというほうが、キミの名前は売れると思うよ……」
「そげんですか?じゃったら自分、熟女ば退治しますばい、そいつらはドコにおっとですか」
「あの中だ……」
そう言って治は、薮から棒にピンクサロンのネオンを指差したのだった。
(5に続く)


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